生きる写真、生きる記録――「ゾンビランドサガ リベンジ」9話レビュー&感想

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©ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会
過去編その2となる「ゾンビランドサガ リベンジ」9話は、喜一の佐賀奪還運動が軌道に乗り始めたが故に遮られるゆうぎりや伊東との関係から始まる。「蘇り」はただそれだけで終わらない。今回はその裏表と、そこから見えるゾンビィの意義について書いてみたい。
 
*「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」9話のレビューは6/6日曜更新を予定します。すみません。
 

ゾンビランドサガ リベンジ 第9話「佐賀事変 其ノ弐」

時は来た。
佐賀を取り戻す時が。
成し遂げた私を、あのひとはどんな顔で迎えてくれるだろうか。
何一つ実情を知らなかった私は、そんなことを思っていた。
これは闇に葬られてはならない真実だ。
この手記が、新たな世を生きる多くの同志の目に触れることを願う。
―――――『佐賀県立歴史資料館』所蔵 《ある青年》の手記より

公式サイトあらすじより)

 
 

1.蘇りの裏にあるもの

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同志「あがん嘆願書ごときで、我ら佐賀の怒り恨みは晴れはせん!」
 
9話前半、はっきり描かれるのは蘇りのもたらす負の側面である。ゆうぎりの清書によって蘇った佐賀奪還運動は賛同者も増え喜一の一人相撲ではなくなったが、それは喜一・正次郎・ゆうぎりが共に過ごす時間を確実に奪っている。そして喜一自身にそのつもりがなくとも、彼の運動は佐賀戦争の生き残りに再び反乱の意思を蘇らせてしまっていた。
 

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伊東「佐賀に潜む逆賊どもの監視が俺の役目。単なるガキの戯言で終わればそれでよし、だが事一線を越えた以上は……」
 
喜一がもたらした蘇りは結局、最悪の結果を招く。奪還運動の同志は再び反乱者となり、伊東は反逆者の監視と抑止という役割に戻り彼らを斬殺することとなった。「寝た子ば起こして」と喜一が言うようにそれはどちらも蘇りであり、「みんな死なせて」……同志の肉体的な命も、伊東の友人としての命も奪ってしまった。蘇りはけして幸せだけをもたらしてはくれない。
蘇りはいつも、裏表のようにもう一つの事象を伴う。すなわち「死」である。
 
 

2.蘇りと死のセット

蘇りと死がセットであると仮定した時、この9話には役割の大きくなるキャラクターがいる。「じっちゃん」「バーのマスター」こと徐福である。
 

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徐福がゆうぎりから飲まされる薬は相当に不味いらしく、強引に飲まされた彼は服毒「死」にすら見える強烈な反応を示す。しかしそれは間違いなく薬なのだ。心も体もほとんど寝たきりの動く屍となった彼を「蘇らせる」ものだ。すなわちこの時、蘇りと死はセットになっている。徐福はこの後も死と蘇りを繰り返すが、それは全て同時進行する喜一達との対だ。
 

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反乱者達の前に伊東が立ちふさがったのと時を同じくして、徐福は苦しみに跳ね起きる。寝たきり同然だった彼がもがきながら薬を求める様は死への最接近でありながら強烈な蘇りであり、それと対照的に喜一の前には斬死した同志達の躯が転がる。
 

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伊東「だからやめとけって言ったんだ、俺は」
 
薬を取りこぼし徐福が死を感じさせれば、伊東は喜一に面をさらして己が誰かを蘇らせる。
 

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ゆうぎり「あなた様がこの文を読まれる頃には、わっちはおそらくもうこの世にはおりんせん」
 
夜明けと共に目を覚ました――「蘇った」徐福はゆうぎりの手紙を目にする。それは遺言状であり、すなわち己の「死」の知らせ。全ては全て、蘇りと死のセットだ。
 

3. 蘇りと死を同時に持つ者

蘇りの裏には必ず死がある。そして、死の裏側にも蘇りがある。徐福の描写から見えるこの仮説はもちろん、喜一達にも作用する。
 

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伊東「誰もが思うまま自由に生きる世界、か……」
 
官憲のスパイとしての生しか選べなかった伊東が喜一の友人として蘇るためには、死の淵へ立たねばならなかった。
 

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ゆうぎり「喜一はんの言葉で動いた人達が、大勢死にんした。このままではみんな無駄死にでありんす、喜一はんが志を遂げない限り!」
 
自分の甘さがもたらした悲劇に絶望した喜一を蘇らせたのは、自分の行動によって多くの人間が死んだ重さの自覚であった。
 

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ゆうぎり「そして、あなたさまがほんに佐賀そのものであるのなら、喜一はんの築く新たな佐賀を導いてやっておくんなんし」
 
動く屍と化していた徐福をその精神まで蘇らせたのは、死を覚悟したゆうぎりの遺書であった。
 

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そして時は現代へ戻り、ゆうぎりは蘇っている。現代に戻っているとはつまり、代償としてこの8,9話の時代を生きた人間はみな死んでいるということだ。
「佐賀事変」のライブに挿入される喜一達は、当然ながらもう生きてはいない。踊り遊ぶ喜一と伊東も、ゆうぎりがかつて過ごした郭の人々も、彼女が佐賀で芸事を教えた少女達も、旅芸人もみなもう死んでいる。笑い合う喜一と伊東の姿に私達が胸を締め付けられるような気持ちになるのは、それが失われた過去だと知っているからだ。既に死んだものと知っているからだ。そして、その姿を見るたび私達の中で彼らが蘇るからだ。
 

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喜一「魂抜かれると思っとるとか?」
 
写真や記録は、それが現在は存在しない証明である。既に過ぎ去り「死んだ」証明である。そして同時に、写真や記録はそれを見る者の心に死者を「蘇らせる」*1ならばゾンビィとはある意味、自ら考え動く写真や記録のようなものであろう。
それが物語として最終的に何を見せてくれるのか僕には未だ想像できないが、近づく終わりで何かを見出だせることを期待したい。
 
 

感想

というわけでゾンサガ2期9話レビューでした。今回は何の要素を拾ったらいいか悩みました。喜一達の蘇りと死がトライアングルになってないかとか、2人なら死ぬけど3人なら蘇るんじゃないかとか考えたんですけどどうもしっくり来ず。「蘇りと死がセット」を中心に書き出してみた結果、写真撮影も取り込めて30分のおおよそを切り捨てせずにまとめられたかなーと……
EDが切ないったらなくてたまりません。「選べもしない」動く屍だった伊東を蘇らせたのが喜一だったんだ、選べない中でも選んだのがあの最後だったのがいっそう感じられて。
 
さて、次回は大古場が幸太郎に迫る。この8,9話をテーマ的な土台にどんな話が繰り広げられるのか、残りもシリアスさが前面に出そうですね。
 
 

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*1:ゆうぎりが明治維新の元勲に送った「手紙」も同様か。なんだか「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を思い出してしまう