物語は誘う――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」25話レビュー&感想

©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
新たな舞台へ赴く「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。25話ではプッチ神父の野望を阻止すべく北へ向かう面々が不思議な出来事に遭遇する。今回は目的地に向かうのに必要なものを問うお話だ。
 
 
プッチ神父を追ってグリーン・ドルフィン島からの脱獄に成功した徐倫たち。脱獄を知ったプッチ神父は、次の「新月」までの5日間、徐倫たちから遠ざかるため北へ向かうも、病院で起こった人質事件に巻き込まれてしまう。一方、徐倫たちに続き、脱獄に成功したアナスイウェザー・リポートは何者かのスタンド攻撃を受けていることに気付く。
 

1.移動の物語

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エルメェス「さらば愛しの水族館、か……」
 
この25話はジョジョ6部のアニメ最終シーズンの初回であるが、主人公である徐倫の出番は少ない。内容の大半は彼女を助けるべく後を追うウェザー・リポートアナスイが奇妙な事態に振り回される描写に割かれており、彼女が登場するのはアバンの間だけだ。だがこのアバンは徐倫の出番の確保のためのみにあるわけではなく、25話の方向性を強く示唆してくれている。
 

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徐倫「まず、移動手段を手に入れるわ」
 
前回ついにグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所からの脱獄に成功した徐倫達だが、これはもちろんゴールではない。彼女の目的は「天国へ行く」宿願を叶えようとしているプッチ神父を止めることにあり、そのためには彼の目的地ケネディ宇宙センターまで移動する必要がある。「移動」……そう、この25話は移動の話だ。今回は徐倫プッチ神父もウェザー達もケネディ宇宙センターを目指して動いており、一箇所に留まることがない。そして彼らはただ物理的に目的地にたどり着けばいいわけではなく、目的を果たすために制約を受けた状態にある。脱獄囚である徐倫やウェザー達は警官に捕捉されないよう移動しなければならないし、プッチ神父にしても天国へ行く条件である新月の日までは徐倫達が自分に追いつけないようにする必要がある。彼らはケネディ宇宙センター自体ではなくそこで果たす目的に向かって「移動」しているのであり、足や車輪の動きだけではこの目的地にはたどり着けない。
 

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運転手「あれぇ? なんで動かねえんだ。ガソリンはまだあるしよ……」
 
単なる座標ではなく、もっと抽象的な意味での目的地に移動するにはどうすればよいのか。ヒントとなるのは今回のプッチ神父の描写である。天国へ行く鍵となる「緑色の赤ちゃん」と一体化して以降周囲に異常現象が発生するようになり、25話でも故障していないタクシーの停止で足止めをくらった彼はしかしそこでいくつもの偶然の一致を目にする。オーランドまで3マイルの標識、33ドル33セントで止まったタクシーの料金メーター、三銃士の本、時を同じくして病院に運び込まれた3人の急患……どれもこれも偶然に過ぎないはずのそれらにしかしプッチ神父は、3に目を向けよという天啓を受け取る。
 

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プッチ神父「君はどこから来た? 自分が何者なのか知っているのか?」
 
3人の急患は強盗、暴走族、麻薬中毒といずれも社会に馴染めなかった人間であり、その結果生死の境をさまよい病院へやってきた。どこにも「移動」できずにたどり着いた行き止まりで、このままでは彼らは死を迎えていただろう。だが、プッチ神父との出会いが3人の運命を変える。彼らはなんとプッチ神父の盟友DIOの息子達であり、つまり徐倫達の追跡を退けるための最上の手駒たり得る可能性を秘めていたのだ。
 

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警官から逃れる人質にすべくハサミの先端を突きつけてきた麻薬中毒の男・ウンガロに対し、プッチ神父はなんと自らハサミを首に突き刺す暴挙に出る。即死してもおかしくないその傷はしかし、あと1mmというところで彼の神経を傷つけていなかった。これは単なる偶然であり、しかし偶然であるが故に人はそこに必然を見る。
 

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プッチ神父「君は引力を信じるか? 人と人の間には引力があるということを」
 
プッチ神父は言う。人と人の間には引力があり、君は私の引力に引っ張られてここに来たのだと。引っ張られるとはつまり「移動」することだ。座標ではなく抽象的な目的地にたどりつくためのヒントは、プッチ神父とウンガロに見られるような人と人の間の引力にあったのである。
 
 

2.物語は誘う

私達の間には引力があり、それは人を物理的な意味でなく「移動」させる力を持っている。これはプッチ神父とウンガロの間柄に限った話ではない。
 

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アナスイ「このトラックの下に落ちてるヤツは! あの顔は! なんで落ちてるんだ、なんで落ちてるんだ!?」
 
助けた老人の厚意でトラックの荷台に載せてもらったウェザー・リポートアナスイは、置いてあったテーマパークのガイドにキャラクターが全て白抜きされているのを皮切りに不思議なものを多数見る。嘘をつくと鼻が伸びる人形、眠っているお姫様と小人達……なんと、荷台にあった本からピノキオや白雪姫と七人の小人達といったキャラクターが現実に姿を現したのだ。それだけなら当惑こそすれど困ることはなかったが、アナスイに至ってはいつの間にか自分の心と体が分離させられてしまっていた。
 

