景色のやまびこ――「ヤマノススメ Next Summit」12話レビュー&感想

©しろ/アース・スター エンターテイメント/『ヤマノススメ Next Summit』製作委員会
繰り返しの「ヤマノススメ Next Summit」。最終回12話は「またいつか…ヤッホー!」の言葉で締めくくられる。なぜ、ヤッホーなのだろう?
 
 

ヤマノススメ Next Summit 第12話(最終回)「行こう!新しい頂きへ」

天候に不安を抱きながら須走ルートを行くあおい達。やがて雲が晴れ、富士山の山頂が姿を表す。そこからは順調な道のりに思えたが、標高が上がった本七合目の手前であおいは一年前と同じように頭痛に襲われる。
挫折の記憶が蘇るあおいを前にして、ひなたはある決断をする‥‥‥。

公式サイトあらすじより)

 

1.大同小異、大異小同

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あおい「江戸時代から富士登山って盛んだったんですね」
 
4期最終回となるこの12話、あおい達は昨年は彼女が途中下山した富士山に挑む。言わずと知れた日本でもっとも高い山、そしてそれ故に霊峰として信仰も集めてきた山だ。このため富士山登山の歴史は長く、同行するここなの話やスマホの情報からあおいはその一端に触れる。
 

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楓「レインウェアも登山靴も防寒着もなかったわけだし、今より命懸けだったはずよ」
 
昔は富士山に挑む時、「六根清浄、お山は晴天」と唱えながら登ったこと。江戸時代にも富士登山は盛んだったこと。劇中でここなや楓が口にするように「どっこいしょ」は六根清浄がなまったものとの説もあり、100年以上前も今のあおい達と同じような人がいたことになる。ただ、同じなのはある程度に過ぎないのも事実だ。あおいが六根清浄~と唱えるのは眼や耳を清らかにするためではなく高山病予防が目的だし、交通手段も防寒手段も限られていた往時の富士登山の苦労は今とは比べ物にならない。
 

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ひなた「あおい、もしかして……」
 
あおいと昔の人の山登りは、似ているが全く同じではない。同じではないが全く別物とも言えない。これは彼女にとっての昨年と今年の富士登山も同様で、あおいは体力づくりや道具の新調などで今度こそ登頂しようと準備を進めてきた。高山病の再発を恐れるあおいに対する幼なじみのひなたの、1年前とは違うという励ましを否定する視聴者はまずいないだろう。だが同時に、彼女はこの1年で別人のように生まれ変わったわけではない。その証拠に10話では、もっとクラスの皆と触れあえば良かったと年度の終わりに後悔したかと思えば、クラス替えによる新しいクラスにすぐには溶け込めず早く1年が過ぎてほしいと願ったりしている。「変わったようで変わっておらず、変わっていないようで変わっている」のが雪村あおいなのである。だからこの2度目の富士山登山も、前回と打って変わって順調というわけにはいかない。天候には恵まれず、前回ほど激しいものではないが今回も軽い高山病を発症してしまったのは無情さというよりはある種の必然なのだろう。
 
 

2.3歩進んで2歩下がる

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あおい「ずっとじゃなくて、時々ズキッとなる程度なんですけど……」
 
似ているが全く同じではなく、同じではないが全く別物とも言えないものには必然的に繰り返しが伴う。3歩進んで2歩下がるようにして進むあおいの富士登山は、高山病というもっとも避けたい繰り返しに遭遇してしまった。だが見落としてはならないのは、繰り返しているのは彼女だけではないことだ。あおいの高山病は同行者にとっても初めてではない。特にひなたは再発の可能性を考慮して自分の荷物を軽くしてきたほどであり、彼女にとってもこれは繰り返しなのである。
 

