重ねる地図――「まちカドまぞく 2丁目」10話レビュー&感想

©伊藤いづも・芳文社/まちカドまぞく 2丁目製作委員会
違い重ねる「まちカドまぞく 2丁目」。10話ではシャミ子の杖の新たな可能性が示される。人と人のふれあいは、異なる地図の重ね合いだ。
 
 

まちカドまぞく 2丁目 第10話「ごせんぞ道場!?まぞく究極の武器!」

ついに手に入れた父より受け継ぎし杖!杖を使いこなすための特訓に励むシャミ子だが、想像力が乏しいせいか、うまく扱えずにいた。杖の使い方をマスターすべく、良子と共にごせんぞの封印空間で修行をすることに。さらに、ミカンの部屋に突如現れたヤツから平和を取り戻すべく、シャミ子たちは戦いに挑む!
 

1.共有できない地図

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桃「……なにそれ」
シャミ子「アイドルうちわ」
桃「ただちに元に戻して」

 

今回はシャミ子の独特の感性が見える回だ。一般に害虫の代表格とされるゴキブリをさほど嫌っていなかったり、棒状のものに変形できるナントカの杖を物干し竿やうちわにしたり、桃の布団からフルーツの桃の香りがすると言ったり……ミカンは「THE異文化」、桃は「シャミ子の脳内マップどうなってるの!?」と反応しているが、こうした彼女達とシャミ子の感性の違いは国による文化や風俗の違いのようなものだと捉えることもできるだろう。他国では当然自国の地理は通用しないわけで、感性の異なる人は心の中に異なる"地図"を持っているようなものと言える。
 

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シャミ子(桃とはまだ出会って3ヶ月くらいしか出会ってない。出会う前の桃にはたぶんわたしの知らない物語がいっぱいあって、わたしは全部それを共有することはできない。なんだか、悔しいな)
 
地図が違えば、同じものに対しても態度や価値観を共有するのは難しい。シャミ子は知り合って3ヶ月の自分では10年来の仲間のミカンのように桃の"物語"を共有できないことを悔しがっているが、これも地図を共有できないが故のもどかしさの一例だろう。ただ、これは必ずしも悲しむべきとは限らない。
 
 

2.重ねる地図

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ミカン「あったけど、全部ちっさい箱になってるわ」
桃「え、なんで?」
ミカン「ミカンやデコポンいよかんやポンダリンやバンペイユを連続で食べても、その都度ゴミを捨てにいかなくていいのよ!」

 

ミカンの部屋の片付けが行われる今回は、生活感の強い回でもある。チラシをミニゴミ箱に変えるのはまさしく生活の知恵だし、結界を虫除けに使ったり前段の布団干しなども同様。そしてこれらに共通するのは、どれも本来の使い道でないこと――本来は異なる地図上・・・・・・にあるものだということだ。チラシは本来ただの宣伝物だし、結界は侵入者を防ぐためのもの、ナントカの杖に至っては本来は武器……いずれも想定された用途で使われていないのだが、にも関わらず抜群の効力を発揮している。
 

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シャミ子(いや、覗けちゃうんじゃないか? だってわたし夢魔だし……)
シャミ子「ダメダメダメダメ! おりゃおりゃおりゃおりゃー!」

 

シャミ子が悔しがったように、人と人の地図が厳密に重なることは早々ない。いや、一人の人間の中ですら案外と合わない。例えば桃は姉の桜と同じ魔法少女だが彼女の作るような複雑で頑丈な結界を書く力はないし、夢魔であるシャミ子は能力的には桃の"物語"を覗くこともできるがそれを良しとしない。姉と妹、種族と個人の地図が一致していないのである。
 

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シャミ子「やっつけちゃうんですか。生まれただけで、出てきただけで叩かれるなんてまぞくみたいでかわいそう」
 
しかし一方で、この10話が描いているのは異なる地図の不思議な合致だ。シャミ子は存在するだけで叩かれるゴキブリの境遇を自分達まぞくに重ねてみてしまうし*1、桃は結界作成のための魔力放出をシャミ子のトレーニングを兼ねたものにしている。地図が異なるからといって、全てが全て共有できないとも限らないのだ。
 

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シャミ子「かみなりの杖―!」
 
シャミ子は現実ではひ弱なまぞくだ。結界に吹き込んだ魔力は半日も持たずに消失するし、ナントカの杖を変形させようとしても魔力も想像力も足りず30kmの棒や黄金の割り箸にはできない。けれど己の得意なフィールド――地図上では少し話が違う。夢の中なら魔力を発揮しやすいし、妹の良子が言うような伝説的な武器は想像できなくとも大好きなゲームになぞらえれば強力な杖に変形させることができたりする。夢というフィールド上に、更に杖の性質とゲームという異なる地図を重ねたからこそこれらはできたことだ。
人や物の地図というのは、厳密に一致させるよりもファジーに重ねた方が可能性を広げられるものなのだろう。これはナントカの杖が使用者の認知次第で変形できる範囲が変わることとも一致する。
 

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桃「心霊写真……」
 
異なる地図の重なりは諸刃の剣であり、シャミ子のご先祖であるリリスの念写が心霊写真になってしまうようなこともある。けれどこれもまた、地図の重なりが思わぬ結果を生み出した分かりやすい例だ。そもそも、本来対立するはずのシャミ子と桃の今の関係こそ思わぬ結果の最たるものではなかったか。
 

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リリス「良よ、今日は会えて楽しかったぞ! 実はお主に会えたのが一番の収穫だ」
 
異なる地図を重ねれば、私達は一人では知らなかった場所へ足を伸ばすことができる。誰かや何かとふれあうことは、異国へのパスポートを手に入れるにも等しい価値を持っているのである。
 
 

感想

というわけでまちカドまぞくのアニメ2期10話レビューでした。全体から一番合致しそうなのはこれかなあ。
バンペイユ(晩白柚)というのは初めて知ったのですが、だいぶ大きい果物のようですね。実際に食べる場合は桃やシャミ子におすそ分けしてそう。リリスの本来の姿と良子の対面なども素敵な回だったと思います。
 
 

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*1:とはいえ、病気を媒介したりするので現実で見つけたらやはり容赦しない方が良い