菜々とせつ菜は融合する――「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」3話レビュー&感想

謎のスクールアイドル・優木せつ菜の正体は生徒会長の中川菜々だった。なぜ同好会が休部ではなく廃部になったのか尋ねるかつての仲間達だが、菜々は優木せつ菜はもういないと答え……
 
中須かすみにスポットを当てた前回に続き、「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」3話は優木せつ菜を中心に話が作られている。生徒名簿に名前の無い彼女が実は中川菜々であったことは前回ラストで既に指摘されているが、本心や意義まで分からなければ全貌が明らかになったとは言えない。この3話は、優木せつ菜というスクールアイドルが何者なのかという全貌に迫るお話だ。
 
 
 
 

1.中川菜々という「優等生」

優木せつ菜の正体である中川菜々は、一言で言えば優等生である。それも杓子定規なタイプではない。かすみにこそいじわる生徒会長などと呼ばれているが、今回の前半だけで彼女の優しさは明白だ。生徒全員の顔と名前など義務で覚えられるものではないし、猫や同好会について校則を柔軟に運用してくれる姿は常に他者への思いやりに満ちている。「親だけでなく生徒から見ても非の打ち所のない、眼鏡と三つ編みのよく似合う完璧な美少女」……中川菜々の放つ優等生ぶりはそういうものだ。
 
しかし優等生という表現はいつも褒め言葉ではなく、無個性で面白みの無い人間への皮肉として使われることもある。言葉が反転するように、全てには反面の危険性がある。菜々の他者への思いやりは反面、自己主張の弱さ――というよりも、自分を後回しにする危険を抱えてもいるのだ。
 
 

2.中川菜々と優木せつ菜が同一人物とはどういうことなのか

中川菜々は優等生としての自分をけして嫌っているわけではない。期待されるのは嫌いでないと繰り返すように、他者への思いやりを否定しているわけではない。けれど先述したようにそこには自分を後回しにする危険があり、だから彼女は今とは別のあり方もまた欲していた。優木せつ菜は彼女にとって自分を反転させた存在と言うより、己のバランスを問い直し理想の自分になるために必要な「変身」だったと言える。
だから彼女が求めた自分の大好きを大切にすることは、他者の大好きを否定することではない。優木せつ菜に変身しても根底には他者への思いやりが消えることはない。それは変わることなき「彼女」の本質なのだ。
 
他者を思いやることは優木せつ菜であればこそいっそう大切にしなければならなかったのに、気付けば自分の大好きは他の人の大好きを傷つけてしまっていた。
菜々が優木せつ菜をやめて皆に自分の大好きを取り戻させようとしたのは、それが最後にできるせめてもの優木せつ菜らしさだと感じたからだ。それは確かに優木せつ菜らしさではあったかもしれない。しかしそれは「自分を後回しにする」意味での優等生らしさと同じ、変身しても拭えぬ菜々とせつ菜の共通する問題だったのである。
 
 

3.他人思いで自分本位で 

菜々とせつ菜の例を見ても分かるように、自分を後回しにする行為は基本的に他者への思いやりから生まれる。だがそれは見ようによっては傲慢な行為だ。社会から見れば自分も他人も同じ一個人に過ぎず、そこに差などは無い。ならば自分を後回しにする=自分の価値を低く見積もることは、自分に失礼であるという意味でこれも自分を傲慢に特別視していることになる。
 
自分がしたことのショックに、せつ菜は自分がいない方がいいと勝手に判断して勝手に廃部を決めて勝手に消えた。きっかけは優しさだが、そこには他の部員達の驚きや困惑は置き去りにされている。彼女は自分を後回しにしながら、他の部員をも後回しにしている。
振り返ってみれば菜々とせつ菜の行動は、彼女達の抱えていた問題は、とても自分本位なワガママの繰り返しでもあった。
 
 

4.優木せつ菜の正体とは、全貌とは

自分勝手も自分の後回しも、傲慢から生まれるのは変わらない。ただそうであるとしても、こうした悩みは古今東西見られる、というより万人共通のものだ。せつ菜もかすみも同じように自分の大好きが他人を傷つけることで悩んだように、人間がそこから抜けるのは容易ではない。自分と他人が別である限り、容易ではない。
だが、道はいつだって1つとは限らない。見方を変えるなら、自分と他人が別でなくなれば話は変わってくるのだ。
 
切磋琢磨する相手ではなくあくまでもファンである侑にとって、せつ菜もかすみ達他のスクールアイドルも等しくときめきの、大好きの対象で――他人だ。ならば彼女にはどちらを後回しにする理由も無い。自分も他人も他人にしてしまう目線・・・・・・・・・・・・・・・・には、自分と他人の区別はない。
 
そして菜々は眼鏡を外し、三つ編みを解き優木せつ菜になる。しかし彼女が着ているのはもちろん今までの制服のままであり、その中には中川菜々もまた存在していると言える。別々の存在としてきた人間が――自分と他人に切り分けてきた2人の人間が、今の彼女には融合して存在しているのだ。そこでは先程の侑とは逆に、自分も他人も自分にしてしまう目線・・・・・・・・・・・・・・・・が働いている。せつ菜は菜々が自分の中に生み出した他人である故に、彼女を守ることは菜々にとって自分を守ることになる。
 
自分を他人の後回しにしてしまう中川菜々が「自分を他人のように大切にする」ために必要な他者、あるいは半身。優木せつ菜の正体とは、全貌とはそういうものだったのだ。
 
かくて優木せつ菜は、中川菜々のなりたい自分への架け橋は歌声とともに蘇る。蘇った彼女は侑達ファンを、そして中川菜々自身をもときめきの異世界へ導いていくことだろう。
 
 

感想

ということで虹ヶ咲の3話レビューでした。他にも理由はありますが、うんうん悩んでずいぶん書きあぐねて日曜が終わった。
前回に引き続き侑のたらしぶりが発揮された回と言えますが、菜々の反応がガチっぽいというか釣られてかすみまで対抗意識が重げというか(そして動じない歩夢……)。眼鏡っ娘の赤面を沢山ありがとうございますありがとうございます。生徒会長キャラの類型的イメージに従わない意味でもとても魅力的でした。他のメンバーでどんな話をしていくのか、とても楽しみです。
 
しかしこの場面、眼鏡と双子で誰が誰やら=菜々とせつ菜の自他の境界線の揺らぎの表現になっていると思うのですが単純に壮観。今後も出番あるのかしらん。