なりたい自分を映す鏡――「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」2期4話レビュー&感想

私を知っていく「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」。2期4話では愛のまぶしさがもたらす事件が描かれる。アイドルとは、私達に何を見せてくれる存在なのだろう?
 
 
ある日、ショッピングをしていた果林は偶然愛と出会う。その隣には愛の幼馴染であり、「お姉ちゃん」と呼ぶ川本美里がいた。今日は美里の退院祝いだという。体調を気遣う愛と、元気に振る舞う美里。しかし果林は、美里が時折見せる曇った表情が気になっていた。果林が事情を尋ねるも、愛に余計な心配をかけたくないと美里は口を閉ざす。しかし愛はそんな美里の様子に気付いており、果林に相談を持ちかける。そっとしておいた方がいいと答える果林だったが、愛はその言葉を聞かずに美里のもとに駆けだしていってしまう……。
 

1.「アタシ」と「愛さん」

愛「紹介するね。こちらはアタシのお姉ちゃん!」
果林「え?」
愛「……的な存在の」
美里「川本美里です。愛ちゃんとは家が近所で、昔からよく遊んでいたの」

 

今回はスクールアイドル同好会の宮下愛と朝香果林のユニット"DiverDiva"を軸とした話だが、主要人物は2人に留まらず川本美里という少女が登場する。愛にとって年上の幼なじみであり「お姉ちゃん」と慕う存在――彼女を交えたこの2期4話で注目したいのは、それによって使い分けられる愛の一人称だ。日頃は自分を「愛さん」と呼ぶ彼女だが、美里が絡む今回はしばしば「アタシ」になっている。これはけしてなんとなく一緒に使われているわけではない。いや、愛自身はなんとなくかもしれないが、そこには明確な違いを見出すことができる。
 
愛「いきなりライブ会場はハードル高いかもだけど、オンラインなら!」
 
「愛さん」と「アタシ」の違いを考えるヒントになるのは彼女の実家、もんじゃ焼き屋での会話だ。美里と果林のためにもんじゃ焼きせんべいを焼きながら、愛は美里を自分のオンラインライブに誘う。彼女がオンラインライブを開催しようと考えていたのは多くの人に見てもらいたいからだけではなく、実は最近まで入退院を繰り返していた美里にも見てもらいたいというのが一番の理由であった。
 
愛「実は愛さん、ちっちゃい頃は結構泣き虫の人見知りだったんだ」
果林「冗談でしょう?」
愛「ホントホント!でもお姉ちゃんがいつも笑いかけてくれて、たくさん遊びに連れて行ってくれたおかげでいっぱい友達もできたし体動かすのも大好きになったんだ。だから今度は愛さんの番!」

 

愛は言う。昔は泣き虫の人見知りだった自分に美里がいつも笑いかけ、たくさん遊びに連れて行ってくれたから今があるのだと。だから今度は「愛さんの番」なんだと。ここで分かるのは、今は楚々とした感じの美里がかつては愛を引っ張る側だったことだ。常に笑顔で優しくて、色んなところに連れて行ってくれる――そう、まるで今の愛のように。
 
私達が知る宮下愛とは実は天然自然の存在ではなく、幼い頃の美里をロールモデルに作り出されたものであった。自分のことなのに他人のような「愛さん」という一人称は、愛が大好きな美里を模写した理想的人格に対するものだったのである。
 
 

2.正確さで救えないもの

1期4話の文武両道ぶりで描かれたように、愛は正解を選ぶ力に長けている。誰にでも分け隔てなく優しく、明朗快活な「愛さん」はいつどんな時も正しい。おそらく、かつての美里に対する模写も極めて正確なものなのだろう。……だが、世の中は正解や正確さだけではないことを描いていたのもまた、1期4話ではなかったか。
 
 
愛「アタシ、お姉ちゃんのためならなんでもしたいよ!お願い教えて、アタシにできること!」
 
美里がなにやら悩んでいると気づいた愛は話を聞きに行き、励ましでも気晴らしの付き合いでもなんでもしてあげようとする。これは対応として極めてまっとうなものだし、おそらくかつての美里もそうしたことだろう。だが彼女が明かした悩みは、むしろそうした正しさにこそ由来していた。明るくて優しく、やりたいことを見つけてまっすぐ進んでいく愛を見る度、美里は自分にはもう何も残っていないと感じてしまっていたのだ。
 
美里「愛ちゃんはスクールアイドルを頑張っているだけなのに、勝手だよね……」
 
鏡とは全く同じものではなく、全てが正反対になった自分を映すものだ。ならば愛が美里を鏡のように模写して「愛さん」になれば、その分だけ美里は正反対になっていく。愛の充実や成長を感じたのと同じだけ、美里は入退院で時間や人間関係を失った自分の空っぽさを感じてしまう。
愛と美里は全く別の人間なのだからこれは論理的には全くおかしな話だが、こうした思いは少なからぬ人が身に覚えがあるはずだ。親しい誰かの成功を心から祝っているのに同時に何もできない自分を惨めに感じ、更にそれを恥じていっそう惨めになってしまうような卑しい心が私達には備わっている。そして、こんな気持ちは正しくない、身勝手だと正確な・・・判断を下せたくらいで悩みを弾き飛ばせるほど私達の心は論理的では――単純ではない。
 
