もう一人の申し子――「ゲッターロボ アーク」5話レビュー&感想

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©永井豪石川賢/ダイナミック企画・真早乙女研究所
激突止まぬ「ゲッターロボ アーク」。5話の副題である「申し子」はもちろん拓馬のことでありゲッターアークやアークチームのことだが――果たして申し子は、彼らだけだろうか?
 
 

 ゲッターロボ アーク 第5話「申し子」

19年前の光景を幻視した拓馬、カムイ、獏。同じ頃、現実でも早乙女研究所に侵入した女王蟲が大量の蟲軍を操り、ドラゴンの居る研究所の深部を目指していた。通路に溢れる蟲軍を掻い潜り、何とか〝アーク〟に乗り込む拓馬たち。だが防衛システムのクジャクまで敵に乗っ取られ出足を挫かれる。申し子の気迫で立ち上がる拓馬たち。しかし、大量の蟲軍を止めるには、もはや地獄の窯の蓋を開き、ゲッター線を開放するしかない。それはカムイにとって命懸けの作戦だった。
公式サイトあらすじより)
 

1.5話は矛盾に満ちている

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©永井豪石川賢/ダイナミック企画・真早乙女研究所
アンドロメダ流国の女王蟲に侵入された早乙女研究所が舞台となる今回は、(話の粗という意味ではなく)色々と矛盾の多い回だ。旧研究所にいた拓馬達はその最下層に侵入した女王蟲ともっとも近い場所にいるが、敵を倒すためには一度離れてゲッターアークを取りに行かねばならない。また女王蟲の目標は旧研究所最奥のゲッタードラゴンだが、ゲッター線渦巻くそこを目指す彼女はわざわざ死地を目指しているに等しい。敵味方を問わず、今回の話は矛盾に満ちている。
 

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©永井豪石川賢/ダイナミック企画・真早乙女研究所
だがそもそも、生きることはそれ自体が矛盾に満ちている。楽に暮らすために苦しい労働をせねばならず、安寧に生活できる権利は辛い戦いに身を投じなければ勝ち取れない。それらは社会的なものとしても、そもそも私達は他の生き物の命を奪って食さずには自分の命を保てない。生きる限り私達は、矛盾から逃れることができない。
 
 

2.矛盾から逃げない者こそ「申し子」である

私達は生きる限り矛盾から逃れられない。ならば強き生は矛盾に眼をつぶるのでなく、正視することによってこそ紡がれる。
 

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©永井豪石川賢/ダイナミック企画・真早乙女研究所
隼人「確かに、私の行動はいつも矛盾している」
 
隼人は己の矛盾にいつだって自覚的だ。愛する人々を守るための戦いで婚約者に危険な爆弾処理を任せ(て失い)、ハチュウ人類とのハーフであるカムイにとってゲッター線が危険と知りながら彼に"地獄の釜"への最接近を命じる。残酷な人だというカムイの評を、隼人は全く否定しない。
 
隼人のありようは「清濁併せ呑む」などという甘っちょろいものではない。その言葉は往々にして濁を正当化するための言い訳、矛盾を回避するための言葉として使われるが、隼人は自分の残酷さ酷薄さをけして否定しない。人を救おうとする自分が人に残酷である矛盾を、誰より真正面から受け止め続けている。だからこそ彼は生きている。"生き残らされている"。
 

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©永井豪石川賢/ダイナミック企画・真早乙女研究所
隼人は確かに竜馬には置いていかれ、弁慶が眠るドラゴンの繭をただ封印することしかできていない。しかし矛盾に目をつぶらず正視し続ける彼の生き様は、人間には希望であり他の生物には絶望となるゲッター線のありようとそのまま重なるものだ。竜馬や弁慶のようにゲッターロボと運命をともにせずとも、隼人もまた間違いなく「ゲッターの申し子」なのである。
 
 

感想

というわけでゲッターロボアークの5話レビューでした。矛盾を鍵におよそは昨日の内に書けたのですがどうもボンヤリしていて、今朝方ジョギング中に「隼人もゲッター線の申し子」というワードが浮かんでようやく締められた感じです。しかしゲッターアークの口、単なる表情付け以外に積極的に使われるなあ。「他の生き物の生命を食べて生きる」というのが視覚的ではある。
次回はカムイのバックボーンなんかにより触れる展開になってきそうで、これまでとはまた違う波乱がありそうですね。
 
 

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