逃げも負けも許されない理由――「プラネテス」2話レビュー&感想

空回りか前進か。「プラネテス」2話ではハチマキの夢と苦悩、そして事件が訪れる。シャトルデブリのあわやの衝突の危機は、彼の迎えた心の危機と同じものだ。
 
 

プラネテス 第2話「夢のような」

タナベに新人教育をするハチマキ。そんな中、会社の同期のチェンシンの花形部署での出世が決まった。お祝いをする友人たちの輪の中でハチマキはうわの空。自分の夢である宇宙船の獲得は全く進んでいないのだ。そんな時、回収困難なデブリがあらわれる。それは3年前、ハチマキが新人だった時、回収に失敗したデブリだった。
 
 

1.ヒューマンデブリ・星野八郎太

ハチマキ「このまま一気に社長でも目指すか?」
チェンシン「ならないよ。僕は木星往還船の船長になるんだ」

 

この2話では新たに、カオ・チェンシンというキャラクターが登場する。品行方正にして知的で真面目、所属は航宙課。ハチマキとはかけ離れた人間だが、同期の縁もあって仲もいい。劇中では貨物船のパイロットから客船の副操縦士に昇格し、ハチマキを始め同期から祝福を受ける。……だが、喜びながらもハチマキは鬱屈とした気分にもなっている。それはある点で二人は実はよく似ていて、そこで水をあけられてしまったと感じるからだ。
 
チェンシン「ハチも早く宇宙船が手に入るといいな」
ハチマキ「……お、おう。そうだな」

 

二人の似ている部分とはズバリ、その抱いている夢だ。チェンシンの夢は出世そのものではなく木星往還船の船長になること、ハチマキの夢は自分の宇宙船を手に入れること。それぞれ別個のようだが、もしハチマキが自分の宇宙船を手に入れれば当然彼はその船長ということになる。二人は船こそ違えど、船長になりたいというのが実は変わらぬ夢なのである。
 
まだ副操縦士とはいえ昇格で順風満帆なチェンシンと、相変わらず平社員で宇宙船どころか宇宙服も買えないハチマキ。どちらが船長に近いかは言うまでもない。チェンシンとのやりとりでハチマキは何度か「船長」というワードに反応するのは、自分とチェンシンの夢がニアミス(異常接近)していると感じるからなのだろう。
 
ハチマキ「チェンシン、お前はすげえなあ。俺は……俺は何やってんだろうな、いったい」
 
このニアミスは後に発生するシャトルと衛星デブリの衝突危機と重なるものであり、つまりシャトルデブリはそのまま二人の立場に置き換えられる。落ち込んで話がまともに耳に入らず、喧嘩や八つ当たりもしてしまうハチマキの姿は、自他いずれからも見てもデブリ同然なのだ。
 
 

2.逃げも負けも許されない理由

フィー「ハチ、早く戻って!シャトル軌道に侵入してる!」
 
夢に向かって邁進するチェンシンに比べ自分が惨めなデブリに見えるハチマキと、事故でシャトルの軌道に飛び込んでしまった衛星デブリ。立場やスケールを異にしながらもどこか重なって見える関係性は定番だが、この2話ではそれは特に多い。
 
例えばデブリ回収時のタナベの接触ミスは似たようなことをハチマキもしているし、食堂で騒ぐ同期達はみな愛すべきろくでなしとでも言うべき共通点を持っている。宝くじでゲンを担ぎ当たるか否かで一喜一憂する姿が現代の私達と大差ないように、時代や考えが違っても人の本質はさほど変わらないものなのだろう*1
こうした変わらなさは時に、噴射に失敗した時の空回りのように意味のない繰り返しに思える時もある。だが似ているとは、繰り返しとはそんな一面的なものではない。
 
ハチマキ「ちょっと待てよ……このシャトルはチェンシンが乗ってるやつだ!」
 
ハチマキは、デブリが衝突軌道に入ってしまったのがチェンシンの乗るシャトルと気付いて目の色を変える。友人の危機なのだから必死になるのは当然だが、ハチマキが自分も巻き込まれる危険も顧みずデブリを軌道修正しようとする理由はそれだけではない。物語上も、人命が理由ならチェンシンが乗っている必要はない。
 
ハチマキ「今回ばかりは逃げも負けも許されねえ、許されねえんだよ!」
 
チェンシンが乗っていることがハチマキを必死にさせる理由――それはおそらく、先に触れたように彼が自分同様夢見る人間だからだ。社長のような出世コースの頂上ではなく、途方も無い上に他人には理解し難い夢を持つ同志だからだ。
もし自分によく似たチェンシンの夢を潰してしまったら、ハチマキにとってそれは自分の夢を潰すに等しい。だから彼は今回ばかりは逃げも負けも許されないのである。
 