 

3.なりたい自分を映す鏡

愛「できないよ!楽しいことを教えてくれたお姉ちゃんをアタシが傷つけた、そんなアタシがスクールアイドルなんてできないよ!」
 
自分が「愛さん」であればあるほど大好きな美里が傷ついてしまう。これは愛にとってショッキングな発見であった。既に述べたように「愛さん」は美里をロールモデルとした理想の人格であり、彼女を傷つけるようならもはや理想的たり得ない。そして一人称の使い分けから分かるように、愛にとって「愛さん」とは「スクールアイドル宮下愛」とイコールだったのだから、不完全なそれはもう活動できないと考えてしまうのは自然な心情であろう。しかしそんな愛を果林は慰めるのではなく、逆に挑発する。スクールアイドルを辞めるなら自分が代わりにステージに立って、愛のファンも美里も奪ってやると発破をかける。そしてこれに火を付けられた愛の反応は、論理とはかけ離れた感情的なものだった。
 
愛「お姉ちゃんやファンの皆を果林に取られちゃうのはやだ!」
果林「でも、スクールアイドル辞めるんでしょう?」
愛「だったら辞めるのやめる!だってアタシ、アタシ……ホントはスクールアイドル、もっともっとやりたいよ!」

 

美里やファンを取られるのは嫌だ、辞めるのやめる、スクールアイドルを続けたい……ここにはただ子供っぽい感情だけが、言ってみれば"お気持ち"だけがある。規範や完璧さからは縁遠い宮下愛がある。「アタシ」を叫んだこの時、彼女は自分を「愛さん」という理想の人格に押し込める呪縛を打ち破ったのだ。
 
果林「それがあなたよ」
愛「え?」

 

狙い通りの反応を得て、果林は愛に言う。誰も傷つけないなんてできる人はいない。けれど太陽みたいに皆を照らせる笑顔があなたにはあると。果林が言うこの笑顔こそ、ファンが愛に感じる魅力の正体でもあろう。「愛さん」とは本当は、愛自身が考えるよりずっとシンプルで大きくて、そして温かなものだった。
 
愛「でも大丈夫!愛さんの中には小さい頃からもらってきた、たくさんの「楽しい」があるから!それを今から皆にあげる!」
 
かくて殻を破った愛は果林と共にステージに立ち、再び「愛さん」になる。この「愛さん」は、今まで彼女が考えていたものと重なりつつも同じではない。なぜならスクールアイドル宮下愛とは、「愛さん」とは美里や仲間、それにファンからもらったたくさんの「楽しい」を胸に成長した彼女という人間そのものであり、けして憧れの美里の模写ではないからだ。対比によって美里を惨めな思いにさせる存在ではなく、見た人を照らすことのできるスクールアイドルだからだ。愛は「愛さん」の呪縛を打ち破ることで、彼女を映す鏡に囚われた美里をも照らすことにも成功していた。
 
美里「果林ちゃんみたいに、愛ちゃんと切磋琢磨できる人になりたいんだ。負けないからね!」
果林「望むところです」

 

「白雪姫」で王妃を継子殺しの非道に走らせたのは、世界で一番美しいのは誰かという問いに自分ではなく白雪姫を映した魔法の鏡であった。鏡に映る美しいものと現在の自分を比べてしまった時、私達はかえって自分を見ることができなくなってしまうのだろう。
美しいものと対比すべきは現在の自分ではなく、なりたい自分にこそある。それは鏡に映るものと同じである必要すらなく、故に私達を惨めな気持ちにするのではなく励ましてくれる。一歩でも前に進みたい気持ちを照らして・・・・くれる。「愛さん」には、アイドルにはそういう力がある。
 
美里「わたし、愛ちゃんのファンになってもいい?愛ちゃんのライブ、すっごく笑顔になれて頑張る力がもらえるから!」
愛「うん!」

 

アイドルとは鏡だ。未熟な今の私達ではなく、なりたい自分を映し出してくれる美しき魔法の鏡なのだ。
 
 

感想

というわけでニジガク、アニガサキ2期4話のレビューでした。1話完結の30分にどんだけぶっこんでくるのか!書いても書いても終わらず息を切らしながらキーボードを叩きましたが、その甲斐あって最後に想定よりジャンプアップした結論にたどりつくことができました。すごいですね、まぶしいものがもたらす暗闇を描きつつ最後にはそれとの付き合い方を教えてくれる。嵐珠の出番はCパートだけでしたが、彼女を考える上でもヒントになることが描かれていたんじゃないかと思います。
 

©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

あと今回は愛と果林のユニット"DiverDiva"がすごく魅力的に見える回でもあって。この二人、見た目に留まらずもっと深いところまで対照的なんですね。一見ちゃらんぽらんな愛が実際は規範的で、逆に一見クールに思える果林は私生活で見えるように中身は子供っぽい。二人は相反するものを抱えている点で共通していて、しかし抱えているものは正反対だから組み合わせると一人では越えられない壁を突破できる。感情と論理は衝突するけど本質的には敵対しておらず、両輪となって人間を動かすものなんだというのがよく表れているように感じました。

 
さて、Cパートで登場した栞子の姉と思わせぶりに悩むしずくの組み合わせはどんな鏡になって私達に物語を見せてくれるのか。次回も非常に楽しみです。
 
 

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