50年越しの遺言状――「プラネテス」3話レビュー&感想

ロングスパンで一周する「プラネテス」。3話では保険と遺言状を巡る賑やかなドタバタ、そして50年前の宇宙葬を巡る騒動が描かれる。前後半で大きく雰囲気の変わる今回はしかし、死の先へのメッセージである点で一貫している。
 
 

プラネテス 第3話「帰還軌道」

宇宙業務でのいざという時の為に遺書を書くことになったタナベ。ハチマキの遺書を参考にしようとするが、そのどうしようもない内容にガックリ。自分が死んだ時、いったい何を残せばいいのだろうか?その時、50年前に宇宙葬にされた、宇宙飛行士の棺桶がToyBoxに回収される。再び宇宙に戻そうとするクルー達。それに対して、タナベはとんでもない行動に出てしまう。
 

1.保険外交員の人混み

ラビィ「今年も厄介な季節がやってきましたねえ」
課長「保険屋さんの説明聞いてるとなんか入っちゃうんだよねえ」

 

前回、ハチマキの苦悩を通して現代と未来の変わらぬ悩みを描いた本作だが、この変わらなさは3話でも同様だ。危険を伴う宇宙の企業であるテクノーラ社の社員は遺言状の提出を求められる季節となり、それに合わせてデブリ課の皆も保険外交員の怒涛の営業に晒される。テレワークの普及でまた少し話は変わりつつあるが、職場で保険勧誘に辟易した記憶は少なからぬ人に共通するものだろう。
……とはいえ、テクノーラ社を訪れる保険外交員の数はいささか異常だ。宇宙ステーションには、テクノーラ社社員の総数とどちらの方が多いのかと思ってしまうほどの数の人が押し寄せている。変わらない現代と未来、という言葉では説明がつかないほど多い。いくらなんでも多すぎる。
 
フィー「やっぱりもう1台フィッシュボーンを出すわ。数が多すぎる」
 
ここで思い出したいのが今回のデブリ回収事情で、ハチマキ達は別にプレートや人工衛星といった単一のデブリを回収しに行ったわけではない。人間でも回収できるような微細なデブリが溜まっている場所の掃除が当初の目的で、しかしそれはハチマキとタナベの二人だけで回収できる量ではなかった。多すぎた・・・・。そう、今回登場する異常な数の保険外交員はデブリと同じだ。
 
保険外交員「3ヶ月だけ、3ヶ月でいいから!全部あげるこの粗品!」
 
社員の活動に支障をきたすレベルの彼らの営業活動はシャトルデブリが衝突するに等しく*1、ならば本作としてはこのデブリを回収・除去しなければならない。だがこれは別に、監督や脚本家が作品に乗じて保険営業を断罪したいとか言ったレベルの話でもない。なぜなら彼らが大挙してテクノーラ社を訪れるのは遺言状の更新の時期だからであり、保険に関するデブリを考えるなら遺言や死に関するデブリについても考えなければならないからである。
 
 

2.雑念という名のデブリ

タナベ「遺言なんて、いきなり言われてもなあ……」
 
遺言状。言葉としては知らない人もないだろうが、書いたことのある人は限られるだろう。そもそも、書こうとしてもたいていは手が止まってしまうはずだ。親兄弟や親戚、親しい友人のどこまで書くか、どういったことを残すべきか? 範囲や対象の「べき」はたくさん浮かぶかもしれないが、もちろん全てを書けるわけはないしパッと浮かぶようなことだけでは大切なものは書き逃してしまう恐れが拭えない。
今まさに死のうとしているわけでもない時、遺言状を考える人の頭の中は雑念というデブリでいっぱいだ。大量の保険外交員はデスクワーカーの課長やラビィにも作業員同様の保険を勧めるが、こうした不要な保険プランに埋もれて必要な備えが分からなくなってしまうのと状況は同じなのである。
 
