恋よりもピュアな――「よふかしのうた」13話レビュー&感想

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会
夜は続くよ「よふかしのうた」。13話ではコウの改めての選択が描かれる。彼と彼が恋したい吸血鬼・ナズナの関係とは結局何なのだろう?
 
 

よふかしのうた 第13話(最終回)「よふかしのうた」

警察から逃げていたところをハツカに助けられたコウ。ハツカに吸血鬼を殺せる人間がいることを話し、さらに今、吸血鬼になるかならないかで悩んでいることを打ち明けた。一方、ナズナは、ニコ、ミドリ、セリに会っていて……。
 

1.吸血鬼殺しの先

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「よふかしのうた」は不登校の中学生・夜守コウが吸血鬼である七草ナズナと出会い、彼女に恋をし吸血鬼になろうとする日々を描いてきた作品だ。優等生として振る舞うことに疲れた彼にとって吸血鬼の夜の世界はとても自由で魅力的で、ナズナと過ごす日々は楽しくてたまらないものだったが――11話以来、作品の様相は変わってしまっている。
 
コウが接した吸血鬼達は皆善人だったが、世の中には人を望まぬ形で眷属にして苦しめる吸血鬼もいる。またコウにとって夜の世界が楽しかったのはそれは非日常だったからだが、ふと振り返ればいつの間にかそれはコウの中で日常と化してしまっている。コウにとって憧れのナズナにしても自由人というわけではなく、本当は吸血鬼になってからの日々をとても退屈に感じていた。これらは吸血鬼を憎みそれを殺す方法を知る探偵・鶯餡子の登場に起因しているが、つまりコウは彼女に物理的にだけでなく概念的にも吸血鬼を殺されていると言える。そして最終回となる今回コウが体験するのは殺害の先、吸血鬼の「破壊」とも言える出来事だ。
 
 

2.蘿蔔ハツカがもたらしたもの

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ハツカ「とりあえず入る?」
 
前回餡子との敵対を選択し彼女に通報されたコウは、偶然出会った吸血鬼・蘿蔔すずしろハツカに匿われていた。平田ニコや小繁縷ミドリといった仲間のように前に出るタイプではなく、比較的印象の弱かったこの吸血鬼の実像をコウは初めて知ることになるが、それはなかなか強烈なものだった。
 

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ショート「私ちゃんと言いつけ守りましたよ!」
ヒゲ「俺も、俺もです!」
ロング「ハツカ様に褒めてもらいたくて頑張りました!」

 

吸血鬼は人間に恋をさせて吸血することでその人間を眷属にするが、ハツカの眷属と思しき人間は片方の性に限られない。また彼らのハツカに対する感情は崇拝や独占欲が混ざった熱狂的なもので、上がりも下がりも異様なそのテンションにコウは困惑せずにはおられない。そして極めつけ、シャワーを浴びているハツカに呼び出されたコウが目にしたのは明らかに女性とは違う特徴を備えた裸体であり、そこまで来てあまりの情報量にコウの思考は一度止まってしまった。ハツカの正体はなんと、女装少年の吸血鬼だったのである。
 

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ハツカ「いやごめんごめん、とっくに知ってるもんだと思っちゃった。びっくりした?」
 
ハツカは別に正体を隠していたわけではない。仲間達は皆知っていたし、彼自身もナズナがコウに話していると考えていた。ハツカは自覚的に女装しているのだからある意味で成功なのだが、彼を女性と思っていたのはコウの誤解、思い込み、確認不足に他ならないのだ。だが、これはけして特殊な事例ではない。
 

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ハツカ「吸血鬼は実のところ、吸血鬼についてあまり分からないんだ」
 
コウから餡子の吸血鬼殺し(11話でコウ達を襲った、騙されて吸血鬼になった教師の殺害)を聞いたハツカは、その方法に心当たりはあるようだが断言せず、吸血鬼が自分達のことをよく知らないことを明かす。驚くべきことに吸血鬼は生きること以外しないから自分達の肉体のメカニズムに詳しくなく、コウのように血の美味しい人間がいる理由も解明されていなかったのである。人間の恋愛感情を操る術に長けた理性的な吸血鬼が自分にまるで詳しくないこの事実はお粗末にも思えるが、ハツカが言うように自分達のことをよく理解していないのは実は人間も変わらない。いや、そもそも私達はどれほどのことを理解できているのだろう?
 
