数多の灼熱への応援歌――「灼熱カバディ」12話(最終回)レビュー&感想

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©2020武蔵野創・小学館/灼熱カバディ製作委員会
越える一歩を踏み出す「灼熱カバディ」。水澄が、宵越が吠える。最終回12話は繰り返しの先に何があるのか見せてくれる話だ。
 
 

灼熱カバディ 第12話(最終回)「全て出し尽くした先に」

残り時間1分。紅葉に5点のリードを許す能京は王城を失い、疲労もピークに達していた。そんな中、宵越は攻撃の手を緩めず何とか2点取り返す。しかし、王城をコート内へ戻すことは叶わなかった。それでも諦めない能京は、水澄の活躍によって再び士気を高める。残り15秒。宵越に気合が入る。「今度は俺の番だ……」と。
 

1.水澄が突破するもの

練習試合ラスト1分の激闘が描かれる今回、敵味方を問わず選手達を動かすのは過去の数々である。だが過去を力に変えることなら前回、佐倉に呆気なくあしらわれた水澄だって同様だったはずだ。「過去は消えず、消えないからこそ先に繋げられる。しかしそれは誰もが同じだからこそ、前に進んでいようと過去は繰り返される」……水澄が、能京高校が前回ぶつかったのはそういう壁だった。いったい何が違うのか? まずは前回を振り返ってみよう。
 

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©2020武蔵野創・小学館/灼熱カバディ製作委員会
前回の水澄の発奮は、かつて公式大会でチームに貢献できなかった悔しさによるものだ。その悔しさはけして間違いではなく、練習で王城を意地の勝負にまで追い込んだし伊達との協力で一度は佐倉を止めもした。だが、それらが参照するのは水澄1人の過去だけ・・・・・・・・・だ。自分以上に経験(過去)を積んできた佐倉の過去に、前回の水澄は一瞥もくれていない。
 
自分の過去を参照すれば確かに己の力を引き出すことはできる。だが自分以上の過去を積んできた人間を前にした時、それは限界にぶつかる。合同練習の際に佐倉が言ったように、敵は自分の予想の2,3段階上を行く恐れがある。自分の過去を参照するだけでは「自分の予想の2,3段階上」を想像することはできない。前回の水澄は、自分の過去の参照に必死で相手の過去を想像しなかった。だから呆気なく、自分の予想の2,3段階上を行った佐倉に弾かれたのだ。
 

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佐倉(来ない!?)
 
今回の水澄は自分の過去だけを参照しない。佐倉の回転を予測し読み合いの土俵に立てたのは、水澄が必死に佐倉の過去を参照した結果だ。そして参照すればするほど、水澄は佐倉の存在を認めずにはいられない。だから彼は佐倉への最後の守備で、彼の名前ではなく彼がエースであると知っていることをこそ叫ぶ。相手の過去を参照するとは相手を尊重すること。相手に自分の想像を押し付けないこと。
 

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水澄「知ってるよ、エース!」
 
自分も相手も前進しているのなら、相手の前進すら自分の前進に加えていこう。前回ぶつかった壁に対して水澄が見つけた答えは、そういうものだった。それを見た宵越が今度は自分の番だと闘志を燃やすのは――仲間の過去を参照して力にするのは、バトンの受け渡しとして最良のものだろう。
 
 

2.宵越が救うもの

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自分以外の人間の過去も参照し力に変える。水澄が示したものは偉大だが、大なり小なりは皆がしていることだ。王城を戻らせるため4点奪取を狙う宵越の狙いを右藤が見抜いたり、佐倉が試合中の経験から伊達のパワーこそを経験したことなどもそうだろう。後半見るべきは宵越個人だけではない。もっと離れた視点から見える、相似の数々にこそある。
 

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右藤「俺は思ったよ。『その通りです』と!」
 
佐倉が抜け逆転される危機を迎えた右藤は、関東ベスト8に残りながらもワンマンチームと呼ばれた過去を振り返る。部員達は己の弱さを認めながらも積み重ねてきたわけだが、それは王城のワンマンチームだった能京高校の姿に似ている。
 

