ひとときの子宮――「白い砂のアクアトープ」3話レビュー&感想

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©projectティンガーラ
辛さや苦しみを包み込む「白い砂のアクアトープ」。3話は幼いくくるががまがま水族館を訪れた時の回想から始まります。産休中の獣医・竹下先生の描写と合わせて、今回はがまがま水族館がどんな場所なのかにまた一歩迫ってみましょう。
 
 

白い砂のアクアトープ 第3話「いのちは、海から」

お互いのことを知り少しずつ打ち解けてきたくくると風花。出張でおじいが不在のこの日は、2人でペンギンの体重測定をすることに。風花はエサやり時の失敗を感じさせないほど手際よく仕事をこなしていく。一方くくるは1羽のペンギンの異変に気がつく。命を預かることの重責から不安になった彼女はおじいの帰りを待てず産休中の獣医・竹下に相談するが……。
 
 

1.くくるを守ってくれる場所

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前回は「完璧であろうとしている(=完璧でない)」ことが示されたくくるですが、今回の彼女はもっと穴だらけ。未熟でか弱い存在として描かれます。水族館のことしか考えていないくくるの進路はそれが潰れれば途端に危うくなるし、幼い頃に両親を亡くした心の穴は魚達によってどうにか埋められている。くくるにとってがまがま水族館は単に愛しい場所というだけではなく、彼女を物理的にも精神的にも守ってくれている場所だと言えます。
 

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そして普通の水族館は水があるのはあくまで水槽の中だけですが、がまがま水族館の水は時に幻によって館内全体にまで満ち、悩み苦しむ人を包み込みます。呼吸を奪うのではなく、むしろ安らぎを与える水中――記憶こそありませんが、人は誰もがそれを経験しています。そう、羊水に満たされた子宮の中から私達は生まれてくる。
1話の風花や今回の竹下先生が見たのは海であると同時に羊水の幻であり、その時がまがま水族館は擬似的な子宮と化していると言えます。これはもちろん、がまがま水族館に物理的にも精神的にも守られているくくるにとっても同様でしょう。
 
ただ、がまがま水族館が子宮であるならそこには一つの制限がつきます。「いつまでもその中にはいられない」ということです。
 
 

2.ひとときの子宮

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赤子はいずれ子宮から出なくてはなりません。永遠に羊水に浸かっているわけにはいきません。しかしそれが望んで子宮から出たい時かと言われれば一概にそうではないでしょう。今回の竹下先生のように、予定日を過ぎてはいますが事故的な破水によって出産が始まることも珍しくはない。
子宮――のように個を包摂する空間――は、包摂する方もされる方も望んだだけ続けられるものではありません。幼きくくるの両親との死別は、くくるにとっても両親にとっても本意ではなかったはずです。
ですが、くくるにとっての魚達がそうであるように、子宮の代役を他のものが務めることはできる。破水で危機に陥った竹下先生は、お腹の中の子供どころか自分自身すら羊水の中に、擬似的な子宮の中に包摂されています。
 

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一つはもちろん、キジムナーの幻によって見えた自分の子供との出会いの予感。彼女を包む海の水は羊水。
もう一つは彼女を楽な場所に寝かせ、覆いで囲ったくくる達がまがま水族館の人々。
そしてもう一つは、「揺れないようにゆっくり、でもできるだけ急いで」産院へ連れて行ってくれる夏凜の車。外部の衝撃から守ってくれるそれは鋼鉄の子宮。
 

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くくるは竹下先生を励ます時、彼女から教わった言葉を復唱しました。「水族館は命を預かる場所なんだ」と。
「預かる」とはつまり、一時的なものであることです。ペンギンが運動不足になりがちなように、水族館はどれだけ環境を近づけようが魚達の本来の住処である海にはなれない。そこでの飼育は海から「預かっている」に過ぎない。
ですが一時的であっても「預かって」くれるのを必要とする命はたくさんあります。くくるや竹下先生はもちろん、館長に拾ってもらったという空也にとってもアイドルとして挫折した風花にとってもがまがま水族館は自分を「預かって」くれる場所に他ならない。
竹下先生が複数の擬似的な子宮にリレーされて(預けられ続けて)出産にこぎつけたように、人は本物の子宮からは出たとしても同様のものを必要とし続ける存在なのでしょう。そしてそのリレーの中に、がまがま水族館は確かに含まれている。
 
傷ついた人、挫けた人、立ち止まりそうな人……悩み苦しむ人々がひとときの間、包摂される空間。がまがま水族館はきっと、そういう場所なのです。
 
 

感想

というわけでアクアトープの3話レビューでした。うへ、メイドラゴン3話同様にほとんど1日潰れてしまった。明日はGレコⅢ見に行くし(何か書けるかどうか不明)明後日はかげきしょうじょだし、4連休とは何なのか。ちょっと真面目に考えた方が良さそう。
 
 

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