特別はいらない――「小林さんちのメイドラゴンS」11話レビュー&感想

f:id:yhaniwa:20210918020236j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
無二を手にする「小林さんちのメイドラゴンS」。11話、小林さんの腰痛解消に自分の肉を差し出すトールだが、当然食べてはもらえない。副題通り、それは特別料金を払うようなものではない。
 
 

小林さんちのメイドラゴンS 第11話「プレミアムシート(特別料金はかかりません)」

本格的に腰を痛めて来た小林さん。改善しようと健康グッズを買い漁るが、それらはほとんど使われないまま……。業を煮やしたトールがしっぽ肉を食べさせようとするも、あえなく拒絶。トールは、小林さんが求める「一般的な治療法」を探し始める。
 

1.解決法のバランス

f:id:yhaniwa:20210918020253j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
トール「というわけで、小林さんと同じ職場の貴様らをお呼びしました」
滝谷・エルマ「二人称も丁寧に呼んで?」

 

 
今回は小林さんの腰痛話とトールの過去の二本立てだが、前半で分かるのはトールの軽重の価値観が未だ人間と噛み合ってはいないことだろう。姿勢の悪さが原因で腰を痛めるなどドラゴンの彼女には想像もつかないことだったし、相談のため滝谷とエルマを丁寧に呼んだつもりでも二人称が滅茶苦茶だったりする。こうした価値観の違いあればこそ、トールは小林さんのしてほしいことを想像できているつもりで自分の肉を差し出したりしてしまう。小林さんにしてみれば腰痛という平凡な悩みにドラゴンの肉は見合っておらず(単純に食べたくないのもあろうが)、トールの反応はあまりに大げさなのである。
 

f:id:yhaniwa:20210918020306j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
トール「この程度でいいんですか?」
小林さん「うん?この程度でいいよ」

 

小林さんの腰痛は結局、あれやこれやの特別そうなリラクゼーションの道具の数々ではなく振動させたトールの尻尾を器具にすることで解決される。ドラゴンという希少な生き物の関わる治療法としてはあまりに平凡――だが、平凡な悩みには平凡な解決法こそが釣り合うものだ。無闇に特別なものを持ち出せば、滝谷の指摘する黄泉戸喫(よもつへぐい)の如くかえって災いを招きかねない。バランスあってこそ初めて、解決法は解決法たりえると言える。
 
 

2.過剰な解決法

問題と解決法は、釣り合いあってこそそれぞれたり得る。この命題は後半、より大きなスケールをもって語られている。
 

f:id:yhaniwa:20210918020329j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
トールの父である終焉帝は、数百年戦っては数百年戦力が整うのを待つと言う争いを続けていた。我々人間からすれば気の遠くなるような話だが、神を倒し世界を調律者なき状態にするためと言われれば見合ってはいるだろう。神と戦うにはそれなりの規模というものは必要だ。
 

f:id:yhaniwa:20210918020344j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
終焉帝(勢力に迎合しなければ、トールは迫害されると思った)
 
だが、この壮大な戦はそれに見合った成果を上げているとは言い難い。長引く内に現れているのはむしろ弊害の方だ。最初は一丸となって戦っていたドラゴン達の中に裏切り者(調和勢)や両勢力を見限る者(傍観勢)が現れ出し、それに対し混沌勢としてカテゴライズされた勢力の中では終焉帝自身も自らの身の置き所を考える必要に迫られていく。事態は複雑化するばかりで、つまり終焉帝の戦いは「解決法」として機能していない。
 

f:id:yhaniwa:20210918020356j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
終焉帝「戦う理由は神を倒し、世界を調律者なき状態へ戻すこと。管理されることを嫌悪するからこそ、牙を剥いて自由を勝ち取ろうとした」
 
なぜ戦いが解決法として機能しないのか。ここで振り返るべきは、そもそも終焉帝達がなぜ戦いを始めたかだろう。神を倒すため?違う、それは手段に過ぎない。彼らが戦いを始めたのは「管理されることを嫌い」「自由を勝ち取るため」だったはずだ。なのに分類され思想を制限され、枠組みを作るようになっては本末転倒である。そう、終焉帝の起こした戦いは小林さんの腰痛にドラゴンの肉を持ち出すようなものだった。彼らの戦いは、問題に対して過剰な解決法だったのだ。
 
 

