「ゲゲゲの鬼太郎」6期97話レビュー~見えない世界を覗き見る~

ゲゲゲの鬼太郎(6期) 第97話「見えてる世界が全てじゃない」

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

 

 「ゲゲゲの鬼太郎」6期97話(最終回)を視聴。あらざるの地へと向かったまなが見たのは、打ちひしがれた鬼太郎の内面でした。理想に向けて不屈の姿を「見せて」きた鬼太郎ですが、それは彼が苦悩や絶望と無縁というわけではない――「見えてる世界が全てじゃない」。しかし同時に、打ちひしがれた彼にはそれ以外の思い出が「見えなく」もなっている。それもやはり、見えないから存在しないわけではない。見えてるものと見えてないものは単純な視覚に拠らず、容易に入れ替わるものです。現に、バックベアードの爆発が迫る中で人々と妖怪は発端(ぬらりひょんの策謀だから消滅している)はもはや見えなくなってしまい、目の前の争いだけを見るようになってしまいました。
 
 「見えてる世界が全てじゃない」……妖怪の存在によって見えない世界を覗き見せるのがゲゲゲの鬼太郎ですから、この状況を打破するのも見えない世界を覗き見せることです。まなは自分の思い出を通して鬼太郎に自分のしてきたことの良い部分を覗き見せ、ねずみ男は動画配信で鬼太郎の奮闘を人々や妖怪に覗き見せる。その結果集まった応援は、バックベアードを打ち破る力をもたらしました。
 しかし「覗き見せる」とは、全てがハッキリしたり見えるわけではない限界を宿命付けられてもいます。ぬらりひょんの退場は今後彼の同類が現れないことを意味しないし、まなが命を失わずとも記憶が失われているのは彼女の意識が戻るまで見えてはいませんでした。そして彼女が願った人間と妖怪が仲良く暮らせる世界は、10年の年月が流れても実現していない。
 それでも「見えてる世界が全てじゃない」のです。見えない世界が存在しないわけではないのです。まなの妖怪との記憶が失われてもそれは妖怪との過去が消えたわけではなく、ならばそれが再び見えることは起き得る。人間と妖怪が仲良く暮らせる世界は実現していなくても、人間であるまなと妖怪である鬼太郎達が仲良くする世界は取り戻せる。まなが鬼太郎との記憶を取り戻し、再び交流を始めたあの終わりこそは、最後に私達が覗き見た「見えない世界」だったのでしょう。
 
 
 終わった後にいつもの次回予告が無い寂しさに、鬼太郎達と過ごす週末が2年間ですっかりおなじみになっていたことを実感しました。2年も経てば本当に色々なことがあるもので。僕のレビューの書き方もこの間にだいぶ変わったなと思います。長期作品との付き合いは自分自身も成長させてくれるものなのでしょうね。鬼太郎を2010年代に蘇らせてくれたスタッフの皆様、長期間お疲れさまでした!
 
*94話までの感想は旧ブログを御覧ください。

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