語り手は還る――「平家物語」11話レビュー&感想

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©️「平家物語」製作委員会
全てが移りゆく「平家物語」。11話、平家一門は壇ノ浦にその身を沈める。だが、海に還るのは彼らだけではない。
 
 

平家物語 第11話(最終回)「諸行無常

年が明けて季節は冬から春へ。決戦は屋島の戦いから壇ノ浦へと向かう。追ってきたのは源氏の若き総大将・義経。激しいうず潮に源平の舟が入り乱れるなか、イルカの大群が押し寄せ、遂に風向きが変わる。平氏の敗北と滅亡が垣間見えるなか、みなを勇気づけ闘う宗盛と知盛。三種の神器とともに帝の手を取る時子。びわはそのすべてを目に焼き付けようとしていた。
 

1.びわの瞳、皆の瞳

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©️「平家物語」製作委員会
今更言うまでもない話だが、アニメ「平家物語」は架空の少女"びわ"を主人公とした物語だ。父を無残に殺された少女がその奇縁によって平家の人々と共に時を過ごし、彼らの行く末を語ることを決意していく。右の瞳で未来を見通し、重盛からもらった左の瞳で亡き者を見ることができる不思議な力を持つ彼女が語り手となるのは成り行きとしても自然なものだろう。……だが、この力は本当にびわだけのものだろうか?
 

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©️「平家物語」製作委員会
政子「源氏の兵も、今頃平家の兵を同じ目に遭わせておりましょうな」
 
この11話の本編冒頭は鎌倉の源頼朝北条政子夫婦や京の後白河法皇を描いているが、彼らがそこで思い描くのは遠い壇ノ浦での戦いの様子だ。政子は獲物を枝に突き刺すモズの性質になぞらえて源氏の勝利を想像し、後白河法皇は晴れ渡った空が三種の神器が都に戻る予兆ではないかと考える。彼らが実際に見ているのは現在の、ごく近くのものに過ぎないが、人は時にそれを通して未来を、遠くのものを見ることができる。三種の神器の全てが都には戻らなかったようにそれは正確ではないかもしれないが、機能としてはびわの右の瞳とさほど変わらないものだ。
 

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©️「平家物語」製作委員会
義経「イルカ……!?」
 
政子や後白河法皇に限らずこの11話、人々は様々な形で本来見えないはずの未来を見ている。潮や風の流れに戦いの趨勢を重ね、イルカの動きにいずれが滅亡するかを占い、戦の敗北を「いずれ珍しい東男達をご覧になれますぞ」と未来予知のように形容してみせたりする。宗盛が言うように本来それだけでは「まだ分からない」はずのものを見ている。そしてこうした状況で、誰より未来を見ていたのは清盛の妻・時子であった。
 
 

2.見える未来、変えられない未来

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宗盛「帝は後鳥羽天皇へ正式な譲位を行うため、京へ連れて行かれるであろうな」
徳子「ではお命は……」

 

源平の争乱は天皇家も絡んだ権力闘争ではあるが、天皇が矢面に立つわけではないし兵も傷つけようとするわけではない。平家が戦に敗れたとしても、安徳天皇は譲位を強いられこそすれ殺されたりはしないと宗盛が考えるのは妥当な想像だ。しかし時子には宗盛より遠くが見えている。未来が見えている。
 

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©️「平家物語」製作委員会
時子「位を奪われた帝がどのような扱いを受けるか……そなたとて捕まれば源氏の誰かに無理やり嫁がされるやも知れぬ。それでも帝を守れると?」
 
位を奪われるとはいえ平家の文字通り"錦の御旗"であった安徳天皇がどんな扱いを受けるか?平家の庇護を失った徳子が今度はどのような立場に置かれるか?よしんばここを生き延びたとして、平家にどんな未来が待っているか?当人、あるいは周囲に悪意がなくともその未来はけして喜ばしいものではないだろう。後白河法皇にそのつもりがなくとも頼朝は平家を滅ぼすつもりでいたし、頼朝がそう決めたのは重衡のような存在を悪用される可能性が否定できないからだった。
 

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びわでなくとも人は未来を見ることができ、そしてびわと同様その未来を変えることはできない。だから時子は安徳天皇を抱いて入水することを選び、また安徳天皇の母である徳子もそれを見ていることしかできない。分かっていても止めることなどできない。
 
 

