心は那辺にありや――「プラネテス」25話レビュー&感想

己と宇宙を知る「プラネテス」。25話ではついにフォン・ブラウン号の乗組員が発表されるが、ハチマキは心ここにあらずといった調子でぼうっとしている。ここにあらずというなら、ハチマキの心はどこにあるのだろう?
 
 

プラネテス 第25話「惑い人」

ついに木星往還船フォン・ブラウン号の乗員選抜試験に合格したハチマキ。久しぶりにテクノーラ社にやってきた彼は、そこでタナベが地球に戻っていることを知る。木星へ出発する前に実家に戻ったハチマキは、バイクでタナベの実家に向かった。だがその途中、事故を起こしてしまう。

公式サイトあらすじより)

 

1.心ここにあらず

レオーノフ「こいつのジョーク笑えないでしょ? このジョークを7年間も聞かされ続けるのがこの計画の最大の不安ってやつです」
 
この25話は、ほとんどずっとハチマキがぼうっとしている話だ。乗組員発表会での記者への回答は要領を得ず、母ハルコの作ってくれたとんかつにも手を付けない。宇宙服を着てわけもなく2日も月面をさまよい、酸欠警報が出ているのにも気付かない今の彼は誰が見てもどうかしていて、しかしハチマキ本人だけは自分の異常を認識できていない。最初に述べたように「心ここにあらず」という状態で、故に彼は体がどこにあろうと本当の意味ではいずこにも行けていない。フォン・ブラウン号の乗組員になって遠くまで行く……と目標を定め、なりふり構わず走ってきたはずの彼が、だ。
 
ドルフ「ホシノ・ハチロータは訓練の継続を望んだのですが、ホシノ・ゴローが自分が連れて降りると」
 
ハチマキほどではなくとも、人が自分の心の所在を知るのは案外難しい。「他に選択肢がない」というのは往々にして視野狭窄に陥った人の決まり文句だし、論理を重んじているつもりでも私達はバイアスから逃れられない。自分のことは自分が一番知っている……などというのはうぬぼれた話で、実際は人は自分の望みも本心も把握できていないことがざらだ。体の不調・変調がそうした無自覚の心理的ギャップに起因することは珍しくないが、ハチマキの状態にしてもそれとはさほど離れたものではないのだろう。
 
ハチマキ?「甘いんだよ。今更誰かにすがろうなんて。言ったろ? 人間はしょせん一人だって」
 
こうした状態への対策としては、ハチマキが空間喪失症に陥った16話のように内なる自分と対話し己を見つめ直すことが挙げられる。だが今回彼の前に現れるもう一人の自分が己を追い詰めることしかしないように、これもけして万能の方策ではない。今回のハチマキの「心ここにあらず」とは、見つめてきたつもりで自分の心を見失ってしまった結果だと言えるだろう。
 
 

2.心は那辺にありや

タナベ「先輩! ホントに先輩なんですか!?」
 
自分の心を見失った結果、体がどこにあろうと本当の意味ではいずこにも行けなくなったハチマキ。しかし一方で今回、彼は一人の人間のところへたどり着いている。タナベ――何かにつけて「愛」を口にする鬱陶しい後輩。常識も現実も知らない愚か者。そのはずなのに気付けば好きになっていた、そして夢のために振り捨てた人。どうするつもりなのかおそらく自分でも分からないままハチマキがバイクを走らせ、事故で落下した海の中で人と人の繋がる"宇宙"を見た先に彼女との再会は待っていた。前回の遭難でクレアと共に生き延びるべく奮闘した彼女は、酸欠で下半身不随の身となっていた。
 
ハチマキ(ああ、そうだな。一人だ。一人、なんだよな。そうだ。俺は……)
 
ハチマキは今回、最初からタナベに会おうとしていたわけではない。心の中の自分に指摘されたように、それが虫のいい話であることを彼は分かっていたはずだ。彼女を捨てたのは他ならぬ自分なのだから。けれど終わってみればこの25話、物語はあつらえたように二人の再会に向かって動いている。
 
2日間月面をさまよった彼を見かねて父ゴローが地球へ連れて行かなかったら。
乗り換えの際にテクノーラの名前を耳にしなかったら。
訪れたデブリ課のラビィがタナベの住所と番号を教えてくれなかったら。
その時にうっかり、業務上課せられたタナベの遺書を持っていってしまわなかったら。
実家で布団を出す時の風でそれがポケットから転がり出ず、読んでしまわなかったら。
ボンヤリしたまま走らせたバイクで事故を起こして落水し、かろうじて陸に上がったところをタナベが通りがからなかったら。
 
それらのいずれが欠けても、ハチマキはきっとタナベと再会することはなかったろう。「心ここにあらず」だった彼は、自分の足ではなくあくまで偶然によって"そこ"へやってきた。だが、こうしたことはけして初めて起きたものではなかったはずだ。
 

© 幸村誠講談社/サンライズ・BV・NEP 「プラネテス」3話より
タナベ「どうして奇跡が起きたんだと思います?それはファドランさんがそう願ったからです。奇跡を起こすくらい強く願ったからです!地球に戻りたい、家族のところに行きたいって!」
 
3話に登場した、宇宙を愛し宇宙葬を望んだ男イブン・ファドランの遺体もまた、偶然によって地球圏へ帰ってきた。そしてタナベはこのことを偶然とは呼ばなかった。「奇跡を起こすくらい強く願ったから」だと、そう言ったのだ。「地球に戻りたい、家族のところに行きたい」と。……そう、ハチマキとタナベの再会は3話のファドランの帰還と同じだ。ハチマキが自分でも自覚できないほど心の奥底で、しかし「心ここにあらず」となるほど強く願った結果起きた奇跡なのだ。
 
世界はすれ違いやボタンの掛け違いに満ちている。親子や友人、恋人であっても分かり合えないことや秘密はあるし、思い通りに物事が運ぶなどと言うことはめったにない。ハチマキが事故を起こし、タナベが体の自由を失いながら生き残ったのもごく例外的な事例に過ぎない。
けれどそれでも世界には――いや宇宙には時に、奇跡としか思えないような心の通い合う瞬間が存在する。タナベがハチマキと同じように遺書を書けなくなったり、彼女の言う"愛"を上手く言葉にできずともハチマキが理解したように、自分が上手く言葉にできない思いをそれでも誰かが共有してくれる時がある。本気で引き金を引いても銃から弾が出なかったおかげでハチマキがハキムを殺さず済んだように、自分自身ですら気付かなかった本心を代弁するように物事が運ぶ時がある。
 
そういう時、私達の心は"ここ"には存在しない。脳の電気的信号の中にも、心臓の脈動の中にも存在しない。けれどそれは、心なるものがまやかしであることも意味しない。ちっぽけな私達の肉体を飛び越えて繋がっていて、それが、そここそが心の所在なのだろう。
 
人の心はどこにあるのか?と言えば、それは宇宙にある。故に、人と宇宙の間に境界線など存在しないのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版プラネテスの25話レビューでした。すみません、昨日はちょっと書くだけのエネルギーがなく、「心は宇宙にあるのだ」とだけボンヤリ考えながら寝てしまったのですが、書いている内にこの25話のハチマキとタナベの再会は3話と同じことなんだと気付いてこんな具合になりました。そうだなあ、ファドランと娘と同じくらい遠くに離れて、そこから帰ってきたんだなハチマキ……
 
さて、およそ20年の時を経て巡り会えた半年の付き合いもいよいよ次回で最終回です。すぐまとめられる自信は全然ないのですが、最後まで自分なりに向き合えればと思います。
 
 

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