「例外」を巡る闘い――「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」レビュー&感想

 小説 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上) 新装版 (角川コミックス・エース)

 

30年余りの時を経て映像化された「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」。三部作の始まりとなる今回は、主人公ハサウェイが何と戦うのかを示す物語だ。それを読み解く鍵は彼の所属する組織「マフティー」にある。
 

1.マフティーはなぜ例外なき地球退去を求めるのか

機動戦士ガンダム」シリーズは連邦vsジオンというのがおなじみの構図だが、「閃光のハサウェイ」で地球連邦に挑むのはマフティーというテロ組織だ。マフティー・ナビーユ・エリン(=ハサウェイ・ノア)を首魁とするこの組織はジオン残党ではない故に、ニュータイプの概念や宇宙移民の権利保護といったものを主張とはしない。ではその目的は何か?――冒頭、マフティーと戦うケネス・スレッグ大佐は彼らの宣言を紹介してみせる。「連邦政府の閣僚を暗殺した後で、地球環境のために全ての人類は地球から出なければならない」と宣ったのだと。
 
『例外なき地球からの退去』……ケネスが評するようにそれは極端な発想だ。この宇宙世紀の世界で人類が宇宙に進出しているのだって理念としては地球環境のためだし、宇宙への居住を基本とはしても地球のキャパシティを越えない範囲であれば『例外』とするのは考えとしては穏当であろう。
だが『例外』とは蟻の一穴だ。どんなに厳しい基準もちょっとした例外をきっかけに緩んでいくし、その例外が生む利益に人は吸い寄せられていく。本作の地球では不法滞在者や時には居住証を持つ者であっても拉致・強制送還されており、地球に住む『例外』的権利はもはや支配階級の特権となってしまっている。『例外』の持つ悪魔的な側面が顕在化してしまっているのだ。だからマフティーは地球退去について一切の例外を認めない。
マフティーの目的は地球環境保護である以上に、「特権の温床となる例外の破壊」なのである。
 
 

2.ハサウェイのジレンマ

マフティーの目的を例外の破壊と捉えた時、前半でハサウェイが目にするものは例外の連続である。搭乗したシャトル・ハウンゼン356便はよほどの権力・財力かコネでもなければ乗れない代物だし、シャトルジャックの後にダバオで用意された豪華な宿泊施設や政府持ちの支払いで自由に使えるカードなども特権階級の持つ例外の数々に他ならない。それらはどれもハサウェイが破壊しようとしている、憎むべき「敵」である。 
……しかし、マフティーは果たして本当に、例外をなくすための活動ができているのだろうか?
 
ダバオでハサウェイが乗ったタクシーの運転手は、マフティーを「学があり過ぎる」と評する。自分達は今日明日を生きるのに必死で、明後日のことを考える彼らほど暇ではないのだとも言う。簡単に言えばインテリ批判なわけだが、これはハサウェイにとって耳の痛い指摘だ。インテリとは一般人にとって知的例外・・階級なのである。例外をなくそうと闘う自分達自身が例外的存在になってしまっていれば世話はない。
これはけして市民に限った話ではなく、マフティーに呼応して動く反乱分子にしても、ハウンゼン356便での偽物騒動が示すようにその理念を共有できているとは言い難い。ハサウェイがダバオの町で直面するのは、例外をなくしたいのに自らが例外になってしまうジレンマであった。
 
 

3.例外のない世界で

自分がマフティーなのではないかと疑われないよう、ハサウェイはダバオの町を仲間達に攻撃させる。自分のビルの宿泊階を伝えはするが、巻き込まれない保証はどこにもない。これはハサウェイへの嫌疑を晴らすための陽動であると同時に、マフティーの理念である「例外の破壊」である。そして、ここで破壊される例外はけしてそれだけではない。
 
