緑のジャケットの理由――「ルパン三世 PART6」24話レビュー&感想

f:id:yhaniwa:20220327165409j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
逃げ続ける「ルパン三世 PART6」。24話ではトモエを巡る事件に決着がつき、ルパンは自由を取り戻す。なぜ本作のルパンはTV第1シリーズ以来の緑のジャケットを着ているのか? その答えを最終回は雄弁に語っている。
 
 

ルパン三世 PART6 第24話(最終回)「悪党が愛すもの」

「狙った獲物は、必ず殺す」トモエのもとへ戻ったルパンに、暗殺者としての牙を剥くマティア。その眼差しには、自らの人生を呪う苦悩の色が映っていた。応戦するルパンだが――二人の対峙に割り込む、一発の銃弾。次元、五ェ門、不二子がそこに立っていた。「天下の大泥棒が聞いて呆れるわ。自分の意識を盗まれるなんて」――不敵に笑うルパンは、盗まれた「ルーツ」を取り戻せるのか?
 

1.束縛を解く束縛

f:id:yhaniwa:20220327165433j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
ルパン「もういいもういい!ったく、痛くねえフリする身にもなれってんだよ」
 
トモエによって数多の"ルパン三世"像を全て盗まれ操り人形と化したルパンだったが、今回の話では彼が既に正気に戻っていたことが明かされる。「あんたに俺を縛ることはできねえのさ」というトモエへの言葉は彼の自由さを象徴しているが――ルパンは本当に何にも縛られない存在かと言えばそうではない。
 

f:id:yhaniwa:20220327165448j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
次元「それより、さっさと飯当番決めるぞ」
 
ルパンがトモエの支配から抜け出せたのは、暗示をかけられた最中にも意識下に仲間達が存在したからだった。五ェ門の斬鉄剣、次元の帽子、トランプ、不二子の口紅……ほんの些細なところにもそれらは滑り込み、ルパンをルパンでなくすことを許さない。ゲストヒロイン達による暗示がどれほど魅力的でも、それは仲間達には敵わないのだ。
 

f:id:yhaniwa:20220327165509j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
ルパン「確かにあんたが仕向けた女達はみな魅力的な生き方をしてた。マティア、お前もだよ。だがなトモエ先生、俺にとっちゃこいつら以上に魅力的な生き方をしてる奴らはいねえのよ」
 
トモエに束縛される前から、ルパンは仲間達にもっと強力な束縛を受けていた。彼をトモエから解放したのは自由ではなく、むしろ別の束縛だったのだ。
 
 

2.逃れられない揺らぎ

f:id:yhaniwa:20220327171049j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
マティア「あんたは私の人生を奪った!お前の人生を奪うのはこの私だ!」
 
束縛から人を解放するのは自由とは限らない。この矛盾にも思える理屈は、けしてルパンに限った話ではない。例えばトモエに人生を操られた女達の代表であり、彼女によって殺し屋の道を歩んだマティアはトモエを殺すことで自由を得ようとしていたが、それはむしろトモエへの強い執着……つまり束縛を生んでいた。
 

f:id:yhaniwa:20220327165525j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
トモエ「ああ、どこまであなたは私の想像を超えてゆくの!?次こそは絶対に私のものにしてみせるわ!」
 
またトモエはルパンを束縛しようとした側の人間ではあるが、世界すら自由にできる彼を自分の息子にする代償に彼女は長い時間を費やし今後も繰り返そうとした。いくら齢を重ねてもルパンに執着する彼女の人生は、むしろ彼に束縛されているとも言えるものだ*1
 
自由を得ようとして束縛され、束縛しようとして自分が束縛される。こうした皮肉な因果は実際はありふれたものだ。「私は論理を重んじる」という人はむしろ詐欺師のエセ論理のカモだし、「私は是々非々で判断してる」という人は自分の偏りを認識できない。自由であろうとする尊い意思を持てるのも人間なら、念じた瞬間むしろそれに束縛されてしまうのもまた人間なのである。
 

f:id:yhaniwa:20220327171335j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
トモエ「例え人を殺したのがトモエのせいでも、それは無かったことにはならねえ。お前はそれを背負って生きてくんだ」
 
ああすれば絶対に間違えない、こうすれば必ず安心だ……残念ながらそんな安住の地は存在しない。マティアがトモエに自分の人生を操られたのは確かだが、もともと彼女が人を容易く殺せる性だったのも、ヘイゼル達を手に掛けたことも紛れもない事実なのだ。全てをトモエのせいにして安住することはできない。ルパンは自分のしたことを背負って生きていくようマティアに言うが、これは自分の行動には善悪正誤を超えて自分で引き受けなければならない領分があると彼女に説いているのである*2
 

f:id:yhaniwa:20220327165922j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
ルパン「何が二重三重の策だよ、先生」
次元「その教えすらお前にとっちゃあ呪縛だったってわけだ」

 

ルパンはトモエの暗示からは抜けてもいまだ呪縛に縛られて彼女が隠したお宝(自分のルーツに繋がる秘密が隠された箱)をすぐ見つけられなかったり、更にはそこから脱しても相変わらず次元達とのポーカーに勝てないままだった。人は結局、ああでもないこうでもないと揺らぎ続けることから逃れられはしないのだろう。だが、本作はけしてそれを絶望として描いていない。
 
