正気と狂気――「裏世界ピクニック」10話レビュー&感想

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
正常と異常が互いに滑り込む「裏世界ピクニック」。10話冒頭、空魚は鏡に自分ではないはずのものを見て、それは一度眼鏡をかけた後は外しても見えない。その後再び異常が起きるわけでもない。境界線は知らぬ間に越えるものだ。
 
 
 

裏世界ピクニック #10「エレベーターで焼肉に行く方法」

鳥子から打ち上げに誘われた空魚。小桜と茜理も来るという。待ち合わせ場所に着くと、店に空席を確認に行っていた茜理から電話が入る。エレベーターに乗ったものの、目的の店に辿り着かないという。茜理の不可解な言動の後、通話が切れる。空魚と鳥子は、茜理の話の経緯から、エレベーターに<裏世界>へのゲートが開いてしまい、その中間領域に彼女はいるのだと推測する。 

 (公式サイトあらすじより)

 
 
 

1.知らず越える境界線、戻れない境界線

 

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
空魚「あ、いや、わたしそんなに髪長くないと思うんだけど……」
茜理「あれ?そういえばそっスね。なんで?わたし、先輩と思って疑わなかった」

 

 
「見る」ことは生物にとって重要な能力であり、人は視覚以外にも様々なものを使って物事を見ている。知識や常識、推測や好悪。私達は学ぶことでその正確性を高めようと努めるが、しかし自分達より学びの不十分な子供のものの見方にハッとさせられることも増えていく。それは私達にはできない、「見えない」ものだからだ。
 
何かが見えるのは何かが見えなくなる入り口で、私達はしばしば知らずしてその境界線を越えるしそこから戻るのは困難を極める。空魚が一度眼鏡をかけて視力を上げれば(見えるようになれば)、もはや眼鏡を外しても鏡に映った奇妙な自分を再び見ることは叶わないように。髪の長い女性を空魚と思い込んで疑わなかった茜理が、一度それが空魚でないと気付けばなぜ自分がそんなことを考えたのか不思議になるように。
 
 

2.見えるものは見えないもの


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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
小桜「ちげーよ。空魚ちゃんも人を助けようとか考えることあるんだなーと思って驚いたんだよ」
空魚「わたしのことなんだと思ってます?」
小桜「だから人の心がない」

 

 
先に述べたように、知らずに越えたのであっても境界線の向こうへ戻るのは難しい。一度エレベーターに乗ってしまえば小桜はもう中間領域行きから逃れられないし、空魚と鳥子はこうした出来事にもうすっかり慣れっこで小桜のように常識的には怖がらない。茜理もまた、共犯者ではなくとももはや日常だけの世界に戻ることはできない。そして、もっとも境界線を越えた先にいるのは誰あろう空魚だ。
 
美貌も銃火器の知識もカラテの技もなければ裏世界の研究をしているわけでもない空魚は、自分が一番常識人のつもりでいる。けれど壮絶な過去や他者への関心の薄さはけして一般的ではないし、何より彼女は裏世界の真実を暴く――「見える」目を得ている。人より何かが「見える」ことは人より他の何かが「見えない」ことで、だから彼女は自分の異質さを認識できない。境界線の向こうへ戻れない。
だが、それは彼女が世界に馴染めないことを意味しない。
 
 

3.正気ほど狂気、狂気ほど正気

 

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
空魚「あの子、予約してんじゃない。しかもなんで私の名前で」
鳥子「必ず来ると思ったんじゃない?」

 

 
どうにか中間領域から逃げおおせた空魚は、自分の正常と異常に関して鳥子と話をする。茜理を助けに行ったのだから人の心がないと言われる筋合いはない、そうするのは当たり前ではないか、いや恐怖に耐えて助けようとするのは誰にでもできることじゃない……それは多分、どれも正解でどれも外れだ。
 
例えば鳥子が言うように、小桜はとても怖がりだ。けれど怖がりである分だけ、そこで見せた態度は彼女の優しさの証明になっている。
例えば茜理は空魚のことを誤解して崇めているけれど、空魚が必ず来ると確信して焼肉屋の予約を入れそれは外れなかった。
 

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©宮澤伊織・早川書房/ DS研
エレベーターは裏世界にも中間領域にも繋がっている。けれど焼肉屋にも繋がっている。私達は正常と異常を遠く離れたもののように扱いがちだけど、両者の距離は共にドア1枚向こうに隣り合ったものでしかない。「見えるほど見えなくなる」「見えないほど見えるようになる」……境界線は戻るのではなく、進むことで逆側に越えるものなのである。
異常を矯めれば正常になるわけではなく、正常であれば異常から遠ざかれるわけでもない。空魚も私達も誰も彼も、人はおかしくなった分だけまともになり、まともになった分だけおかしくなるのだ。
 
 

感想

というわけで裏ピクの10話レビューでした。つ、疲れた。今回はレビューを書くのを諦めようかと思った。「見えないから見える」「見えるから見えない」の先が本当に遠かった。正気と狂気の区別の怪しさの加速する現代によく合った話だったと言えるのではないでしょうか。誰か焼き肉おごってねぎらって。