世界で一番きれいな自撮りの方法――「よふかしのうた」10話レビュー&感想

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会
らしさを手に入れる「よふかしのうた」。10話では吸血鬼の一人、ミドリのバイト先であるメイドカフェで騒動が起きる。今回は自撮りを通して世界の見え方が変わるお話だ。
 
 

よふかしのうた 第10話「盗撮画像を拡大して見る」

ミドリに頼まれ彼女の勤務先のメイド喫茶でバイトをすることになったナズナ。コウは客としてナズナの動向を見守っていたが、とある盗撮事件の犯人探しをすることになって……。
 

1.小繁縷ミドリの場合

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アリサ「ミドリちゃんて全然飾らないんです、見た目も中身も。入ってすぐに1番人気になっちゃいましたね」
 
今回は吸血鬼の一人、繁縷こはこべミドリが中心となる話だ。普段の彼女はメイド喫茶「ゔぁんぷ」で働いており、その愛らしさから人気No.1の座を獲得している。1位の座を奪われた同僚のアリサはミドリを「見た目も中身も全然飾らない」と評しているが、彼女の正体を知る視聴者の多くは「いやいや」とツッコんでしまったのではないだろうか。
 

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ミドリ「ナズナちゃんにしか頼めないんだよ~!」
ナズナ「なんか失礼なこと言われてる気がするんだけど」

 

あどけない少女のような容姿のミドリは実際のところ、吸血鬼仲間の中でも特に話術に長けた油断ならない人物だ。初登場した7話でも主人公のコウを篭絡しようとすり寄っており、その巧みさは小悪魔とでも形容できそうなほど。アリサの評と逆に、ミドリは自分を飾り立てる術をよくよく心得ている。しかしだからと言って、彼女の評は別に間違っているわけではない。
 

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ミドリ(夜守コウめ。この間はこの私に向かってアリかなしで言えばなしなどと抜かしやがったボケナス野郎! 今日は夜守くんに超かわいい私を見せてギャフンと言わせてやる!)
 
ミドリは常に自分をかわいらしく見せようと飾っているが、同時に私達視聴者は彼女の内面を覗き見ることを許されている。そこから分かるのは、彼女が自分の欲望に素直なことだ。足りなくなったバイトを補う人手は欲しいが自分の人気を奪う恐れのある吸血鬼は呼びたがらなかったり、殺し文句だったはずの「アリか無しか」でまさかの無しを選んだコウに自分のかわいさを見せてギャフンと言わせてやろうと思っていたり……コミカルだがそこには「顔で笑って内心では嘲笑っている」ような陰湿さはない。ミドリは常に自分に正直であり、つまり自分に対して自分を「飾らない」。場の調和ではなく自分のために言動を飾る彼女は「飾るから飾らない」のだ。
 

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ミドリ「え、パンチラが無いって最初から思ってたの!? キモい!」
 
アリサはミドリの「ゔぁんぷ」1番人気の理由を飾らない点にあると言った。そして今回、コウや同族のナズナにツッコミを入れたりする飾らない彼女の姿は非常にチャーミングだ。ミドリは7話で自分に屈辱を味わわせたコウに対して「超かわいい私を見せてギャフンと言わせてやる」と息巻いているが、この10話はコウだけでなく私達にも超かわいいミドリを見せている回として見ることができる。実際、今回の彼女は私達をギャフンと言わせるほど魅力的だ。
 
 

2.アリサの場合

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ミドリを捉える上で重要なのは「飾らない」こと。それを念頭に置いてこの10話を視聴した時、対照的な形で浮かび上がってくるキャラクターがいる。言うまでもなく今回のゲスト、彼女の同僚のアリサである。
 

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ナズナ「あータイマーで撮影ねなるへそ。おっと、あたしの顔撮っちった」
 
ミドリが「ゔぁんぷ」に入るまで人気No.1だっただけあって、アリサは美しい。コウは自分がミドリの正体を知っているのを割り引きつつも、二人の人気に差が出る理由は無いように感じているほどだ。しかし現実には2位に陥落したアリサは満たされない承認欲求を抱えており、盗撮に見せかけた自撮り写真をネットに上げて人気をアピールするという奇行に走っていた。事件と思われたこの自作自演はコウの推理によって突き止められるが、彼の探偵ごっこがいささか滑稽に描写されているようにこの10話は別にミステリー回というわけではない。注目したいのはむしろ、彼が写真を自撮りだと気付いた理由の方だ。
 

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問題の写真が盗撮でないとコウが気付いた理由の1つは、それがあまりに整っていたからだった。撮られ慣れていないナズナを戯れに撮影したものは美貌が台無しだったのに対し、アリサの写真はバレないようにこっそり撮ったはずがそうはなっていない。また着替えている場面や際どいアングルなどもありながら、一番に狙うであろうパンツは写っていなかった。盗撮にしてはある種の完成度が高過ぎるそれは、自撮り用のアプリも用いて美化されたもの――つまり「飾った」ものであった。
 

