おっさんか猫か、それが問題だ――「裏世界ピクニック」4話レビュー&感想

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
世界と心の裏を旅する「裏世界ピクニック」。4話の怪異は「時空のおっさん」。空魚は噂の内容を語りつつ、おっさんでなくもっとかわいいもの(猫)でもいいのでは、と疑問を投げかける。確かにこの怪異で「おっさん」は表面的な要素に過ぎない。そしてその"表面"こそは今回を読み解くヒントだ。
 
 
 

裏世界ピクニック 第4話「時間、空間、おっさん」

 
〈裏世界〉から戻った空魚と鳥子。立て続けに危険な目にあった空魚は、今後の〈裏世界〉の探索について鳥子と口論になってしまう。鳥子と話し合うため彼女のマンションを訪れる空魚だが、さらに新たな怪異に遭遇。思い悩んだ空魚は小桜に相談するが、まともに取り合ってもらえない。するとそこに、奇妙な人物が姿を現す。
 
 
 

1.おっさんか猫かの些末な行き違い

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
今回は空魚と鳥子のコンビではなく空魚+小桜で鳥子を探す変則的なチーム構成で話が進むが、原因の1つは空魚が考えを適切に表現できなかった(表面に出せなかった)ことにある。前回巨頭の村から命からがら逃げ出した空魚はこんなことの繰り返しでは死んでしまうと裏世界行きを止めようとしたが、意に反してそれは自分はもう行かないという宣言のようになってしまった。空魚は鳥子と別れるつもりなど無かったのに表現、つまり表面が行き違ってしまい、そのためにコンビは解散してしまったのだ。
冒頭の話になぞらえるなら、空魚の失敗は「おっさんか猫か」程度の違いがきっかけで起きてしまったものと言える。
 
 

2.些末な違いの下に共通点がある

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
空魚と鳥子のように、言い方一つで結果が違ってしまうすれ違いは多くの人が身に覚えのある経験だろう。彼女達の間に起きたこととあなたの過去の経験の違いは、それこそ「おっさんか猫か」程度の違いに過ぎない。
 
人は1人1人違う存在だが、その本質にさほど大きな差は無い。全くの別人であっても、「おっさんか猫か」のヴェールを剥がした下にあるのは顔のない人形のようによく似た「人間」である。
それを証明するように、今回の鳥子探しでは彼女と空魚の似た部分が見えてくる。鳥子のように押しが強くなくとも空魚は鳥子同様に小桜を巻き込んでいくし、平凡な大学生に思えた彼女にも怪異が絡んだ重い過去はあった。空魚は鳥子の美貌や明るさ強引さに自分とは違うものを感じていたが、それもやはり「おっさんか猫か」程度のものに過ぎなかったのである。
 
違いのヴェールの下が同じであることを知れば、不可思議もそれほど不可思議ではなくなる。今回空魚達を裏世界に誘った怪奇現象は何が起きているのか理解するのも難しいところがあるが、「表世界でも裏世界と同じようなことが起きている」ことさえ掴めば、それ以外の違いはこれも「おっさんか猫か」に過ぎない。
 
 

3.けれど、その些末な違いに意味がある

自分とまるで違って見える者もやはり同じ人間に過ぎない、根っこのところはそれほど変わらない。いささか説教めいてすら聞こえるこの言葉は事実だからこそ説教たり得るわけでもあるが、本作はそこに留まっていない。むしろその先にこそ、今回の眼目はある。
 

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研


単独で冴月探しを続けた結果、怪異に意識を囚われてしまった鳥子は「分かってきた」と言う。彼らは理由もなく人を襲っているのではなく、それが人と接触する唯一のチャンネルだからそうしている。あまりに異質で理解不能な彼らが人にアクセスする手段は恐怖という情動しか無いのだと。
彼女が「分かってきた」のはつまり、怪異すらも自分達と「おっさんか猫か」程度の違いしか持たない存在であることだ。その理解は満点に値するものだし、作品によってはそのまま最終回を迎えても良さそうなものでもある。けれど本作は、空魚はその理解を否定する。「分かっちゃダメ」と言う。
 

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
確かに私達は、豊かだろうが貧しかろうが、若かろうが老いていようが、たくましかろうがか弱かろうが同じ人間に過ぎない。そんなものは全て「おっさんか猫か」に過ぎない。けれどそれらの違いを全て、根こそぎ否定してしまったら「私」はもはや「私」でいられない。
愚かさや弱さも含め、他人と違うからこそ「私」という個は存在している。嫉妬や屈折も含め、異なる者やものに向ける感情あればこそ自我は存在できる。だから、全部分かってはいけない。1話の空魚がそうであったように、ギリギリ境目まで波長を合わせるとしても合わせきってはいけないのだ。
 
今回明らかになった空魚と鳥子の相似は、どちらも危なっかしいし面倒くさい女であることは、似ているからこそいっそう2人の違いを引き立てる。違うからこそ、そこには互いへの強い感情が生まれる。「時空のおっさん」はおっさんでも猫でも成立するが、おっさんか猫かでそこに成立するものは違う。
個人の違いなどしょせん表面的なものに過ぎないが、それに振り回されもすれば逆に愛おしみもするのが人間なのである。
 
 

感想

というわけで裏ピクの4話レビューでした。初見時は何が起きているのかすら分からんという有様でしたが、こうやって見立ててみるとだいぶスッキリまとめられたように思います。いや、何が起きているのかはやっぱりよく分かってないのですが。
 
本作は舞台はホラーですが、内容としては人との付き合い方、世界との付き合い方の話なのだと思います(原作とアニメで比重が違う可能性もありますが、未読なのでそこへの言及は避けます)。作りとしてもテーマとしても90年代後半~2000年代ゼロ年代の深夜アニメに親しんだような「おっさんオタ」との相性がいい作品ではないかと思うのですが、どうでしょう?(なお、夕方アニメ全盛期のテレ東が見られなかったしだいぶ屈折したオタク青年期を送った僕はこの条件では年齢以外落第生)
視聴感覚が肌に合っているのを改めて感じた回でした。次回も楽しみです。