菜穂子は亀になった――「風立ちぬ」レビュー&感想

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(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
2013年に公開され、主役の声を庵野秀明が演じることなどでも話題を読んだスタジオジブリの「風立ちぬ」。舞台となる大正から昭和初期の日本の工業技術力は西欧列強から特に大きく遅れており、人々は追いつくことに必死だった。ドイツ視察中、主人公の友人・本庄が自分達を「二十年先の亀を追いかけるアキレス」に例え、二郎が小さくとも亀になる方法はないかと考える場面などは象徴的だ。しかし本作のアキレスは、亀になろうとした者は果たして日本という国だけなのだろうか。
 

1.飛行機と恋の競争、先行する飛行機

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(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
主人公である堀越二郎は劇中、2つのものに心を奪われる。1つは飛行機(の設計の仕事)、そしてもう1つは恋。もしジャンルが仕事ものなら恋は仕事を成就する補助輪となっているだろうが、本作においてこの2つは対立するものだ。菜穂子との恋は仕事の失敗を忘れるための避暑地での休暇の中で燃え上がったものだし、彼女の患う結核を治すには二郎が仕事を辞めて山深くの高原病院へ行かねばならない。
二郎が最初に携わった隼型試作戦闘機について黒川が語ったように、戦闘機は競合試作されることが珍しくないが、つまり本作は「飛行機(の設計)」と「恋」が二郎の心を巡って競合試作を繰り広げる物語なのである。
 
二郎の心を巡る競争試作で先行したのはもちろん、飛行機の方だ。近眼でパイロットになれないビハインドを抱えながら。飛行機は二郎に設計家の夢を見せることでその心を不可逆的に魅了した。菜穂子と出会った時の二郎が既に大学生であったのは、飛行機が菜穂子にとって「二十年先の亀」になっていたのに等しい。
対する菜穂子と言えば、その遅れは甚だしいものだ。先述したように二郎は出会った時点で飛行機に夢中になっていたし、また彼の初恋は菜穂子ではなくその女中のお絹相手であったように思える描写もある。出遅れの上にひょっとしたら三番手ですらあるかもしれない菜穂子の恋は、日本とドイツの工業技術力の差同然に追いつくのは困難に思えた。
 
 

2.アキレスの如き菜穂子の追い上げ

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(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
遅れに遅れた菜穂子はしばらく二郎の視界の外(画面の外)にいたが、しかし飛行機と菜穂子は不思議に近い運命をたどっている。
飛行機の設計家としての二郎に隼型試作戦闘機は母親のように道を示したが、動力降下に失敗した機体は墜落し帰ることはなかった。そして二郎自身が初めて手掛けた七試艦上戦闘機(A3M1)もまた同様に墜落の運命をたどった。一方で菜穂子はと言えば画面の外で母親を結核で失い、自らもまた同じ病に冒されている。人と飛行機で全く違うはずの両者に起きた出来事は、奇妙に符合している。
 
そして失意の二郎と避暑地で再会してからの菜穂子の猛追は、本庄の設計した爆撃機のように20年をひとまたぎするアキレスじみたものだった。避暑地にいる間は二郎は飛行機の設計を忘れ、菜穂子との恋に没頭することができる。病身の悲劇すら武器となり、2人は遂に婚約に至った。
仕事を抱えながらも菜穂子が喀血したと聞けば涙を流して駆けつける二郎の姿を見ればもはや勝利は決定的に思え、だから菜穂子は高原病院で結核を治し二郎と生きる未来的なプラン(設計)すら立てたのである。
 
 