ハチマキ「金とか言葉とかさあ、遺したいものってそうじゃねえんだよ。じゃあ何遺すんだって聞かれたら分かんねえけどよ」
 
死んだら終わりと公言するハチマキは親兄弟に遺す言葉などそれ自体がデブリのようなものだと考えているわけだが、彼も定型的な遺言状、つまりデブリまみれの遺言状では本来の意味を果たせないことは感じ取っている。そんな彼の前に現れたのが50年前の宇宙葬カプセル、死者の先輩であった。
 
 

3.50年越しの遺言状

ファドランの娘「いつも遠い目をしている人で、私を見ていても目の焦点は私を通り越していました。父の目の焦点は、いつも深宇宙で結ばれていたのです」
 
大量のデブリ拾いの残業で、ハチマキ達は偶然近くを通ったカプセルを回収する。それは50年以上前に死んだ宇宙飛行士、イブン・ファドランの遺体を収めた棺であった。遺言によって宇宙の彼方へ飛ぶ宇宙葬にされたはずが、重力を振り切れず帰ってきてしまったのだ。次に地球に接近する軌道に乗るのは700年後、奇跡とすら言える確率の回収であった。
コンタクトを取った娘は父は遺言状でも触れないほど家庭を顧みず宇宙を志向した人であり、もう一度宇宙に送ってほしいと答えるがタナベはそれに反発し地球の家族の下へ返すよう主張する。その理由はなんと、遺体が奇跡的に帰ってきたのはファドランが本当は後悔していたからというものだった。この回収は偶然ではないというのだ。
 
タナベ「どうして奇跡が起きたんだと思います?それはファドランさんがそう願ったからです。奇跡を起こすくらい強く願ったからです!地球に戻りたい、家族のところに行きたいって!」
 
ハチマキが言うように、タナベの理屈は底なしに馬鹿げている。死んだ後の遺体の軌道など本人が関与できるわけはなく、単なる偶然と考えるのが常識だ。だがそもそも、こうして遺体が地球に近い軌道に帰ってきたこと自体が常識から外れたことではなかったか。偶然の中の偶然とすら言えるこの状況はむしろ必然であり、金や言葉とは違うメッセージ・・・・・・・・・・・・・なのではないか。
劇中、遺すべきものは愛だなどと歯の浮くようなことを言った彼女を誰もが呆れ混じりの目で見た。しかし彼女はこの場でただひとり、常識のデブリに邪魔されることなく"遺言状"を解読していたのである。
 
ハチマキ「けっ、何が愛だよ。俺は認めないぞ、宇宙がそんなに甘くてたまるかってんだ!」
 
一人で生きていくには宇宙は広すぎるとタナベは言う。実際、見ざる言わざる聞かざる作戦で一人を決め込んだ課長とラビィは保険外交員の前に虚しく屈服したし、タナベ自身も遺体を地球に返すには多くの人と折衝しなければならない。人は一人では生きて行けず、純粋な宇宙飛行士だったファドランも結局は振り切れなかったその重力こそは、タナベの言う"愛"なのだろう。俺は認めないと一人エレベーター*2に乗るハチマキもきっと、そこから逃れることはできないのだ。
 
 

感想

というわけでプラネテスの3話レビューでした。今回は20年前の作品という雑念には捕まらなかったのですが、それでもずいぶんと苦労しました。書類に始まり書類に終わる形態に固執してしまった一方、保険外交員達の存在をなかなかテーマに紐付けられなかったのが理由です。今回は運良く時間が取れたけど、毎回月曜中にレビューできる気が全然しないなこれ……
 
それにしても、すぐ喧嘩になる割には素直に慕ってたり世話を焼きまくったり、タナベのかわいさがとどまるところを知らない。なんか当て馬登場っぽい予告でしたが、次回はどうなるんでしょうね。
 
 

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*1:序盤で一番迫られるのがパイロットのチェンシンというのが象徴的

*2:デブリ課は最下層とのことだから、これは当然重力に逆らう上向きであろう