西暦だけでも2,000年以上の歴史を重ねた現代、私達は教科書等を通して様々な科学的事実を知ることができる。物体の落下速度が重量に比例しないことも、物質が原子でできていることも知っている。古代なら哲人であっても知り得なかったことを知っているわけだが、しかしそれは必ずしも自分の身についているわけではなく、多分に借り物の知識に過ぎない。地球平面説の支持者が今になって増えているように、もっともらしい話をされれば容易にそれが論理的だと、教科書や報道の嘘を見抜けたと信じてしまうのが私達の知性の実情だ。この知識と理解のギャップがもたらしている混乱についてはことさら語る必要はないだろう。
 

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ハツカ「どうしたの?」
コウ「いや、ちょっと情報が多くて頭が」

 

コウが何も知らないのは、別に吸血鬼に限った話ではなかった。餡子とのやりとりはコウの中の吸血鬼を殺したが、ハツカとのやりとりはコウの中の吸血鬼を――いや、彼の中にあった「吸血鬼に無知な自分」像すら破壊してしまった。コウが受けたショックとはつまり、自分の無知さが全面的なものと知った時のショックだと言える。
 
 

3.恋よりもピュアな交わり

人間は自分が思っている以上に物を知らない。目の前の人間の姿や言動の真偽も見抜けないし、経験による学習もしばしばその適用範囲を誤ってしまう。私達にとって世の中は分からないことだらけ、嘘だらけだ。だが、だからといって真偽も真贋もどうでもいいのかと言えばそれも是ではない。
 

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ニコ「ものを頼む態度がなっちゃいねえなあ!」
 
自分が吸血鬼にならなくても殺さないでほしいとナズナがニコ達に頼みに行き、命の危機に瀕していると知ったコウは、ハツカから提案を受ける。コウが殺される可能性があったりナズナがけじめを求められるのは彼が吸血鬼について人間に広める危険な存在になりかねないからであり、コウが吸血鬼になってしまえばどちらも必要がなくなる。ナズナに恋をするのが難しければ自分の眷属になってはどうか、と。
 
女性に対して理解できないという思いの強いコウにとって、少年吸血鬼のハツカは新たにして有力な選択肢だ。同性だから相通ずる感覚はきっと数多くあるだろう。だがコウはそれを選ばない。
 

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ハツカ「要は僕のことを好きって脳みそに勘違いさせればいいんだよ。そもそも恋愛感情なんて洗脳みたいなもんだしね」
 
恋をするのが難しいのは誰が相手でも変わらないのでは?というコウの疑問に対し、ハツカは交流による自然発生ではなくある種の科学的な手法の使用を示唆する。彼にとって恋愛とは単なる脳内の電気信号に過ぎず、そこに真偽も真贋も区別はない。つまりそこには一切の"まこと"がない。コウという人間ももはや存在しない。
 

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コウ「俺は、ナズナちゃんを好きになりたいって思った。……と思う」
 
コウはハツカの提案を断り、自分がナズナを好きになりたいと思った、『と思った』ことを宣言する。ひどく不確実な表現だが、それはむしろ極めて誠実なものだ。
人は性別を問わず他者をけして理解できないし、それは自分自身に対しても変わらない。他の吸血鬼からの誘いを全て断るほどナズナに執着しながら未だ彼女を好きになれないコウの感情が何なのか、そもそもなぜ彼女を好きになりたい(吸血鬼になりたい)のかなど、彼にも私達にも理解できるはずがない。自分の感情に対する理解は、いつだって完全な正解にたどり着くことはない。
けれどそうだとしても、コウが、自分はナズナを好きになりたがっている『と思った』ことだけは否定できない。好きになりたいというのは本当は誤解かもしれないが、今自分がそう認識していることだけは確かなのだ。他の全てが分からなくても間違いでもそこには一握りの真実があり、ならばそれを貫くことは生半可な論理や知識に従うよりずっと誠実な態度であろう。
 

