区切りあるお付き合い――「裏世界ピクニック」6話レビュー&感想

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研

 
どこに闇が覗くか「裏世界ピクニック」。きさらぎ駅を本拠とした米軍はしかし、駅のホームには見張りを置かない。今は安全だが「電車が来た時」危険だからだとドレイクは言う。つまりそれが安全と危険の「区切り」であり、この6話は区切りを見つけ直すお話だ。
 
 

裏世界ピクニック 第6話「ミート・トレイン」

 
間一髪のところを米軍に助けられた空魚と鳥子は、彼らのキャンプ地に同行する。彼らもまた、沖縄で演習中に部隊ごと〈裏世界〉に迷い込んでしまい、怪異と遭遇することで心身ともに消耗している様子だった。ふと、鳥子が電話が通じるようだと気づく。小桜にかけてみるが、会話の途中から徐々に、小桜が意味不明なことを口走り始める。
 
 

1.見えない中で見いだす区切り

拠点とは一定度の安全を約束された場所として機能するものだ。米軍ともなればその堅固さはお墨付き……ではあるのだが、前回ラストの雰囲気に見られたようにここもけして安心できる場所ではない。発電との兼ね合いから装甲車に使える燃料は乏しく、使えたとしても機械がグリッジの影響を受ける恐れもある。人すらグリッジに影響され変異する恐れがあるこの場所で彼らは不安と戦い続けており、兵士達の精神は限界間近だ。ここでは、安全と危険の区切りは必ずしも定かでないのである。
 

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
しかしそんな状況でも、区切りを己に課すことはできる。指揮官のバルカー少佐は空魚達がグリッジだらけの場所を抜けてきたのを訝しみはするが、警戒に足る不審さでないと判断すれば態度を紳士的に、文明的に切り替える。空魚達に名乗ったあの瞬間、彼は自分のあり方に区切りをつけたのだと言える。
そういうあり方はドレイクにしても同様で、彼は人間でい続けたいと願うが故に空魚達に優しい姿勢を崩さない。怪異に襲われるだけでなく変異すらさせられるこの裏世界は人の生きていけるような場所ではないが、だからと言って人をやめてしまえば元の世界に戻る意味がない。正気と狂気の区切りが見えなくなる場所でしかし、ドレイクは自分に必要な区切りを見つけ出している。彼らが恐れる「獣になる」とは、4話で鳥子が陥りかけた自我と人格の否定だ。自分と他者(世界)との違いをなくした状態のことなのだ。
 
 
かつて空魚が鳥子を鳥子として取り戻したように、区切りは自分と他者を明確に違う存在として定義する。そしてそれは、感謝や敬意の有無とは別個に存在するものだ。空魚と鳥子はバルカーやドレイクの態度に感じ入りはするものの、自分達の体に裏世界による変化が起きていることまでは明かさない。その一線を越えれば、彼らも敵対的になる可能性は否定できない。人がそれぞれ明確に違う存在であるなら、価値判断を変える区切り(基準)もまたそれぞれに違うものなのだから。
 
 

2.区切りを失うことなく人や世界と付き合う方法

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
人はしばしば、他者の越えてはならない区切りを自覚なく越えてしまう。更には、越えた後すらどこが区切りだったのか分からない=区切りなど無かったように思えることも珍しくない。空魚達は電話はおすすめしないというドレイクの警告がどの程度の強さのものなのかを測り損ねたし、電話越しの小桜がどういう意味で、またいつからおかしくなったのかも知ることはできない。そこでは一見、区切りは消失しているようにすら見える。
けれど実際はあるのだ。人魂の塊に弾丸が当たるか当たらないかは認識の有無に左右されていた。空魚自身には分からなくとも、彼女のカラーコンタクトが落ちてそのオッドアイがあらわになった瞬間は確かにあったはずなのだ。そこに確かに理屈は、区切りはあった。
 
区切りの存在を踏まえれば、「認識」すれば近づくべきではないはずのミート・トレインにすら光明の区切りを見つけ出すことができる。魑魅魍魎の闇鍋としか思えぬミート・トレインは乗ったところで安全を保証してはくれない。そもそも乗り込むタイミングすら非常にタイトだ。しかしその中には確かに元の世界への帰路が、危険とは区切られた光明が挿し込まれて・・・・・・いた。
 

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
世界には判断のつきかねる出来事があふれている。例えば事実か不実か分からないような、例えば好機と危機のどちらか分からないような出来事が。けれどそれは、両者が区切りなく「溶け合っている」わけではないのだ。ピアノの鍵盤のように「連続している」のだ。
連続しているなら、両者は互いの違いをなくすことなく混在し、入れ替わることができる。前回の鳥子の「なんとかなるでしょ、2人いるんだから」を今度は空魚が口にするように。パートナーを抱きしめるのが電車の中では空魚の、帰還した後は鳥子の役割であったように。
 
4話で描かれたように、人は個々の些末な違いを無視すればもはや人たり得ない。他者と結びつくことはできるが個は「溶けて」しまう。けれど、個が入れ代わり立ち代わり「連続して」いれば人は人のまま、個を失わずに他者と結びつくことができる。この5,6話はそういう、4話へのアンサーとなる回だったのである。
 
 

感想

というわけで裏ピクの6話レビューでした。昨日のアイプラほどではないがこちらもなかなか書きあぐね。1話1話のテーマを抽出し積み重ねていくのが僕のスタイルですが、中盤になってくると抽出済のテーマで事足りるのではと錯覚しそうになるのが手こずる原因なのかしらん。「書くための要素は揃ってる気がするが書き始めると推進力が足りない。長時間悩んでゴールについてみると当初の目的地は道半ばに過ぎなかった」というのは疎漏も出るし疲労も激しいしよろしくない。プランニングした時の目的地はせめて、道のりの8割9割にはたどり着けてないと。
 
うんうん唸って書き上げましたが、「溶け合うのではなく連続している」というテーマ、上手く説明できてるでしょうか? 人付き合いにも真理の探求にも自己認識にも通じる、とても普遍的なものを見せてもらったように思います。短所が長所を否定するわけではなく、しかし長所によって短所が無視できるわけでもない。好きなだけの人も正しいだけのことも強いだけの人もいなくて、しかし嫌いだったり間違ってたり弱かったりする部分がそれらを否定するわけでは無い。
話数はこれで折り返し。残り6話、この難解さにとことん付き合おうじゃないの!
 
 おまけ