"日常系"は終わらない――「きんいろモザイク Thank you!!」レビュー&感想

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©原悠衣芳文社/劇場版きんいろモザイクThank you!!製作委員会
きんいろモザイク Thank you!!」見てきました。劇場版でも変わらず日常系という、保守的なようで挑戦的な本作の作りに着目して以下レビュー。
 
 

 

 

1.映画館で日常系?

きんいろモザイク Thank you!!」は映画らしからぬ作品だ。スクリーン映えするカメラワークや枚数をふんだんに使った細かな動きなどはほとんど見られず、82分の長尺ながら伏線やどんでん返しといったものもまるでない。「30分のTVアニメの特にほんわかした回を82分、映画館で見た」……見終わった最初の印象はそういう、拍子抜けにも近いものだった。
 
映画館で見る、映画らしからぬ作品――だがこれを「スタッフが映画というメディアを分かっていない」「日常系はしょせん中身が無い」などと考えるのは浅はかだろう。2016年に劇場公開されたスペシャルエピソード「きんいろモザイク Pretty Days」は、高校受験を舞台に登場人物の一人・小路綾の新たな一面を感動的に描き出している。同様に感動をもっと前面に出す内容にすることはけして不可能ではなかったはずだ。
 
確かに劇場作品ではあるんですが、だからといって画角の広いカットをたくさん入れたり、情緒を強調した画面作りをしたりすると、それはそれで『きんいろモザイク』らしさから外れてしまうんです。
(「きんいろモザイク Thank you!!」パンフレットP.14 監督 名和宗則インタビューより)

 

製作委員会に提示された方針が2つありました。ひとつは前作『Pretty Days』との差別化のために受験をあまりメインにしすぎないこと。もうひとつは、TVシリーズで描いたような日常を大事にすること。
(「きんいろモザイク Thank you!!」パンフレットP.18 シリーズ構成・脚本 綾奈ゆにこインタビューより)

 

 
パンフレットのスタッフインタビューにあるように、本作は映画であっても変わらず「日常系」であることを明確に志向して作られている。では、その意義はどこにあるのだろう?
 
 

2.日常系であり続ける意義

TVシリーズではのんびり見るのがメインだった作品が、映画や続編となれば感動や哲学的な内容を主題に据えてくることはけして珍しくない。何も無いように見える作品も内面にテーマを秘めていることは多いし、なんならテーマというのは物語が続けば自然と発生するものだからだ。
しかし確かに作品の内にあったものだとして、今まで隠れていたそれが最前面に出た作品はそれまでと同じものだろうか。どれだけ感動的だったとしても、それはある意味ジャンルとしての敗北、転向とも言えるのではないか。シリーズが続くにつれ、作品から最初の面影が失われていくパターンは枚挙に暇がない。「Pretty Days」に続く流れとしてもっと感動的に「Thank you!!」が作られていれば、それはある意味で月並みな変遷として終わっていただろう。
 
 
感動的だが陳腐になってしまう、続編が陥りがちな危機。だが「Thank you!!」はそのようには作られず、卒業までの1年をどれか一つのイベントを中心に据えることなく描ききった。82分を「日常系」として描ききった。
これが凄まじいのは、受験や卒業といった物語の"人気メニュー"すら特別視されていないことだ。ロケハンによって緻密に描写されながらも修学旅行の中でサクサク通り過ぎていく京都や奈良の有名建築物のように、本作ではあらゆるものが日常の一コマ以上の役割を持たされていない。これは忍達5人や周囲の人間の間柄にしても同様で、彼女たちは些細な行き違いや普段と違う一面を見せることはあっても、それは大きな変化を招いたりせずすぐ修復されてしまう。簡単に言えばこの82分は、日常の危機をそこかしこに忍ばせつつもそこから回復する様を描き続けている。
 
本作に散りばめられている日常の危機と、そこからの回復。これはもっと大きな出来事にしても同様で、本作は高校を卒業して母国イギリスに帰ったアリスが忍に思いを馳せながら、直後に忍もイギリスの大学に入っていたことが明かされる場面から始まる。卒業という危機から、アリスと忍の日常が失われなかったことが象徴的に示されているのだ。
 
 

3.変わり続ける世界の中の"日常"の価値

"日常"というのは当たり前のように感じられながらもその実、非常に脆いものだ。仲のいい人間がわずかなすれ違いで険悪になることは珍しくないし、ずっとやっていくと思っていた趣味がちょっとした環境の変化で続けられなくなったりもする。"日常系"の主な舞台となる中学や高校に至ってはわずか3年の出来事に過ぎず、それが過ぎれば幸せな繋がりも多くは結び目が解けていってしまう。
 
けれど忍達はその脆い日常を、けして手放さなかった。受験しようが卒業しようが、映画になろうが5人の関係を忘れることはなかった。もちろん、全てが全てそのままとはいかない。綾と陽子とカレンは日本の女子大に進学しているし、留学生の忍がファウンデーション・コースを経由する以上、同じイギリスの大学に通ってもアリスと忍には学年差が生じたりもする。始まりがあれば終わりがあり、何にでも変化は付きものだ。
けれどそれでも一緒にいたいと願うなら、変えたくないと願うなら、いくばくかは続けられることもある。世界は広いが意外と近くもあり、日本とイギリスはけして彼岸の如き遠くに離れてはいない。ならば変わらぬ"日常"は確かにそこにある。
 
 
忍とアリスは卒業という変化を迎えながらも一緒にい続けた。イギリスと日本で別れた綾達も、旅行によって再会し5人一緒の時間は再び取り戻された。本作は映画という大きく異なる舞台に立ちながらも"日常系"であり続けた。それは朗らかな表層に反し、けして容易い道ではなかったはずだ。
 
"日常"は脆いがしかし、時に回復し取り戻せる、したたかでしぶとい存在でもある。
21世紀未曾有の疫病によってかつての日常が脅かされ変質し、終わりもしている今だからこそ、5人が保ち続ける"きんいろモザイク"な日常は希望の輝きを放っているのである。
 
 

感想

というわけでアニメきんモザの完結となる映画のレビューでした。「映画っぽくない映画だなあ」というのが第一印象でしたが、パンフから引用したようにそれが意図的であるならどういう意味を見出だせるだろう?ということで書いてみたのがこちらです。
 
僕が本シリーズを視聴し始めたのは2015年の2期からですが、そこから考えても色々なことがあったわけで。そんな中でこの映画を見られたのは、とても幸せなことだと思います。修学旅行で恋バナしたくてたまらない綾とか、相変わらずかわいさいっぱいだったなあ。
良い作品でした。感謝。
 
 

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