マフティーの攻撃は爆弾ではなくMSメッサーを用いて行われるが、ハサウェイの嫌疑を消すためである以上それがもたらすのは暗殺ではなく破壊的テロだ。市街地で連邦のMSグスタフ・カールと戦えば、それだけで無辜の市民が死んでいく。テロとはもともと民間人を攻撃対象の『例外』から外すものであるから、これは見ようによってはマフティーの理想とする世界の顕現とすら言えるだろう。
だが、そこにあるのはもちろん楽園などではない。
 
炎が燃え盛り建物が崩れ落ちる中で、『例外』はことごとく崩れ落ちていく。同じホテルに泊まっていた客は不倫の最中であったようだが、事態はもちろんそんなことを斟酌してはくれない。ハウンゼン356便で出会った不思議な――つまり例外的に見える――少女ギギも恐怖に怯え、どこにでもいるような存在になってしまう。また今のハサウェイはマフティーとして疑われるわけにはいかないから、メッサーを操縦していたガウマンが仲間(=例外的な存在)であっても助けることができない。
 
例外なき世界は特権なき世界であると同時に、大切なものであっても特別扱いの許されぬ世界だ。そして同時に、例外にしたい(特別扱いしたい)ものを浮き彫りにする世界でもある。仲間との合流のためにも見捨てるべきだったギギを、ハサウェイは置いていくことがどうしてもできなかった。ある意味で彼は、自分の理想の世界に負けたのだ。
 
 

4.例外を壊すために

例外を巡るこのドラマの中でハサウェイが痛感するのは、例外がいかに無くし難いものであるかということだった。そもそも人は、自分だけは例外だと例外なく思っているものだ。他人に厳しく自分に甘いのも、思わぬ事態に「よりにもよって、まさか自分が」とほぞを噛むのも、自分だけは例外だと心のどこかで思ってしまっているからこその心理だろう。ハサウェイにしてもそういう慢心があったからこそ、閣僚の顔を見ておきたいという無謀なアイディアを皮切りに仲間を危険にさらしてしまった。
 
例外をなくすためには、例外を巡る道理の例外にならなければならない。逆説的だが、例外的存在によってこそ例外は例外でなくなる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。それは彼が最後に手にする力、クスィーガンダムも証明している。この機体の登場は強大な戦力の獲得だけでなく、先に『ガンダムタイプ』として登場した姉妹機ペーネローペーからその例外的地位を奪うものだからだ*1
ハサウェイにとってマフティー・ナビーユ・エリンになるとは、「例外をなくす例外」になることなのである。
 
ハサウェイはペーネロペーを撃墜し、相手から例外を奪うと同時に自らは例外になることに成功した。しかし、パイロットであるレーン・エイムは奇跡的に――つまり「例外的に」生還に成功していた。それがギギのもたらす幸運のおかげだとケネスが考えることはすなわち、彼女を例外的存在であると信じることだ。自らがそのような存在と思っていなかったギギもまた、自分を試してみることを決める。
例外の存在が世界の道理である以上、MSを1機落とすだけで例外がなくなったりはしない。30年の時を経て幕を開けた「例外」を巡る闘いは、果たしてどんな表情を私達に見せてくれるのだろうか。
 
 

感想

というわけで閃ハサのレビューでした。富野監督がメガホン取るでなし、小説は原案くらいの扱いを想像してたのですが「あ、このセリフ原作でも言ってたな」と20年以上前の記憶が蘇るほど原作に寄せてて驚きました。まあ今より更に理解力の劣る時分に読んだ僕が原作を理解できてたとは到底思えないし、この映画はあくまで同名のオリジナル作品というつもりで見ていきますけども。
今回はハサウェイの「例外規定がある限り、人は不正をするんだ」というセリフが印象的で、そこを軸に読み解きを試みてみました。古さを感じる作品になるのを懸念していましたが、どっこい現代的な面白みが十二分に期待できそう。続編が楽しみです。
 
 

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*1:ガウマン「マフティーだってガンダムを手に入れられるってことだ!」