だから、まだ先へ進める。
「ゾンビランドサガ」12話。記憶を失い1号としてのさくらは死んだ。だが、それは彼女がどこにもいなくなったことを意味しない。誰かが思い出す限り、蘇る。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
さくらの中で1号が死んでいても、これまで彼女が関わった人の中にそれは残っている。「死んでるけど死んでない」。記録に、記憶に、伝説に残ることで蘇ることができる。それは、覚えてくれる相手がいて初めて成立することだ。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
蘇ったさくらは知らなかった。1号としての自分がいかに人に影響を与えてきたかを。それがどれだけ眩しいものだったかを。ご当地アイドルになる気なんて無かった愛達を変えたのは、さくらだ。生前アイドルを志した彼女は、既に「フランシュシュにとってのアイドル」になっていた。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
「誰かが困ったりやらかしたりすっと、真っ先にフォローすんだ」「そのくせオロオロしてね」……それはさくらの歌であり踊りでありステージだった。彼女の姿を見て、愛達は喜び元気になった。誰よりも愛達がまず、さくらというアイドルのファンだった。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
これまでずっと描かれてきた、アイドルとファンの間にそびえ立つ大きな壁。壁越しに思いを届ける方法もあるが、1つ壁を越える裏技がある。それは、ファンが自らもアイドルになること。かつてさくらが愛に憧れ自らもそうしようとしたきっかけは、何だったろう?#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
「失敗したり後悔することを、全然駄目だと思わない。絶対次につながる事だから、その先に誰にも負けない私がいる」……その言葉にさくらはもう一度夢を見た。そういう自分になろうとした……存在そのものが失敗のゾンビィの彼女は、記憶がなくともそういうアイドルになっていた。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
失敗しないのではなく、それを乗り越えて夢を与えるのがアイドル。だから、愛達もさくら抜きでステージを成功させるくらいならさくらと共に失敗する方を選ぶ。そうでなくては、彼女達はさくらと同じアイドルにはなれない。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
話の噛み合わなかったビンタも。周りが見えなくなって1人していたダンス練習も。目の前で割れたガラスも。失敗したことは全て、死んだことは全てやり直せる。ゾンビィになったさくらは、愛達が悩んだのと同様に「かつて」とは違う。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
それでも、さくらはまだ受け止めきれない。「足りないものを補い、1人では出せない力を発揮させる」のがグループ(集団)の強みだが、7人ではまだ足りない。ライブ(live)は観客が、ファンがいなければ成立しないのだ。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
豪雪の中を来てくれ盛り上がるファンに、しかしさくらは不安を隠せない。彼女が立つ、段を組まれたステージはファンと同じ高さには無い。さくらの気持ちは、ファンと噛み合っていない。#ゾンビランドサガ pic.twitter.com/zbFzTNsRAa
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
雪に耐えきれず崩壊したステージは高さの違いを失い、さくらとファンは共に終わりを感じる。ライブ(live)は死んだ。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
しかし高さの違いが存在しないなら、結びつくことができる。だってフランシュシュは、時間という高さの違いを死と蘇りによって失わせて生まれたのだから。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
彼女達を蘇らせた幸太郎は再び、そのきっかけをプロデュースする。ファンも含めた手拍子が、愛達の歌が、スタッフの復旧作業が、一度止まったライブ(live)の心臓をマッサージする。全ては、さくらを待っている――叫べ、「ヨミガエレ」!#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
その言葉に、その歌に全てが蘇生する。崩れたステージも、失われていたさくらの記憶も。この場にいる全員が作り上げるライブ(live)は蘇った。「時間を超えて互いの思いを支え合うために存在する」というフランシュシュの定義は、こうして語り直された。#ゾンビランドサガ pic.twitter.com/8tHyWPahua
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
ライブ(live)は終わる。けれど、アンコールされれば、呼び直されれば蘇る。そして大古場がフランシュシュに疑念を抱くように、物語は終わらない。「最終回だけど最終回じゃない」ラストをもって本作は「死んでるけど死んでない」を体現するのだ。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
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— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
ここまでレビュー
ここから私情の垂れ流し
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というわけで、全話分書き終えることができました。すごい作品であり、同時に手強い作品でした。正直に言うと、この作品を芯から好きになるのに相当時間がかかったのです。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
この作品、視聴者をほとんど選ばない作りになっている上にそこに違和感がないのですよね。ゾンビとアイドルの組み合わせも唐津弁もとんでもない変化球のはずなのに全然不自然に思わせないんだもの。あまりにもきれいに整えられていて、逆に凄さを見落としかねない。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
アニメ視聴をペアダンスに例える僕ですが、その伝で言えば本作はリーダーとして抜群の腕を持っています。誰が本作のパートナーとして踊ってもそれぞれ良い形になる。踊らせてくれる。https://t.co/m2GsuD9ntR#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
しかし誰でもパートナーにできるのは、パートナーが誰でも構わないのと紙一重です。僕は作品と凸凹を突き合わせたい。海のものとも山のものとも知れない放送当時でなく、後発組なので本作の評判が高いことを知ってしまってるし。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
僕は本作と踊ってるのじゃなく踊らされてるのじゃないか。上滑りしているのじゃないか。そんな感覚も抱えたまま見ていたのですが、最終回においては「いい話なんだろうけど、自分としてどう語って(踊って)いいのか分からない」と数日悩むことになりました。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
特にステージが崩壊して高さが変わるのをどう解釈できるかにウンウン悩んでいたのですが、幸太郎がアイドルでもファンでもなくプロデューサーであるのを捉え直し、彼が両者を繋いでいるのだと考えるとそのあたりが一気に書けました。視界が開けた気がしました。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
僕が作品を芯から好きになるには、そういう悩みと発見の時間がすごく効果的で。単にリードされるだけじゃなく、パートナーとして成長して共に踊れたと感じられる時間がたまらなく好きで。最終回までかかってしまったけど、この作品にもそれを感じられたのは本当に嬉しいことでした。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
アイドルものの楽しみ方をよく知らない人間なのですが、そういう僕にも親しめまた色々な気付きのある視聴時間でした。さくらが他のメンバーにとってどういう存在であるかによって、アイドルとはヒーローでもあるのだと感じられたのは特に大きかったように思います。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
一番かわいいと思った娘を挙げろと言われれば純子かしらん。ベタかなあ、とも思ったがデザインの時点でツボなので抗いようがない(実際1番人気のようで)。CGモデルはリリィが目を閉じる笑顔がとてもかわいらしくて好き。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日
続編発表をきっかけに、遅ればせながらですが見て良かったです。リベンジの方は放送に合わせて楽しみたいと思います。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月20日