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ひなた「今度は私が残ります!」
 
過去にあった嫌なことを繰り返すのを喜ぶ人はいない。しかし一方で、人はその繰り返しに何か別の反応ができた時には過去までひっくるめて払拭できたような気分にもなる。ひなたにとって繰り返したくない嫌なこととは、あおいの高山病に何もしてあげられない無力な自分であることだ。だから彼女は前回と違い、今度は自分があおいと同行して途中の山小屋に泊まることを申し出る。昨年富士山登山に挫折したのは、けしてあおいだけではなかった。
 

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ひなた「山に来るとさ、ふだん当たり前なもののありがたみを感じるよね。ご飯とか飲み物とか、雨風から守ってくれる小屋とか、歩きやすい道路とか」
あおい「そうだね……」

 

高山病を抱えながら山小屋に宿泊したあおいは、しかし昨年のように惨めな気持ちではいない。それは半分は彼女がこれまで努力を重ね、症状を軽くできたおかげである。けれどもう半分は、同行してくれたのがひなたであったおかげだ。彼女がいつもと変わらない調子で接してくれる*1からこそ、あおいは落ち着いて明日のための力を蓄えることでできる。いつもと違うこの状況で、ひなたのいつも通りの態度が――つまり「似ているが全く同じではなく、同じではないが全く別物とも言えない」ありようが、あおいにはたまらなくありがたいのだ。山に来ると普段当たり前のものありがたみを感じる……というひなたの言葉に同意しながらあおいが彼女を見るのは、ひなたの優しさに山で感じる食事や小屋のありがたみと同じものを感じているからなのだろう。
 
 

2.進ませてくれる人、下がらせてくれる人

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あおい「こんな時はガツンと、ようかんに決まってるでしょ!」
 
一晩寝て完調とはいかないものの回復したあおいは、ひなたと共に登山を再開する。先にある予定の山小屋に泊まった楓達より出遅れているわけだが、これは前節でふれたあおいの性質と軌を一にしている。この遅れは3歩進んだあおいの2歩分の後退だ。しかし、遅れることは単なるマイナスだろうか? そうではない。あおいがひなたの優しさを改めて実感できたのは、この2歩分の後退があったからこそだ。
山による生活環境の後退が人里での暮らしのありがたみを感じさせるように、時には遅れが人に気づきを与えることもある。2歩戻ることで、人は自分の道を見つめ直すことができる。例えば軽さを重視してキャンディを持ってきたひなたはいつも通りようかんを持ってきたあおいを見て嬉しそうに笑うが、ここに見えるのはあおいが自分を2歩引き戻してくれることへの喜びだ。ひなたにとってあおいとは、自分がどこかに行ってしまわないための重しになってくれる存在なのだと言える。
 

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3歩進んで2歩下がって、人はようやく本当の意味で1歩進むことができる。けれど、一人でそれを果たすのはなかなかに難しい。私達はともすれば振り返ることなく突っ走ってしまったり、あるいは過去に引きずられて前に進めなくなってしまうからだ。けれど、誰かと一緒ならそれはいくらか容易になる。進む力の強い人は下がる力の強い人によって顧みることができるし、下がる力の強い人は進む力の強い人によって前に踏み出すことができる。3期ではあおいが少し友達を増やせたり、ひなたがそこに子供っぽい嫉妬を感じてしまったり後にそういう自分を認められるようになるといった出来事があったが、あれは不調和のようでも間違いなく2人の相互作用だったのだろう。
 

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あおい「同じ光でも、見る高さがちょっと違うだけで悔しかったり嬉しかったり……感じ方がこうも違うんだね」
 
3歩進んだ人が2歩下がり、2歩下がった人が3歩進めばそこには同じ景色が見えてくる。いや、それは同じ景色を見ているというより景色が重なっている・・・・・・といった方が正確かもしれない。遂に山頂に到達したあおいはご来光を目にするが、それは江戸時代の人々も見たものだ。今にしても、この山頂には海外から富士山に惹かれて2度もやってきた人が一緒にご来光を見ている。何よりあおいはこのご来光をかつては山小屋から見ており、山頂から見た今回との違いを感じているのだ。重なる景色は「似ているが全く同じではなく、同じではないが全く別物とも言えない」のである。
 
