片思いの上書き――「かげきしょうじょ!!」4話レビュー&感想

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
傷ついた者達の再起を描く「かげきしょうじょ!!」4話、和解のクライマックスでも手と手は触れ合わない。人と人が通じ合うのはあまりに困難で、しかし通じ合わなければ無意味なわけではない。
 

かげきしょうじょ!! 第4話「涙の上書き」

 

1.解消されない片思い

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
4話で重要な役割を果たす「キモヲタ」さんであるが、彼の行動は片思いの連続だ。愛の姿に受けた衝撃も救いも絶望も全ては一方的で、愛の知るところではない。そもそもにしてアイドルとは圧倒的に見られる側の存在なのだから、片思いの一方通行になるのは当然の話だろう。
 

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
だが、今回は片思いをやめ手を取り合う……という話ではない。愛に絡んできた男達を止めようとするキモヲタさんの行動はヒロイックだが男達には何がなんだか分からないものだし、彼の負傷に愛はハンカチを差し伸べつつも二人の手が触れることはない。片思いは結局、解消されてはいないのだ。では果たして今回の話では、いったい何が前進したというのだろう?
 
 

2.繰り返しが洗練を生む

先に触れたように、キモヲタさんの片思いは最初から最後まで解消されていない。しかしそもそも、世の中の人々は言うほど気持ちが通じ合っているものだろうか?
 

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
さらさ(永遠の片想いかあ。ふふっ、暁也さんはいいこと言いますね)
 
例えばさらさは愛と絶好になってしまったこと、それでも彼女と仲良くなりたい悩みを幼馴染の暁也に相談するが、SNSの向こうにいたのは兄貴分の煌三郎で彼女が見たのは暁也からの返事ではない。通じ合ってはいないのだが、その回答は的確でさらさは感心する。
 

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
例えば愛は恐怖のあまりさらさを一人置き去りにしてしまったことに罪悪感を抱いて彼女を助けに行くが、戻った先に待っていたのはキモヲタさんと一緒にオタ芸を踊るさらさであった。また、愛がその行為にどれだけ覚悟を要したかはさらさにはなかなか伝わらないし、さらさは事情を知ってもそれはむしろ喜んでほしいと反論したりする。
 

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
愛「これが今の、わたしの精一杯なの」
 
人と人がコミュニケーションすることで社会は成り立っているが、実際のところその精度はけして高くない。まるで正確に伝わっていなくとも上手く回ることもあれば、当然共有できると思っているものが欠けていて思わぬ失敗を導くこともある。社会は本質的に、片思いの循環でできている。
だがしょせん片思いに過ぎないからこそ、人は繰り返しその思いを伝え(あるいは受け取り)続けなければならない*1。繰り返し繰り返し伝えて――上書きして、より良いものへを変えていかねばならない。愛がハンカチを手渡すほどの勇気は持てなくて、それでも感謝を伝えようとするように。
 

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
愛(その時、彼女はどんな顔をしていたのだろう。後ろを歩くわたしからは見えなかった)
 
立場上、愛の渡したハンカチは返らない。受け取った思いや言葉はもうキモヲタさんのもので、キモヲタさんも自分の思いを伝えるだけ伝えて去っていく。それはどこまでも片思いの応酬で通じ合わなくて、それでも互いの心に何かを残していく。奈良田愛と「北大路幹也」がコミュニケーションするとは、人と人がコミュニケーションするとはそういうことなのだろう。
 
片思いの応酬を繰り返す度、人は伝えられない自分を、未だ知らぬ相手を認識していく。どこにでもいる誰かではなく、ここにだけいる誰かを知っていく。今回の騒動を通して、愛が人を避ける理由をさらさが知ったように。さらさもまたけして傷を持たない人間などではないと、見えない表情から愛が窺い知るように。その繰り返しこそは前進を、人の洗練を生んでいくのである。
 
 

感想

というわけでアニメ版かげじょの4話レビューでした。ドルヲタが出てきて推し武道やゾンサガあたりから着想を援用できたおかげか、珍しくすんなり書けた。類型的な「キモヲタさん」に瞳が入って名前が明かされて、という段取りがいいですね。「バスの男」「港の男」「謎の男」だったEDのクレジットが今回「北大路幹也」になってるの地味にぐっときちゃう。
 
愛の視線上で有象無象でしかない人々に色がついていくお話でもありましたが、では「普通」を属性化されている山田彩子はどんな風に山田彩子たり得ていくのか。次回を楽しみに待ちたいと思います。
 
 

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*1:これはおそらく、第1話で提示された「終わりなき競争」と重ねて見られるものだ