彼女が天使な理由――「プラネテス」9話レビュー&感想

立ち位置が変わる「プラネテス」。9話ではハチマキの師とも言える人物の登場が物語を動かす。今回は彼と彼がつけるあだ名について考えてみたい。
 
 

プラネテス 第9話「心のこり」

ハチマキの師匠のギガルトが、保安指導のためデブリ課にやって来た。ギガルトは以前デブリ課にいたので、課員と親しい。タナベは彼らが話すのを聞き、デブリ課の面々の過去を少し知って、嬉しかったり、驚いたり。しかし、ギガルトとともにある事件を解決した直後、タナベはギガルトの重大な秘密を知ってしまう。
 

1.ギガルト先生

ギガルト「教えたろう。宇宙の男は決断を早く、だが慎重にしろとな」
ハチマキ「先生!?」

 

この9話では軌道保安庁のギガルトという人物がテクノーラ社へ保安指導にやってくる。以前は同社のデブリ課所属だったギガルトは当然タナベ以外と顔見知りで、特に彼に船外活動を教わったハチマキは再会を喜ぶことしきりだ。
 
ギガルト「名前を覚えるのは苦手でね。だからあだ名を付けて覚える」
 
大柄で筋肉質、豪放磊落にして面倒見も良い。ギガルトは包容力に満ちた人間であり、彼の前では皆が子供のようになってしまう。おそらく上司だったであろう課長まで含めて皆にあだ名をつけて呼ぶ彼の前では、デブリ課の誰もがギガルトの生徒のようなものだったのだろう。ハチマキが今もギガルトを先生と呼ぶのは単なるクセではなく、彼の人間性を的確に表したこれもまた"あだ名"だと言える。
 
ギガルト「野菜を摂れと何度言ったら分かるんだ!」
 
実際、デブリ課所属でなくともギガルトの行動は先生そのものだ。来社理由である保安指導はもちろんとして、彼はそれに留まらず船外活動のいろはや食生活についてまでもハチマキ達へ指導を行っている。本質的に彼は教育者であり――そして保護者だ。
 
ギガルト「いや、いいんだ。怪我じゃない。……癌だよ」
 
デブリ課の保安指導の最終日に起きた不法投棄事件の後、ギガルトは吐血し実は治療不可能なほど癌が進行していることをタナベだけに明かす。ハチマキには黙っていてほしいと頼む。彼に心配をかけたくないと願うギガルトは、デブリ課や軌道保安庁の身分を離れてなお「先生」であり続けている。……だが、これは単に美談や強さとして片付けてしまっていいものなのだろうか? これを考えるのにうってつけなのが不法投棄を巡る描写だ。
 
 

2.身動きの取れない漂流

タナベ「すごい、1回で……!」
 
物事には作用と反作用を始め、正反対のものが多く存在する。宇宙空間での姿勢制御はガス噴射の反作用で行われるし、7話の伝説的宇宙飛行士ローランドの白血病やギガルトの癌は長期間宇宙にいた反動のようなもの。大抵の物事は単一でも不動でもなく、何かと相対的な関係にある。
 
ハチマキ「単に捨てるとセンサーに引っかかるからな。だからああして、一つのデブリに見えるようくっつけてるんだ」
タナベ「それって、もしかして犯罪じゃないんですか!?」

 

これを分かりやすく示しているのが先に触れた不法投棄事件で、デブリ回収に向かったハチマキ達は既にそれに接触している人間を見つける。彼らはハチマキ達より先にデブリ回収に来た……のではなくその逆だった。既にあるデブリに核燃料や産業廃棄物をくっつけて捨てていく、ハチマキ達とは逆にデブリを不法に増やす犯罪者だったのである。
 
デブリ屋「たかがデブリ回収船のくせに、なんてデカいエンジン積んでやがるんだ!」
 
不法投棄者達と彼らを軌道保安庁に突き出そうとするハチマキ達の争いは正反対のものに満ちている。ハチマキ達の宇宙船トイボックスは旧式のボロ船だがそれ故に現行の常識に合わない部分があり、大型のアームやエンジンはロックした相手の宇宙船を容易に逃さない利点になる*1
 