3.飛行機と菜穂子の、未来を捨てた設計変更

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(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
二郎を奪われた飛行機はしかし、彼を奪還するために大胆な設計変更を行う。もともと飛行機側(二郎の中の設計家)が考案していたのは時代の先の先を行く270ノットを叩き出す、非常に未来的なものだった。もしそれが機関銃を積まない飛行機だったなら、けして不可能なものではなかった。しかしこれは戦闘機であり、そんなものを作っても「採用」されることはない。だから実際に作られたのはもっと現実的で、未来的ではなく現代的なもの。他者から見ればそれでも先進的だが、それはずっと先にある未来を捨てたものだった。
この飛行機側の捨て身の作戦は功を奏し、二郎は高原病院へ菜穂子を見舞う予定すら延期せざるをえないほど仕事に忙殺されることになる(菜穂子の父に「男は仕事をしてこそ」と言われたのもあろうか)。菜穂子もまた、これに対抗するには自分の未来を捨て下山してまで二郎に会いに行くしか方法は無かったのだ。
 
菜穂子が下山し二郎と結婚したことで、二郎を巡る飛行機と菜穂子の争いは奇妙な共同生活の様相を呈する。仕事に没頭する二郎の帰りはいつも遅く、菜穂子の病状を分かっているのかと妹の加代に責められるほどだ。しかし一方で二郎は、明日までに決めなければいけない仕事を持ち帰ってまで菜穂子の傍にいようともしている。菜穂子が片手をねだり二郎がもう片方の手で仕事をするのは飛行機と菜穂子の綱引きであり、そして仕事を進める二郎の傍らにいることで菜穂子はその優勢を強めていった。
 
 

4.去るという完成、決着の日

二郎の設計した九試単座戦闘機が飛行するその日、菜穂子は寄宿していた黒川家を1人去った。しかしこれは飛行機に対する敗北宣言などではない。
かつて本庄は、必要な情報以外は見せないドイツのデータを皮肉を込めて「美しい」と称した。墜落した飛行機の録画をカプローニが破棄してしまったように、美しいものはそれ以外を見せないことでもできあがる。黒川夫人が指摘したようにここで去ることは二郎に美しいところだけ見てもらうことであり、山へ戻ることはむしろ「美しき菜穂子」を完成させる最後の仕上げなのだ。三菱の九試単座戦闘機の飛行試験日はすなわち、飛行機と菜穂子のどちらが二郎に選ばれるか雌雄を決する日であった。
 
長きにわたる飛行機と菜穂子の戦い、その決着は明白だ。二郎は心血を注いで作った戦闘機の見事な出来栄えを目にし絶賛されながら、その着地の瞬間を見ない。彼の視線と心はもっと奥へと、彼方へと――去ってしまった菜穂子へ注がれている。
飛行機に二十年先を行かれていた菜穂子はアキレスのごとく追いつき、追い抜いて亀となった。飛行機側(二郎の中の設計家)は結局、歴史に名を刻む名戦闘機・零戦をもってすらもはや菜穂子に追いつくことはなかった。
 

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(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
美しい飛行機より美しい、風のような女性はかくて去る。
 
二郎の戦闘機の出来栄えに、パイロットは手を握りありがとうと伝えた。戦いの終わった後、二郎は最後に姿を見せてくれた菜穂子に「ありがとう」を繰り返した。
二郎が菜穂子に伝えたのはパイロットと同じ感謝であり、同時に自分の中の設計家の敗北宣言だったのである。
 
 
 
 

感想

というわけで「風立ちぬ」のレビューでした。実はジブリ作品を新しく見るのは1997年の「もののけ姫」以来でして。特別強い理由があったわけでもないと思いますが、気がついたら20年以上離れていました。我ながらなぜ。
2020/11/21に開かれる藤津亮太さんの講座をきっかけに久しぶりに新しく見たわけですが、改めてまあ、ジブリ作品って豊かだ……
 
 
当初は二郎の近眼は史実云々より彼の性質である、というので書けるかと考えたのですが、菜穂子の立ち位置をあれこれ考えた結果このようなレビューになりました。勝負という意味では勝ったのは菜穂子ですけど、飛行機を恋と競う存在に置いたことで、他者からはくだらなく見えるものを愚かなほど愛してしまう心情も感じられる内容だったように思います。良い経験でした。