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宵越「PK戦みてえなもんだ。結果はどうあれ、大事な場面で外すイメージは持たねえんだ。ガキの頃からずっと……ずっと」
 
勝敗のかかる大事な場面を、宵越はサッカーのPK戦に重ねてみせる。紅葉の時間を潰す作戦を見抜いた時もそうだが、サッカーでの経験はカバディでも生きている。全くの別競技はしかし、大事なところは似ている。
 

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佐倉「回った……!?」
水澄・伊達「佐倉の!」

 

右藤の渾身のキャッチを振りほどいたのは、佐倉と同じ回転であった。練習などできたわけもないぶっつけ本番、頭の中に選択肢があったかすら怪しい。だが、勝利のために宵越が選んだ道は自然と佐倉に似ていた。
 

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右藤(そうだ、俺だけじゃねえ。どいつもこいつも、燃え尽きるほど!)
 
右藤は気付く。積み重ねてきたのは自分だけではなく、仲間だけでもなかったことを。誰もが必死だった。燃え尽きるほどの灼熱の世界に足を踏み入れた者達の姿は、みな似ているのだと。
 

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宵越(あと一歩なんだ。いつもいつも……俺はあと一歩を越える。全て越えると、決めたんだ!)
 
だから宵越が示すのは、勝利というよりも希望だ。一つとして同じでないこれまでがしかしどれも「あと一歩」で、よく似たそれを彼らは繰り返してきた。けれどその繰り返しの応酬の中で、その繰り返しを積み重ねることで人は「あと一歩」を越えることができる。挫折も過ちも悔しさも全ては糧であり、それでも進んだその先によく似た景色とは違うもの――新たな世界が待っている。
そしてその可能性は、誰もが実は似たように持っているものだ。全く違う過去を持つ水澄と宵越が同じように叫ぶように。宵越と王城の負傷が同じ箇所であるように。敗者である紅葉がけして打ちひしがれはしないように。勝利を喜ぶ王城にも、レイダーとして宵越への敗者の意識があるように。王城と同じチームには入れなかった佐倉がしかし、別の形で約束を果たせたように。
 
誰にも未来は生まれ得るのだ。勝者にも敗者にも。道を違えた師と弟子にも。何もできなかったと打ちひしがれる者にも。全てに、必死でもがいている者全てに。
 

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©2020武蔵野創・小学館/灼熱カバディ製作委員会
「目指せ日本一!」……最後に描かれるカレンダーが、どこの学校のものかは示されていない。どこだっていいし、どこだって同じだろう。能京も奏和も紅葉も、誰もが同じくこの言葉を胸に研鑽を積んだはずだ。古今東西、スポーツに情熱を燃やす者達の志はみなどこか似ていて、同時に一つ一つがかけがえがない。
全て出し尽くした先であれば、そこに答えは生まれているのである。
 
 

感想

というわけで灼熱カバディの最終回レビューでした。水澄の奮闘を読み解いた後ではたと「後半の宵越をどう読んだら?」となったのですが、似ている要素を重ねる内に宵越だけに集中しなきゃいいのかとひらめきました。宵越だけが主役という書き方ではなかったし、そもそも紅葉は能京と似た要素の強い学校として現れたわけだしなあ。ドラマ的には最終回で初めての勝利である一方、物語としては勝者と敗者を似せるのがすごくいい。ここで1クール終わるのも納得。
 
1話でカバディってコミュニケーションなんだと書きましたが、最後まで見てもやはりそういう話だったなと思います。そしてそういう話に弱い。1話でも最終回でもウルウルしてしまいました。手に汗握って応援した、とても良い視聴時間でした。ぜひ、この先をまたアニメで見たい。スタッフの皆様、素敵な作品をありがとうございました。
 
 

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