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© 幸村誠講談社/サンライズ・BV・NEP

ハチマキ「接着剤!?廃棄物をデブリにくっつけてたやつか!」

 
また不法投棄者にとっては接着剤や溶接機はデブリの接着やアームの切断のための工具だが、転用すれば相手の動きを止めたり機器を破壊する武器にもなる。これらの他に、ギガルトがハチマキを助け不法投棄者に殺人未遂の罪が加わったのを告げればむしろ相手が逆上し、その攻撃で破損したギガルトの噴射機が姿勢制御ではなく彼を宇宙に放り飛ばすじゃじゃ馬となってしまうのも反作用の一つと言えるだろう。
 
タナベ「よろしくお願いします!だって、わたしの先生は先輩でしょ?」
 
有益無益や幸不幸がそうであるように、何を反対側に置くか――相対あいたいするかによって人や物事は姿を変える。ハチマキにとって「先生」はギガルトだがタナベからすればそれは自分だし、ギガルトにとってはローランドがそうだった。そうした相対する相手を失うことは、人にとっては身動きが取れなくなる・・・・・・・・・・のと同じことだ。
 
 
不法投棄者の攻撃で噴射機を破損したギガルトは、どうにかそれ以上の噴射を止めることには成功したものの宇宙空間に放り出されてしまった。身動きが取れなくなってしまったわけだが、これは実のところ彼が置かれた立場そのものだ。
 
 
フィー「亡くなりました、先月……私とハチが看取ったんです」
 
ギガルトにとっての先生、つまり自分を教え子に戻してくれるローランドは7話で死んでしまった。もはや彼はどこに対しても誰に対しても「先生」でしかいられない*2のであり、それは宇宙を何に捕まることもできず漂うのと同じくらい不自由な状況なのである。故に、そんな彼を救うのは物理的な救助に留まらない。
 
 

3.彼女が天使な理由

ギガルト「あいつはハチマキを使って自分の気持ちを切り替えてるんだ」
 
保護や教育を行おうとする者は、対象の真芯を捉えなければならない。表面だけで判断し内面を見誤れば、適切な保護や教育などはできるものではない。精神のスイッチに使われていると見抜いたからこそ「ハチマキ」のあだ名を付けたように、ギガルトはそうした能力に長けている。しかしそれが正しいのはあくまで「その時点」のことに過ぎない。彼はハチマキとクレアの恋人関係が解消されていることは知らなかった。
 
ギガルト「ローランド先生、先生も……」
 
3年の間にハチマキが技術を積み上げたように、人はいつまでも同じ場所に留まっていない。いや、留まれない。身動きが取れないように思えても、それでもどこかに移動していくものだ。ギガルトにしても、宇宙漂流の状況に陥った時に思い浮かべたのは亡き師ローランドのことだった。先生として身動きが取れなくなった結果、彼はむしろ自分が先生であることを失いかけたのだ。
 
ギガルト「うっしゃぁぁぁ!」
 
ギガルトは教え子の前では強い先生でしかいられない。だから腕相撲でも技巧を織り交ぜてまで勝ったり、弱くなったのに無理に酒を飲んだりする。だがタナベと相対した時だけは別だ。
 
タナベ「ギガルトさん、大丈夫ですか!?」
ギガルト「お嬢さん!?」

 

タナベにとって彼は噴射機を失った要救助対象であり、また重度の病に冒された一人の人間だ。そしてそんな彼女がいたからこそギガルトは宇宙空間から戻ってこられたし、ハチマキ達の先生であろうとする思いを語ることもできた。彼はタナベによって先生たる自分を取り戻したのであり、タナベはギガルトの身柄だけでなくその心までも救ったのである。これはきっと、彼女によって「先輩」となっているハチマキにしても同様であろう。
 
ギガルト「ありがとう、エンジェル」
タナベ「え……エンジェルってひょっとして、わたしのあだ名ですか!?」

 

広い宇宙をどことも知れずさまよう人々に、現在位置を教えてくれる導き手。ギガルトがタナベに付ける「エンジェル」には、きっとそういう意味が込められているのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版プラネテスの9話レビューでした。前回触れた「双方向」の流れから「卒業」みたいなことが今後の課題になったりするのかなとも思いましたが、展開予想に足を突っ込んでしまうので姿勢制御してこんな感じに。今後の展開についてはなんとでもやれそうな感がありますが、まずはユーリにスポットが当たるらしい次回を楽しみに待ちたいと思います。
 
タナベは公式で天使。ここ重要。
 
 

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*1:一方でこのための無茶でオーバーヒートしてしまう脆さも見せる

*2:終盤登場した軌道保安庁のハキムも彼を先生と呼ぶのが象徴的