 

4.景色のやまびこ

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あおい(山頂に来た時の気持ちは、思ったよりあっさりしていて。それはたぶん、あの時の悔しさからたくさんのことを学んで、たくさんの山を登って、色んなものをもう手に入れていたから。そう、わたしはここに最後のピースを拾いに来たんだ)

 

重なる景色は全くの同一ではないが故に、むしろかつて見た景色の記憶を喚起する。時には、微妙なズレがかつて見た景色に新たな発見をもたらしてくれることもある。山頂の更に先、真の日本最高峰である剣ヶ峰に着いたあおいが感じたのは全てを手に入れた喜びではなく、自分が既に多くのものを得ていた実感であった。彼女は自分はここに最後のピースを拾いに来たのだと言うが、ピースが揃ったことであおいは昨年登頂を断念した時から組み立て続けたパズルがどんな絵か、いや、どんな景色だったのか遂に知ることができたのだろう。
 
人は自分が今していることが何をもたらすか、本当の意味で知ることはできない。未来はいつも霧がかかったように不確かで、良かれと思ってやったことは裏目に出るしお先真っ暗に見えることもある。あの時自分は何をしたのか、何を得たのか知るのはいつだってそれが過去になってからだ。例えるなら、叫んだ声がやまびこになって帰ってきて、初めて私達は自分の声を知ることができるのである。だったら、その叫びはできるだけ大きい方がいい。
 

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あおい(未来のわたし。今よりきっと強くなってるって信じてるから!)
 
山頂の郵便局で「未来の自分」へ手紙を出した帰り、あおいは霧の中で過去の自分を、そして未来の自分の後ろ姿を幻視する。それはある意味、彼女がこの登山でした体験の凝縮だ。あおいは1年前の心の叫びのやまびこを聞き、そして未来の自分に向かって改めて叫んだ。それはきっと、未来でも「似ているが全く同じではなく、同じではないが全く別物とも言えない」自分の背中を押してくれる。相変わらずぐずぐずして弱音を吐いて、ひなたとケンカばかりして、でも今より強くなっているはずの自分の背中を、やまびこになって押してくれる。今と重なる景色を、未来の自分に見せてくれる。
 

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あおい・ひなた「またいつか…ヤッホー!」
 
様々な形で山を登り続けたこの物語は、あおい達の高校卒業までをごく簡単に描き、彼女とひなたの「またいつか…ヤッホー!」の叫びと共に締めくくられる。このアニメを見て登山を始める人も、他の形で何かを顧みたり新しい一歩を踏み出す人もいるかもしれない。それは本作に対する私達の、文字通りの反響――すなわちやまびこだ。ちっぽけだとしてもやまびこを返す時、私達はきっとあおい達と重なる景色を見ているのである。
 
 

感想

というわけでヤマノススメのアニメ4期レビューでした。ぼんやり浮かんだやまびこというキーワード、書き連ねてみると結構な量に。記事タイトルは「木霊する景色」の方が通りがいいかとも思ったのですが、山だしやまびこだよねということで。
 
今回は相互フォローさせてもらっているゆずめろん(@KCCmagpii)さんのツイートがヒントになった部分があり。こちらのツイートから続くツリーに大変納得しつつ自分の中で(論そのものにではなく、それを受けて自分の中で)微妙に釣り合いの取れない部分があったのですが、今回レビューを書いて自分なりにあおいとひなたの関係に納得することができました。ありがとうございます。

 
3期で強く感じさせたある種の凄みを、より敷衍して見せてくれた4期だったと思います。4話までを総集編+αにしたり、5~9話を同じテーマでくくれる15分×2で作っていたのも「やまびこ」的と言えるかしらん。あと小春部長が大変かわいらしかったです。スタッフの皆様、素晴らしい作品をありがとうございました。
 
 

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*1:昨年同行した楓の名誉のために言うならば、これは100点と120点の違いに過ぎない