3.壇ノ浦の戦いが描いたもの

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びわ「この眼は重盛からもろうた眼!皆が見えるぞ徳子、皆が!帝は幼き手を合わせておるぞ……」
 
深い海へと沈んでいった時子と安徳天皇に続き自らも壇ノ浦に身を投げた徳子はしかし、一人源氏の兵にすくい上げられる。どれほど亡き子と一緒に死にたいと願っても死ねない、それもまた彼女の変えられない未来であった。しかし兵を押しのけて徳子の手を取ったびわは、彼女と未来と共に重盛から受け継いだ目で見た亡き者についても告げる。死んだ皆が、幼き息子が自分に手を合わせていると告げる。
 

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©️「平家物語」製作委員会

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びわの左目の見た景色は映像となっては描かれない。私達を含めた他の誰の目にも見えていない。しかし一方で源氏の兵はその言葉に涙し、徳子も俯いてしまう。亡き者はこの時、未来がそうであったように見えずとも見えている。重盛やびわのような特別な力を持たない私達ただの人間の目にも、それは見えている。
 

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決定した敗北の未来を見た平家の人々は、次々と海にその身を沈めていく。「見るべきものは全て見た」と閉じられる知盛の瞳と逆に見開かれるびわの瞳からも、まるで彼の言葉に続くように輝きは消えていく。彼女の瞳が光を失うことは、未来や亡き者……すなわち見えないものをびわだけが見ることができる特権の終わりだ。壇ノ浦の戦いで描かれていたのは、あらゆる人がびわ同様に見えない"物語"を見ることができるという普遍性の発見であった。
 
 

4.語り手は還る

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語り手達「祇園精舎の鐘の声……」
 
かくて平家は滅び、物語は出家した徳子の元を訪れた後白河法皇を皮切りとした平家物語の語り出しを描いて終わる。政争を見事生き抜いた後白河法皇も、幼き敦盛の首をとった熊谷直実も、後に義経との悲恋で歴史に名を残す静御前も、びわの母も、遠く南の島に流れた平家の落人も誰もが「祇園精舎の鐘の声」と口にする。その時、あらゆる立場を超えて人は語り手になっている。見えない物語を見、そこにいた人々と再会することができる。
 

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©️「平家物語」製作委員会
平家はけして何の咎もないのに滅んだわけではない。本作はびわの父が平家に斬り殺されるところから始まったし、殿下乗合事件のくだりをはっきりと「平家悪行のはじめなれ」と語っている。だがそういった批判をすることと冥福を祈ることは両立するはずだ。「一生懸命やったのだから」「本当はいい人だった」「正義のために戦った」などと正当化したり美化せずとも、死や滅びにはそれだけで祈りを捧げるに足りるものがある。
 

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©️「平家物語」製作委員会
徳子「私にもまだ忘れられぬ思いがございます。ですのでただ、ただこうして皆を。愛する者を思い、そのご冥福を祈っているのでございます。ただそれが、私にできること」
 
物語の中には人が息づいているが、それを忘れられれば彼らは単なる消費財になってしまう。彼らが生き続けるためには、どれほど愚かで臆病で滑稽であろうとそこにいたのが"人間"だと忘れられないことこそ必要なのだろう。祈りを捧げるとは、物語が語り継がれるとはそういうことであり、そのための語り手への道は物語を目にした私達全員の前に開かれている。
 

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©️「平家物語」製作委員会

 

びわとは、私達には彼方の存在となっていた平家物語を"自分のこと"として受け止め直すための語り手であった。そして私達に新たな無数の語り手となってくれることを――語り継いでくれることを願って、彼女は物語へと還っていくのである。
 
 

感想

というわけでアニメ平家物語、最終話である11話レビューでした。びわが視聴者の依代である点と1話で書いた「別なる語り手」をどうにか繋げて見ることができました。
 
 
平家物語をアニメで再現する」のではなく「平家物語を現代に蘇らせる」作品であり、その点で古川日出男の現代語訳を原作とし、かつ独自性の強い内容にしながら「異伝」といったタイトルにしなかったのは必然だったと思います。これは物語を私物化する行為だという批判もあるかもしれませんが、びわというオリジナルキャラクターを配したことでそのあたりは自覚的なものになっている、あるいは注釈がされているかな、と。
 
勇壮さやロマンといったものに流れがちな歴史ものとはまた別の、登場人物をとても近くに感じられる作品だったと思います。スタッフの皆様、お疲れ様でした。
 
 

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