それも1つじゃなくて。
刀使ノ巫女 第24話(最終話)「結びの巫女」 ©伍箇伝計画/刀使ノ巫女製作委員会
「刀使ノ巫女」最終回24話を視聴。22話で「ようやく届く」ものについて触れた。時間と空間のあやふやになった隠世を主な舞台に、それは様々な形で広がっていく。「半分」の意味も広がっていく。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
これまで可奈美と美奈都が会うのは鳥居の前であり、故に2人の接し方は主として師匠と弟子でいられた。けれど今回はそれが衛藤家であることで、必然的にそこで行われるのは家族に関する会話になる(それでも師匠と言い直すが)#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
遠慮がちな姫和と篝の間には畳の境界線があって、可奈美と美奈都の方は触れた机越しに繋がっているのが面白い。座布団に父と兄の無言の存在感があるし。#tojinomiko pic.twitter.com/ogKX3OzBxN
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
刀使としての自分。母娘としての自分。それらは可奈美達が1人で全て持っている物ではない。相手が「半分持って」いる。剣術が相手あってこそなのと同じで、1人で全て担うことなんてできないのだ。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
そして可奈美が姫和の荷物を半分持ったように、美奈都と篝もまた互いの荷物を半分持っている。半分ずつになった事で同質となった千鳥と小烏丸の共鳴がそれを成す。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
現し世の篝は美奈都が死んだのは自分のせいだと悔やんで死んだ。隠世の篝がそうならないのは、再会した美奈都に謝れて、構わないと言ってもらえた事が前提としてある。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
それは隠世で時間の止まった美奈都も同様で。「また会えて嬉しいよ」と、自分の命を削ってでも行った事の意味を確認できる事が美奈都にも必要だったのだと思う。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
隠世の美奈都と篝にもまた、対話の相手が必要だったのだ。向こうの自分がどれだけ幸せだったかを教えてくれる娘達が半分で、そしてそれを共有できる相手が半分。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
そういう風に「2組が半分ずつ持つ」ことで、可奈美も姫和も別人と言えるはずの母と親子の関係を構築する。2組が合わなければ「お母さん」という呼び方は正式にはできなかったろう。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
姫和と篝は半ばスキップされているが思い出を語る事によって、可奈美と美奈都は御刀を打ち合わせる事によって、対話する。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
「母は何でもお見通しよ」と言った時点で、美奈都はもう母と呼ばれる事に照れは無かったのだと思う。1人の時に可奈美の剣筋を思い出して「自分の娘だ」お納得していく様子、想像すると頬が緩んでしまう。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
一方で可奈美にとって美奈都は母であり、同時にそれが全てではない。母が半分、師匠が半分。免許皆伝として師弟関係が満ちることで、母娘の関係も満たされる。そういう、親子なのだなと思う。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
タギツヒメを隠世へ送ったのは可奈美と姫和だ。けれど、彼女達の不在の間にその戻る場所を守ったのは他の皆だ。それもまた、半分持つということなのだろう。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
だから午前試合再びのラストは、可奈美と姫和の半分こでもあるし、2人と世界の半分こでもある。集約されていながら、とても開けた終わりであったように感じました。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
そして、受け継ぐ経路もけして血縁1つでは無い。紫と結芽を追いかけた獅童のように可奈美と姫和を追う沙耶香。真庭学長と薫、羽島学長と舞衣の類似。ねねのように可奈美達を導くノロ、タギツヒメの相手をする可奈美と美奈都(逆転!)#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
そういうキャラクターの組み合わせから広まるものが沢山あるので、誰が見るかによって、そして何度見返すかによってどんどんと本作の景色は変わっていくと思う。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
作品に触れる事はその作品と対話する事なのだと僕は思う。雑とか王道とか簡単な言葉で打ち切る事もできるけど、作品の中には製作者自身気付かないようなものも含めて隠世のように世界が広がっている。#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
だから「よく見て、よく聞いて、よく感じる」という可奈美の言葉が対話のためのものであると分かった時、僕は可奈美に共感した。1話の時は「視聴者に共感させるタイプのキャラじゃない(*貶してない)」と思ってたのになあ……#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日
前回の感想にも追記したけど、僕の孤独を癒やしてくれた――ちょっと「持ってくれた」作品でした。スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。https://t.co/9UKXuUOlgZ#tojinomiko
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年6月23日