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ニコ「あたしらは全力でお前らの恋路を応援する。だからナズナは何が何でも夜守くんを落とせ。それが夜守くんを殺さない条件だ」
 
駆けつけたコウを焚き付け、既に去ったナズナを追いかけさせたニコは、遅れてやってきたハツカに事の推移を説明する。まるでナズナを半死半生の目に遭わせたように振る舞った彼女はその実、最初にテーブルにぶつけた八つ当たり以外では全く暴力を振るっていなかった。彼女はナズナに、これまでと少し違う形で約束の履行を求めていたのだ。
 

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コウ「やっと見つけた」
 
「自分達は全力でコウとナズナの恋路を応援するから、コウを殺されたくなければナズナも全力で彼を恋に落とすように」……重要なのは、ニコがこれを最初の約束から何ら変わりないと評している点である。そう、応援やナズナに求められる積極性こそ変われど、ナズナがコウを吸血鬼にすれば万事解決という約束の要諦は何も変わっていない。これはコウがハツカの提案を断る中で見つけた自分の考えに対する認識と同じものであり、そういう一点さえ違えなければ後はいくら形が変わっても本質的には同じなのだ。街中を探したコウがナズナの前に姿を現す場面は1話にあったものの配役をひっくり返したようになっているが、要諦と自由度の関連性はこうした描写からも見て取ることができる。
 

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コウ「ナズナちゃん! 俺はナズナちゃんを好きになる! だから退屈なんてさせない、俺といよう!」
 
コウとナズナが互いに対して抱いている感情は結局何なのか? この物語はそれを言葉にしない。ニコに問われたナズナが何と答えたかは描写されないし、コウはナズナにプロポーズのような言葉をかけたりするがやはりそれは恋愛感情ではない。けれど一緒にいると楽しい『と思った』のは確かで、その一点さえ共有できていれば二人が一緒にいるには十分だ。吸血鬼になれる時間制限や餡子の存在といった障害はこの13話では全く放置されているが、彼らはきっとそれを乗り越えていくだろう。
 
 

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一緒にいようというコウのプロポーズじみた言葉も、ナズナの衝動的な口づけも、恋や友情といった言葉でピッタリ表すことはできない。そんな言葉では網が大き過ぎて捕えることができない。けれど彼らの間にある交誼を、交わりを否定することもまた誰にもできない。どんなに小さくて見えなくとも、どんなに形にできなくとも、彼らの間に"思い"は間違いなく存在しているのだから。
 

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ナズナ「……仲良くやろうよ」
 
もしも世にある恋愛や友情といったものを分解できたなら、私達が最後に見つけるのはきっとコウとナズナの関係と同じものだ。二人の関係とはつまり、恋よりもピュアな交わりなのである。
 
 

感想

というわけでアニメ版よふかしのうたの最終回13話レビューでした。前日多忙、本日も午前に用事ありと時間がかかってしまいましたが、それを差っ引いても書くのが難しかったです。5回くらい見て「嘘から出た真」でどうかな?と文章を転がし、夜になってようやく「恋よりもピュアな交わり」という言葉を絞り出すことができました。
 
最近は以前ほど漫画を読まなくなっており、本作も原作は未読。視聴にそれほど乗り気というわけではなかったのですが、気がつけば文学的とも言える味わいにすっかり虜になってしまいました。2作しか見なかったシーズンでこの作品に巡り会えたのは、本当に幸運なことだったと思います。
得難い貴重な視聴時間を過ごせたことに心から感謝を。ありがとうございました。
 
 

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