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アリサ「ミドリちゃんはすごいです。羨ましいな……」
 
前段で触れたように「飾る」行為は全てを同様に語れるものではなく、アリサのそれから覗くのは強い抑制だ。彼女はミドリに人気を奪われた悔しさはおくびにも出していなかったし、偽装盗撮にしても自ら被害を訴え出たりもしていない。時には朝から夜まで自撮りを繰り返す自分を異常だと認識する理性も備えていた。彼女にとって、「飾る」とは自分を常識人の領域に抑制するための化粧だったと言える。飾るという言葉の上ではミドリと同じであっても、方向性はむしろ正反対の代物だ。
 

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コウ「アリサさんごめん、こんなのバレたくなかっただろうけど……」
 
ミドリは吸血鬼の正体を隠し、「美味しくなる魔法」を必殺技のごとく使って見せるほど自分を飾っているが、それによって自分を偽ったりはしていない。彼女は自分の欲望に正直でいる。一方のアリサは常識人を装い自分の外面を飾っているが、それが導いているのはむしろ欲望に対する不正直だ。アリサは満たされない承認欲求をそのまま表出することもできず、結果それは偽装盗撮という形になった上にクオリティの高さ故に盗撮写真として不完全という本末転倒なものになってしまった。ミドリと逆にアリサは「飾るから飾れなかった」のである。
 
 

3.異常であること、正常であること

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ミドリ「夜守くんだって病気だよ」
コウ「え!?」
ミドリ「学校に行けなくなって、夜な夜な遊び呆けてる中学生なんて病気そのものじゃん」

 

ミドリとアリサは「飾る」点で重なりながら、まるで明暗のように対照的だ。しかしこれは二人だけに仮託された問題というわけではない。ミドリはアリサの承認欲求を「病気」だと指摘した後、それは学校に行けなくなって夜遊びしているコウや一般人なのにチヤホヤされたくてメイド喫茶で働く従業員や一般人をチヤホヤしたい客も同様だと話を広げている。
 

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ミドリ「ていうか、ここで働いてる娘もそうだよ。一般人がチヤホヤされたくてここにいる。客もそう。一般人をチヤホヤするために来てる。すごく異常だよ」
 
実際、メイド喫茶というのは奇妙な場所だ。給金を払って正式に雇ったわけでもないのに客はご主人さまお嬢様と呼ばれ、「美味しくなる魔法」なる現実的には何の成分変化も起こさない行為がサービスされる。客も客でわざわざ大仰な褒め方をしてメイドを喜ばせようとするこの空間は異様なもので、メインターゲットでないコウはしばしばお約束を破ってしまうし反応としては「すごい」としか言えなくなる有様だ。こんな接客もこんな客のあり方も一般的な飲食店ではありえない。はっきり言ってしまえば異常で、独自の設定への従属が求められるこの空間はまるっきり「飾り」立てられている。だが、その飾りはけして彼らを不幸にしていない。
 

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ミドリ「萌え萌えきゅーんっ」
 

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客「参ったなあ。ミドリの魔法にかかればブラックコーヒーでさえ甘くなっちゃうんだ。それとも、僕が甘々な評価をしちゃってるのかな」
 
例えば「ゔぁんぷ」にはミドリのコーヒーならブラックコーヒーも甘くなってしまうなどと褒める常連客がいる。その前のミドリの「美味しくなる魔法」も含め、この接客シーンはアクションから演出に至るまでコミカルにして異様だ。しかし一方で同様の場面は盗撮犯の見回り報告の際の後景としても使われており、その際ナズナは「変な客はいなかった」とコウに伝えている。もちろんこれは盗撮と思しき挙動をするような客はいなかったという意味だが、同時にナズナはもはやこの客やナズナの接客は変なものとして認識していない。もちろん往来で同じことをしていれば驚くだろうが、ここでする分にはそれはおかしなことではないのだ。むしろ大仰に接客して大仰に褒めることで、飾ることで彼らは自分の欲求を満たしている。それを許すよう飾り立てた場所としてメイド喫茶「ゔぁんぷ」は存在している。
 

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ミドリ「だからねアリサちゃん、別に病気でいいんだよ」
 
行動というのは不思議なもので、時と場合(場所)によって受け入れられることも拒絶されることもある。コラボ飲料をキャラクターの体液に見立てる行為も仲間内だけなら笑い話で済むし*1、逆にアニメのモデルになった場所を見てみたいだけの思いも大挙して押し寄せればかえって迷惑にすらなる。飾らない状態の人間は誰しも異常な部分は持っているもので、重要なのはそれを受け入れられる場所を作ったり見つけること。あるいは受け入れられる形に「飾る」ことなのだろう。だから偽装盗撮などという異常行動をやらかしたアリサに対し、ミドリもまた言葉を飾る。
 
 