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ピノキオ「君が分離したんだね。ボクのこと好きだったんでしょ、昔やっぱり……」
 
ピノキオは言う。アナスイは昔、自分の登場する「ピノキオの大冒険」が好きだったんでしょ?と。ウンガロのスタンド「ボヘミアン・ラプソディー」によって実体化したこのキャラクター達は、自分を好きな人間の心と体を分離させる特性を持っていたのである。体だけになった方のアナスイはいつの間にかトラックから落ちて引きずられ、トラック自体も老人の心と体が分離して操縦不能になった結果事故を起こして彼らは危うく死にかけることになった。
 

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ピノキオ「あんたは誰のファン? ボクのファン?」
ウェザー「悪いがオレは君達を知らない。向こうへ行け……蹴り殺すぞ」

 

そのキャラクターを好きな人間に限り、心と体を分離させる。ボヘミアン・ラプソディーは強力なスタンドだがそういう制限がある。実際、プッチ神父に記憶を奪われたらしくピノキオも白雪姫も知らないウェザーのみはこの攻撃を受け付けなかった。これはつまり彼と童話のキャラクターの間には「引力」が無かったことを意味する。
 

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ウェザー「雨が降ると古傷が痛む……」
老人「ふぅ、まあな……ご親切にありがとう」

 

人と人の間には引力があるが、誰の間にもあるわけではない。例えば私達は駅やスーパーで多くの人とすれ違うが、それらはほぼ100%がすれ違う以上の意味を持たない。もしも時間を繰り返したとして、一人目と二人目の通行人が入れ替わっても私達は気にも留めないだろう。だが一方で、引力を持つ人との接触はほんのわずかな時間でも大きな意味を持つ。先の老人にしても、トラックに載せてくれたのは道端でぶつかった際にウェザーが助け起こしてくれたこと(より正確に言えば、雨で古傷が痛むと聞いた彼は自分のスタンド能力で老人の周囲だけは晴れるよう天候操作まで行っている)がきっかけだった。彼の優しさが、老人との間にちょっとした物語を生んでいたのである。
 

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プッチ神父「これは偶然だ。偶然致命傷になる場所を避けて突き刺さったんだ」
 
「物語」……そう、人と人の間にある引力は物語の形をとって現れるものだ。プッチ神父とウンガロのように偶然の出会いに必然性を与え、100年200年と離れた歴史に不思議な共通点を見せる。個々人がめいめいに動いているはずなのに大きな流れを感じる「運命」などは、物語の形をとった引力の最たる例に挙げられるだろう。
 

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ピノキオ「世界中の子供はボクの味方なんだぞ! こんなのストーリー通りじゃない!」
 

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老人(狼)「ストーリー通り、だ……」
 
苛立つアナスイ(の心)に破壊されたピノキオは今際の際に「こんなのストーリー通りじゃない」と叫び、「赤ずきん」の本から現れ老人に化けた狼はアナスイに返り討ちに遭いながらも「ストーリー通りだ」と口にする。死ぬのは原作通りだが、赤ずきんに見立てられたアナスイは丸のみにされていないのだから狼の発言は奇妙に思える。ここでいうストーリー(物語)とはおそらく、原作のことであって原作のことではないのだ。実際、狼の言葉を怪訝に思ったアナスイが次の瞬間に気付いたのは原作との矛盾ではなく、心だけの自分を見ることのできないウェザーが体だけのアナスイを連れてバスに乗ってしまったことだった。彼は次の新月まで徐倫達を遠ざけたいというプッチ神父の思惑に、物語にまんまと乗せられてしまったのであり、それこそが本当の意味でのストーリー通りなのだろう。ウンガロのスタンド攻撃によって、プッチ神父は真の目的地へ着実に一歩「移動」したのだ。
 

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アナスイ「ウェザーッ! 聞こえねえのかーーっ!」
 
人は、単なる座標ではない抽象的な目的地に行くためには特別な移動手段を手に入れなければならない。それは漫画や小説を単に最終ページまでめくれば、あるいはあらすじだけ見れば読み終えたことになるわけではないのとも少し似ている。出来事ではなく、ある種の体験として受け取れなければ感動することも感銘を受けることもできはしない。
たどりつくまでに目にする人と人の間の引力、すなわち「物語」こそは人を目的地へたどり着かせる移動手段なのである。
 
 

感想

というわけでジョジョ6部のアニメ25話レビューでした。いよいよ始まりましたアニメ最終シーズン! たどり着くには物語が必要、というのはポンと浮かんだのですが、それにプッチ神父の言う引力をどう紐付けられるかに悩みながらレビューを書いた次第です。現実とフィクションの関係については今回は触れられませんでしたが、次回を見たらそのあたりも何か書けるのかしらん。ウンガロ役の山崎たくみさん、マクロスプラスイサム・ダイソン役なんかで好きな声優なんですがそういえばジョジョは初出演だったな……
 
鉄腕アトムマジンガーZ鉄人28号の登場に笑ったり、ピノキオが好きな幼少期のアナスイってどんな感じだったんだろう? と「物語」にちょっと思いを馳せたくなる回でした。次回も楽しみです。
 
 

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