惜しむべきは物語――「平家物語」10話レビュー&感想

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©️「平家物語」製作委員会
絶えることなき「平家物語」。10話冒頭、びわは燃え尽きた福原にかつてを思い出す。灰燼に帰しても、物語は消えない。
 
 

平家物語 第10話「壇ノ浦」

旅のすえに母と再会したびわは、改めて自分も平家の行く末を見守り、祈り続けることを決意し一門に戻る。
しかし、清経の入水に続き敦盛が一ノ谷の戦いで戦死、捕らえられた重衡は鎌倉に送られ、平家はひとりまたひとりと欠けてゆくのだった。
苦しみに耐えかねた維盛は出家を決意し、最後にびわと短い会話をかわす。

公式サイトあらすじより)

 

1.弱き者の物語

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©️「平家物語」製作委員会
夜叉御前「京から屋島とやらは遠いのですか?」
六代「父上のお体は大丈夫なのでしょうか?」

 

この10話の本編は、京で維盛の生存を聞く彼の妻子から始まる。情報伝達の手段に乏しいこの時代、負け戦とあれば参加した親族の安否の確認すら難しい。屋島で維盛が生きていると聞いて妻子が胸をなでおろしつつ心配するのは当然だろう。しかし屋島で維盛が取ったのは彼らを再び迎えに行こうと一念発起することではなく、出家の上の入水であった。

 

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©️「平家物語」製作委員会

 

自分を慕い想う家族や一門の人々を捨てて己だけこの世を去る。維盛の行動は酷く身勝手なものだ(実はこの点で宗盛の「自分だけ助かるつもりでは」という疑念は当たらずとも遠からずだ)。幼い頃からの怖がりは結局克服されることはなく、維盛は結局自分の原点に戻って死を選ぶ。そしてその瞬間すら、彼の手は震えていた。
 

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©️「平家物語」製作委員会
びわ「維盛、そなたのことも語ろうぞ」
維盛「私の?何もかもから逃げた私のことを?」
びわびわはそなたのことをようよう知っておる。大切にしたい」
 
富士川の戦いでの敗走が後世まで汚名となっているように、維盛はどこまでも弱き者でしかなかった。だが、ならば彼は語る価値のない人間なのか?そうではない。入水に向かう維盛の前に姿を現したびわは、彼のこともまた語ると告げる。何もかも捨てて逃げた、身勝手な人間にも物語はあるのだと告げる。
 

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維盛「ならば、生きた甲斐もあるやもしれぬ」
 
びわの言葉に維盛が自分が生きた甲斐もあるのかもしれないと返すのは、それが武士として何を成すこともできなかった彼にとって救いとなるものだからなのだろう。
 
 

2.語られる資格

物語は維盛のような弱き者からも生まれる。これは強き者にとっては悩ましい話でもある。
 

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©️「平家物語」製作委員会
重衡「こうして捕らえられ生き恥を晒しておりますのも因果応報なのだと。ここに戦いあそこに争い、人を滅ぼし我が身ばかりを助けようとした報い。そう思い知らされております」
 
清盛の子、平重衡一ノ谷の戦いで敗れた際に囚われの身となっていた。市中を引き回され、平家が持ったままの三種の神器との交換材料にされ、結局それもならず事実上見捨てられた彼は酷く哀れだ。しかしそんな身の上にも関わらず重衡は取り乱すこともなければ言いわけもせず、対面した源頼朝は彼に噂通り牡丹の花を連想するほどであった。
 

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©️「平家物語」製作委員会
重衡が歯向かう恐れはもはやなく、ならば殺さずとも構わないのではないか。頼朝が助命を考えるのは自然な反応だろう。しかし彼の妻である政子は、そんな頼朝を厳しく戒める。
 

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政子「京で育った、まこと品の良い花を哀れと思う者共が付き従うやも……」
 
重衡に争うつもりがなくとも、彼を見た人々が源氏に逆らう旗頭に押し上げる危険性は否定できない。重衡自身はもはや弱き者であっても、周囲の人間が彼に物語・・を見出す恐れは拭えない。それは先程びわが維盛のことも語ると告げたことからも、源氏の生き残りである頼朝自身が人々から物語を見出されて兵を挙げたことからも明らかだ。
 

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頼朝「花も芽も、種も絶やす」
 
弱き者の物語は、強き者の妨げとなる可能性を秘めている。そこから生まれる危険を絶とうとするからこそ、頼朝は花も種も芽も全て絶やそうと、平家を滅ぼそうとする。……だが花も種も芽も絶やしたとしても、全てが灰燼に帰しても物語が消えるとは限らない。
 
 

3.惜しむべきは物語

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びわ「そなたが登場するのは殿下乗合事件が最初であろうな」
資盛「それは摂政殿下に無礼を働いた……その時はまだ子供で……」

 

人は、語られる資格を持つのは限られた人間だけだと思いがちだ。強き者、正しき者、賢き者、勝利した者……けれど本当は弱き者や誤った者、愚か者や敗北した者にも語られるべき物語がある。そうした姿こそ人の実相だし、それを物語(≠武勇伝)として語れるようになって初めて人は過去を乗り越えられたと言えるのかもしれない。例えば資盛にとっての殿下乗合事件がそうであるように、誰しも言われれば顔から火が出るような過去はある。そういう物語は例え花も種も芽も落とされたとしても、生死すら超越していくものだ。
 

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知盛「戦は今日を限り。者共、退く心を持つな!命を惜しむな、名を惜しめ!」
 
いよいよ壇ノ浦の戦いの時は訪れ、知盛は武者達に命ではなく名を惜しむよう言う。しかしそこで惜しむべき名とはおそらく、名誉ではない。その名に連なる"物語"にこそ人が惜しむべきものはある。
 

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©️「平家物語」製作委員会
びわびわはそなたらに会って、そなたらを知った。だから見て効いたものをただ語る」
 
どれほど惨めで愚かで見苦しいとしても、尽くされた物語に嘘は存在しないのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ平家物語の10話レビューでした。10,11話がフジテレビでは連続放送となり1話1話レビューを書く僕のスタイルと相性が最悪になったため、先週からFODの方で視聴して少しずつ書いていました。なのでむしろ普段よりずっと早く書き上がっているという……
 
昔は無能扱いされてる人物が再評価される話が好きでした。一般的に言われるより深い知識があればこそそうした低評価は覆せるものだし、そういう作品にはカタルシスがあります。でも最近はそういう話もずいぶん増えたお陰か、逆にそこにパターン性も感じてしまうようになりました。また、「弱さを認めて強くなる」という成長の定番と言える話もそれだけでは足りないようにも感じるようになりました。何か、強くならなければならないという圧迫感も覚えるようになったのです。
 
強くなること、正しくなること、賢くなること、勝利すること。どれも素晴らしいことだと思います。でも、強いられるようになった瞬間にそれらの本当の輝きは消え失せてしまうのではないか。弱さや過ちや愚かさや敗北といったものにも見るべきものはあるし、それを無理に繕うのはむしろきれいな泥を塗ることに過ぎないのではないか。この物語を見て、ぼんやりとそんなことを考えるようになりました。
さて、残りはいよいよ最終回。びわは、そして私達は何を目に焼き付けるのでしょう。
 
 

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