3.特別はいらない

f:id:yhaniwa:20210918020413j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
過剰な解決法は事態を悪化させるか、解決しても傷を残す。例えばトールにとって神から受けた剣の傷は、自らが採った過剰な解決法の代償であった。
小林さんと出会うきっかけにもなった、トールと神の戦い。それがいったい何の問題を解決するためだったのかは今回、自身の口から語られている。
 

f:id:yhaniwa:20210918020425j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
トール(わたしは、何も選べない。そうか。わたし、嫌なんだ不自由が)
 
彼女は何も選べない自分が嫌で、しがらみを壊すために神へ挑もうとした。自由になるために、一人になるために挑もうとした。トールがぶつかった問題とはすなわち、不自由さの壁だったのだ。終焉帝が彼女に自由に旅をさせたにも関わらず。
 

f:id:yhaniwa:20210918020457j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
終焉帝「色んな場所へ行き、色んなものに触れ、自分の考えを持ってほしかった」
 
終焉帝はトールに自由に行動させたが、それは彼女の成長に一定の方向性を期待してのものだった。人間を蔑む姿勢に疑問を抱く程度が彼の期待した「自分の考え」で、それ以上に自分の手元から離れることは想像できなかったのである。もし旅の結果、終焉帝の思惑通りの思考になっていたら――それは本当にトールが「自分の考え」を持ったとは言えない。そんなものは父の枠組み・・・の中で踊っているに過ぎない*1
 

f:id:yhaniwa:20210918020522j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
トール(お父さんは尊敬してるけど、終焉帝の娘なんてしがらみ、邪魔だ)
 
旅の結果は、終焉帝の想像以上の変化をトールにもたらしていた。彼女は、自由に旅をしているにも関わらず自分が、そして自分の思考が混沌勢や調和勢、終焉帝の娘であるといったしがらみに縛られていることに気付いてしまったのだ。彼女のぶつかった不自由の壁とはすなわち、父という名の神がどうしても調律してしまう枠組みであった。
 

f:id:yhaniwa:20210918020534j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
終焉帝「だが、トールは暴走した」
小林さん「暴走?」
終焉帝「単独で神の陣営に突っ込んだのだ」

 

だからトールはこの枠組に反逆する。単独で神の陣営に突っ込むなど父からすれば暴走としか言いようのない行動だが、その愚行によって初めて彼女は父の枠組みから外れることができる。親の想像を超えた判断をしてこそ、子は巣立ちの時を迎えられるのだから。
 

f:id:yhaniwa:20210918020551j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
トール(一人って、自由って、結構怖かったんだ……)
 
ただ、父という名の神への反逆であるとは言え、それを本物の神に仮託し挑むことはやはり解決法としては過剰だ。故にトールは解決と共に深い傷を受ける。彼女を待っていたのは孤独に無目的という過剰な自由であった。過剰な解決策は、勢い余って自らを傷つけてしまったのだった。
けれど今の彼女の手には幸せがある。ドラゴンと人間が強い絆を育むという形でトールは父の想像を越え、そこには解決法としての過剰さはない。そして、そのバランス自体がまた周囲をも変えていく様を本作は描いてきた。
 

f:id:yhaniwa:20210918020607j:plain

クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
トール「小林さん。わたしは、メイドになりたかったんです」
 
加減というのはいつの世も誰の手にも難しいもので、理屈では分かっていても気持ちが高まれば気軽に間違えてしまう。どれだけ自分が相手のことを思っていても、相手の方が望んでいなければお節介なだけ。そして、だからそれが釣り合う時というのは至上のかけがえの無さを持つ。
自由と隷属、望みと奉仕といったものの釣り合いには大仰な、特別な何かはいらない。「小林さんちのメイドラゴン」でいることで、トールはその釣り合いを取ることができるのである。
 
 

感想

というわけでメイドラゴン2期の11話レビューでした。遅くなりましてすみません。気分的な要因もあるかと思いますが、繰り返し見ても雲を掴むような感覚でテーマの仮説が浮かばず。8回目位で「特別と平凡」を思いつくもそれだけでは最後のトールの回想が上手く処理しきれず、「父という名の神への反逆」が浮かぶまで更に数時間ウンウンと……さすがに複雑過ぎないかしら。ぐったりしております。しかし整骨院要らずのドラゴンマッサージ、気持ちよさそう。
 
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>

*1:旅でどうなってほしかったかを語る時、ドラゴンは額縁の枠組みの中にある