 

3.繰り返しの繰り返し

ハチマキ「推進剤からするとワンチャンス、しかも回ってるやつの中心を射抜けなきゃアウトだ……やれるかな、マジで……」
 
友と自分の夢を潰さぬため、ハチマキは命がけで衛星デブリの軌道変更を試みる。だがその方法は、何か前例の無いアイディアを閃くといった派手なものではない。衛星デブリのスラスターが中心を射抜くように噴射させ、空転させずに軌道変更する。それだけだ。原理としては初心者のタナベが練習している宇宙飛行とそう変わらず、だがそれが難しい。何日も練習してようやくできるようになったタナベに「できて当たり前なんだよ」と素直じゃない喜び方をしたハチマキはこの時、スケールこそ違えど同じ事をできるか確信を持てずにいる。
タナベのいる場所などとっくに通過したはずの彼がぶつかっている壁はしかし、実際のところ同じようなものだったのだ。似たものだったのだ。だが、ならばできない道理が無いのもまた同様だろう。
 
船長「ハン課の連中がやったみたいだ。加速してこっちの軌道の上に……」
 
あわやというところで軌道は変わり、シャトルデブリの激突事故は防がれる。原理は同じと言っても当然、人間と衛星デブリでは噴射が射抜くべき中心を捉える難しさは違う。3年前のハチマキならできるか悩むことすらできなかったろう。
確信が持てなくとも挑むだけの力を身につけさせたのは、何も変わらなかったと嘆いたはずのよく似た3年の日々だった。よく似たこれまでにない壁を、よく似た日々が突破させてくれたのだ。奇妙な話だが、繰り返しを突破させてくれたのもまた繰り返しだったのである。
 
ハチマキ「はは……なんだよ、できたじゃないか。な、チェンシン……!」
 
同時にこの出来事は、よく似た幾人もの人々を救っている。自分によく似たチェンシンを救ったことはハチマキ自身にとっての救いになったし、ハチマキが救われたことは実は子供っぽさで彼とよく似ているタナベにとっての救いにもなっている。
ハチマキは他人を救ったことで自分も救ったし、自分を救ったからこそ他人もまた救えた。そして彼がタナベにかけた言葉は、かつて自分が先輩にかけられた言葉ともよく似ていた――繰り返しになっていた。
 
ギガルト「焦んなよ、ゆっくりでいい。ゆっくり、ゆっくりだ……」
 
ハチマキ「まだまだ始まったばっかりだ、焦んなくていい。ゆっくり、ゆっくり積み上げていけばいいって」
 
時間、規模、能力、性別、立場、エトセトラエトセトラ……隔絶するかの如きこれらの違いを抱えながら、しかしすべての人の営みはよく似た繰り返しから逃れられない。それは空回りに見える絶望でもあり、同時に一人ひとりの悩みが実は孤独なものではないという希望でもある。人間の一生はきっと、その間を繰り返し行き来するものなのだ。
 
 

感想

というわけでプラネテスの2話レビューでした。1日遅れですみません。どうもこの作品を見ると余計なことを考えがちでして。
ハチマキは入社3年ですがこの作品は放送から約19年経ってるわけで、未視聴とは言え当時若者だった人間の一人としては「積み上げていけばいい」では話が終わりません。自分が、自分達世代が、自分達の国が本作の放送時から何を積み上げてきたのか?あるいは積み上げられなかった(積み上げさせてもらえなかった)のか?はたまたどんなツケを積み上げてしまったのか?19年という歳月はむしろ、積み上げてきたものの方に目を向けさせるのに十分なものだと思います。この作品を今見るのって、放送から今回の視聴までの間、宇宙空間で加速し続けてきたボールにバットを当てなきゃならないような苦しさがある。
 
またレビューを書くにあたっては当初「時間的な繰り返し」にしか目が向かず、今回の繰り返し=類似がもっと広い範囲でまとめて考えられるのだと気付くのに手間取りました。仕事ものとして見ると「最近の若者はすぐ辞める」みたいな言説が主流だった頃を思い出す部分もありますが、テーマとしてはそれに留まらずもっと広い部分で包括できる内容だと思います。
 
あとタナベが悶絶しそうなくらいかわいい。次回の活躍も楽しみです。
 
 

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*1:人種から何から違う5人が同じように踊る姿はコミカルであると同時に示唆的だ