営みは年賀状のように――「のんのんびより のんすとっぷ」10話レビュー&感想

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©2021 あっと・KADOKAWA刊/旭丘分校管理組合三期
また新たな1年を迎える「のんのんびより のんすとっぷ」。10話冒頭でれんげが広げるのはどれも年賀状。同じ意味を持つ、それぞれ違う手紙達。今回の話は、世界はこの年賀状のようなものだと教えてくれるお話だ。
 
 
 
 

のんのんびより のんすとっぷ 第10話「寒くなったりあったかくなったりした」

 
お正月、宮内れんげは玄関に飾られた門松を見て「かっこいい」とご満悦の様子。ふと郵便受けを確認すると、年賀状が届いていました。
分校の皆からの年賀状を確認したれんげですが、なぜか少し残念そうな表情で…。
その後、家族にも届いていた分の年賀状を手にして茶の間に戻ると、姉のひかげがお年玉を貰おうと一穂にしがみついていました。あまりにも必死なひかげを見たれんげは…。

 

 
 

1.異なる3つの話、同じような3つの話

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©2021 あっと・KADOKAWA刊/旭丘分校管理組合三期
このみ「え?人がせっかくあげたものを返すんだ。それって失礼なことって言ったよね?」
 
今回はお年玉、外遊び、ほのかとの再会の3つのパートで構成されるが、共通するのは「同じようなことの繰り返し」であることだ。例えばひかげはお年玉ねだりを4度繰り返すし、外遊びはトークがひたすら繰り返されるし、ほのかとの再会は言わずもがな出会いの繰り返しである。
 
これらは繰り返しであると同時に、全く同じものではない。ひかげのお年玉ねだりは全て手口が違うし、外遊びのトークは同じことを言っているはずが少しずつ内容がズレて病院がコンビニに変わる。一度会ったら再会はもう別のもの、どれも、同じようで同じではない。
同じようで同じではない。が、ひかげが小鞠達にお年玉をあげる羽目になるのは自分の言葉の反復のせいでもあるように、同じではないようで同じでもある。すなわちこれは、れんげが冒頭眺めていた年賀状――異なる人から同じメッセージを異なる言葉で書かれたもの――と等しい性質を持つ。
 
 

2.れんげが寂しさを感じる理由

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ほのか「じゃあれんげちゃん、また明日ね」

れんげ「また明日なのん」 
 
「同じようで同じではない」と「同じではないようで同じ」。相反するこの二つが同居すると捉えた時、Cパートのほのかとの再会は10話の締めくくりとしていっそう相応しいものになる。
ほのかはかつて帰省した時にれんげと仲良くなるも急用でお別れできず、後日手紙で再会を約束した過去がある。同じようにまた遊ぶ約束は途切れ、しかし手紙がそれを繋ぎ直してくれた。れんげが年賀状を眺めて寂しげな顔をしたのは、かつての手紙と同じ繰り返しがなかったからだ。
 
その寂しさは、ほのかが約束通りやってきた中でもれんげに影を落とす。自分とほのかは、確かにまた同じように遊ぶのを繰り返せた。しかしそれは同じような別れの繰り返しも意味している。それだけは、どれだけ自分が相手を好きでも覆せない。
「同じようで同じではない」「同じではないようで同じ」繰り返しから逃れられないのを感じるから、れんげは以前と同じようにただ楽しんでだけはいられないのである。
 
 

3.繰り返しには絶望と希望が同居している

 人が必ず年を取るように*1、「同じようで同じではない」「同じではないようで同じ」の同居からはあらゆる者が逃れられない。「同じようで同じではない」をただひっくり返しても、「同じではないようで同じ」だから意味はない。必要なのは、そこにある悲しみの喜びへの反転だ。
 

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©2021 あっと・KADOKAWA刊/旭丘分校管理組合三期

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れんげ「今度はちゃんと、さよなら言えたのん」 
 
れんげはかつてお別れも言えなかったほのかにお土産のお菓子を渡し、今度は手を振ってさよならをする。
ほのかはポストで年賀状を待ったれんげと同じように彼女を待ち、もらったお菓子のお返しに自分のお気に入りの髪飾りをあげる。
違う立場の二人に同じように互いを思う気持ちがあり、そして二人のやりとりにこれまでと同じでかつ同じでないものがある。
 
「同じようで同じではない」……お別れはまたやってきてしまったけど、今度はちゃんとさよならができた。
「同じではないようで同じ」……前回とは違うさよならだけど、次もまた会える。
 
1回きりの悲しい別れは、2回目を繰り返してループする出来事になった。同じも同じでないも、繰り返さなければそもそも成立しない。
れんげとほのかはこれからもこうやって、同じような同じでないような出会いと別れを繰り返すだろう。時には喧嘩もするかもしれない。けれど繰り返せる限り二人はやり直せる。わずかに違う同じようなことを繰り返し、同じように繰り返しながらもわずかに違っていく。それはこれまでも様々な人が様々な形で繰り広げてきた、ありふれた営みだ。
 
年賀状のような「同じようで同じではない」「同じではないようで同じ」の同居は、私達をしばしば絶望させる。けれどそれは、希望でもあるのだ。
 
 

感想

というわけでのんのんびより3期10話のレビューでした。2回の視聴で書けた。やはり5回6回見ないと書けないケースは消耗が感動を上回ってしまって割に合わないな……
 
「同じようで同じではない」「同じではないようで同じ」の同居に絶望しそうになっていたので、今回のお話にはうるうるしてしまいました。まあ、うるうるできるのは同居を「遠景」として見ることができた時に限られるのだとも思うのですが。
 
 

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©2021 あっと・KADOKAWA刊/旭丘分校管理組合三期
1期未視聴でほのかについては聞き及ぶ形でしか知らなかったのですが、れんげがほのかと手をつないで駄菓子屋にいくのがホント大好きなんだなーと感じられて愛おしい気持ちになりました。数年間定点観測したくなる、良いお話だったと思います。感謝。
 
 
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*1:つまり年齢としてはお年玉をあげる側になるように