 

3.緑のジャケットの理由

自由を得ようとして束縛される。こうしたジレンマは実は、今回初めて描かれたものではなく半年前まで遡ることができる。そう、長らく次元大介役を務めた小林清志氏の勇退回、第0話「EPISODE 0 ―時代―」を思い出してもらいたい。
 
 
0話の次元は変わる時代に嫌気が差し、変わらないために泥棒稼業をやめようとした。しかし実際には変わらないことに拘泥する自分こそが変わってしまっており、故に次元は美味いはずのウイスキーが楽しめない。彼は不変を願ったからこそ変化してしまっていた。
 
 
また第1クールの黒幕だったレストレードは秘密組織レイブンの操り人形であることに嫌気が差して暗躍していたが、実際はレイブンは既に崩壊しており彼は亡霊に踊らされていたに過ぎなかった。レストレードは自由を願ってむしろレイブンに束縛されていた。
 

f:id:yhaniwa:20220327170125j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
 
ルパン三世 PART6」は一見まとまりに欠けた作品だ。0話の存在はもちろん、第1クールと第2クールではシリーズ構成も違い、おまけに大半はオムニバスエピソードで連続性に乏しい。「統一感のない、やりたいことの定まっていない作品」……そう見る人もいるだろう。しかしバラバラな話揃いにも関わらず、この0話と第1クールは24話で提示されたのと同じジレンマを描いている。「自由を得ようとして束縛される」と同じように表現するなら「バラバラに作られているのにまとまっている」のだ。
 

f:id:yhaniwa:20220327170138j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
不二子「あなたのルーツが分かるものだったんでしょ?」
ルパン「かもな。何にせよ、俺を縛り付けるもんに変わりねえ」

 

あらゆるものには二面性があり、故に世の中は思ったようにはいかない。例えば前回トモエが披露した「ルパンは操る言語の数だけ異なる思考を持つ」という仮説は作品ごとに異なるルパン像を説明するのに魅力的な代物だが、事実とされてしまえばむしろ彼はたった一人の人間でしかなくなってしまう。どんな行動をとっても「ああ、今は違う思考のルパンなのね」の一言で片付いてしまう。多様なルパン像を成立させるための仮説が、逆にルパンの多様性を奪ってしまうのである。
 

f:id:yhaniwa:20220327173111j:plain

ルパン「何が考え過ぎだバッカヤローお前、考えなくたって結局全部負けてるじゃねえか!」
次元「はっはっは!」

 

なまじ理屈っぽい区切りなど、ルパン三世という男には似つかわしくない。ハードボイルドに走ったかと思えば不二子の色香にだらしなくなったり、「美とか人の心とか、そんな分かりにくいもののために体を張るのはごめんだ」などと言ったかと思えば少女とどちらが先に愛を見つけるか競争しようと誘ったり――あっちに行ったと思えばこっちをフラフラ、「ああでもない」「こうでもない」揺らぎそのもの・・・・こそが「ルパン三世」ではなかったか。そういった点で見ればこのPART6のまとまりのなさはルパン三世という作品そのものだったし、ルパンのルーツに迫るかと見せて全てを謎のままにするこの第2クールは24+1話を見事に総括している。
 

f:id:yhaniwa:20220327170201j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
物語は最後、トモエに仕向けられた役割を終えたことで自由になった女達と、一方でいつものように銭形から追いかけられて逃げるルパン達を描いて幕を下ろす。どのような展開を迎えようと、ルパンはこの構図から逃げることはできない。束縛されている。しかし一方で、この構図が残される限りルパンはどのようにも自由に動ける。束縛であって自由でもあり、自由であって束縛でもあるこの構図はルパン三世の持つ「ああでもない」「こうでもない」揺らぎの象徴だ。
 

f:id:yhaniwa:20220327170221j:plain

©モンキー・パンチ/TMS・NTV
ルパン「それに俺のルーツは、今ここにいる俺自身だ」
 
ルパン三世 PART6」のルパン三世は己の人間像を縛り付けることから逃げ続け、むしろそれによってルパン三世らしさを取り戻した。彼が身につけた緑のジャケットは、ルパン三世とはなんたるかを本作が盗み返した証明なのである。
 
 

感想

というわけでルパン三世のTV6期24話レビューでした。全体に解放感のある気持ちの良い30分でしたが、もう少し複層的に見られそうだな?と考えていった結果、期せずして全体を振り返る内容に繋がりました。そうか、PART6はこういう作品だったのか……
 
歴史ある看板を背負いそれに恥じることなく、しかし無辺とすら思えるほど懐の広い素晴らしい作りだったと思います。作品というのはこんなにも自由になれるのですね。大塚明夫氏に交代した次元もスルリと飲み込め、そして半年間、私自身「ああでもない」「こうでもない」と揺らぎ続けさせられた得難い視聴時間でした。スタッフの皆様、お疲れさまでした。
 
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>

*1:更に言えばトモエはルパンの母になろうとして罪を重ねたが、それはむしろ彼の中にあった母同然の慕情を損なう結果となった

*2:もちろん、全てを自分のせい(自己責任)にするのは全てを他者のせいにすることの反転でしかない。また、この"引き受ける"主体を個人から集団に置き換えて考えるのが民主主義の要の一つ(≠単なる多数決)でもある