4.世界で一番きれいな自撮りの方法

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ミドリ「それ、病気って言うんだよ」
 
ミドリは言う。アリサの承認欲求は「病気」だと。同席していたコウが動揺するようにそれは棘のある言い方で、彼女はわざと表現を「飾って」いる。だがそれはアリサをけなしたいのではなく、むしろ受容したからこそ出たものだ。もちろん「愛ゆえのムチ」などではない。
世の中には「他人が当たり前にできることが自分にはできない」ことに悩む人が多くいるが、それを「普通のこと」だと言われるのは救いのようで救いにならない。「できない」が明らかに異常なことに彼らは悩んでいるのであって、異常さの否定は悩みの解決ではなく悩みそのものの否定になってしまうからだ。解決のためにはそうではなく、異常さを抱えていること、そして異常さを抱えた自分を受け入れてもらうことが必要になってくる。その点で「病気」という表現は、アリサの抱えた罪悪感までも包括した最適なものだったと言える。
 

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ミドリ「今回ちょっと間違っただけで、アリサちゃんの歪みは正常だよ。いい写真だったし」
 
アリサが病気であること、異常であることを指摘し、その上でミドリは続ける。不眠症で夜な夜な遊び呆けているコウも病気、一般人なのにチヤホヤされたがっている「ゔぁんぷ」の従業員も病気、それをチヤホヤしたがっている客達も病気だと。「病気」を抱えているのが普通であって、アリサは異常ではあっても特別ではないのだと。異常者になって世間から弾かれるか、隠して正常者のフリを続けるかの二択しか考えられなかった彼女にとってこれは目からウロコの落ちるような言葉であったろう。それはつまり「異常なままでこの世界にいていいんだよ」というメッセージだ。アリサにとってメイド喫茶という場所が世界に匹敵する場所であり、そこを辞めれば彼女はもう生きて行けなくなってしまうと知っているから口にできた言葉なのである。
 

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ミドリ「人間なんてだいたいみんな病気なんだから、それと上手く付き合うしかないよね」
 
みんな大抵は病気を抱えているもので、問題はその治療ではなく付き合い方にある。そう言って話を終える時、ミドリは背もたれに腕をかけ足を組み直す。これは一種の「大見得」だ。決め台詞を最大限に「飾る」パフォーマンスだ。最初に触れたように彼女は、飾ることが自分を飾らない一番の方法であることをよく知っている。だから彼女の芝居がかったメッセージはむしろ、今回もっとも嘘偽りのない言葉としてアリサの、そして私達の胸に響く力を持っている。ミドリはこうしてアリサとその向こう側の多くの視聴者を受け入れる度量の大きさを、「ゔぁんぷ」人気No.1の所以を見せつけたのだった。
 

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アリサ「言ったでしょ。私、趣味はメイド喫茶で推しのメイドさんとお話することなんですよ」
 
かくて事件は解決し、再び静かな夜がやってくる。ナズナのバイトに付き添い「ゔぁんぷ」を再訪したコウが遭遇したアリサはメイド服ではなく、ミドリと会うため休日にも関わらず店を訪れていた。
仕事着を脱ぎ、営業トークではなく推しのメイド(ミドリ)に会いに来て、自撮りに対する自分の異常な執着を吐露する彼女にはまるで飾り気がない。しかしその姿は弱々しくて陰を感じさせた登場当初よりずっと魅力的に彩られたものだ。「飾らないから飾れる」のもまた事実であり、アリサはかつて自分が評した(おそらく憧れてもいたろう)ミドリのあり方を手にしていた。
 

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アリサ「ねえ夜守さん、一緒に撮りませんか?」
 
今回の締めくくり、アリサがコウを誘って撮影する写真は偽造盗撮の時のように彼女だけを映していない。それはミドリ達が異常性を受け入れてくれたあの日、アリサの世界が広がったからだ。自分以外をカメラに収めることが、視界に入れることができるようになったからだ。彼女だけを映していないこの写真は、むしろ何より雄弁にアリサを語るポートレートになっていると言えるだろう。
 

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装うことが自分をきれいに飾り立ててくれるとは限らない。飾らない自分に対して世界が優しく見えた時、それは何より美しく私達を飾ってくれるのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版よふかしのうたの10話レビューでした。うへえ、時間がかかってしまった。昨晩は2まで頭の中で構成できましたが結論が弱く、今日になってからウンウン頭を悩ませながら半日以上かけて4までたどりつきました。病気だよ病気、30分アニメ1本でやることか!
 
EDを見て、ゲストキャラのアリサ役が大西沙織さんなのがなかなかびっくりでした。視聴作品数が少ない人間なのもあって、大西さんの演じるキャラというと「刀使ノ巫女」の十条姫和「境界戦機」のソフィア・ルイスなんかの声色の印象が強かったので。分かって聞いてみるとああ確かにとなりますが。後、「ギャフン」と言っておきます。まあカワイイというよりは「惚れ込む」タイプの魅力でしたけども。
 

クライマックスPVも公開され、アニメはいよいよ佳境。残りはどんな話になるんでしょうね。
 
 

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*1:まあおそらく仲間内でも引く人はいるが