偽りの神に抗え――「虚構推理 Season2」15話レビュー&感想

©城平京・片瀬茶柴・講談社/虚構推理2製作委員会
真心を探す「虚構推理 Season2」。15話では雪女が勇気を振り絞ってある抵抗を行う。彼女が抗った相手とは、琴子であって琴子ではない。
 
 

虚構推理 Season2 第15話「雪女のアリバイ」

離婚した妻の死により、警察に殺人の疑いをかけられた昌幸。遺体の手のひらには、昌幸に不利となるダイイングメッセージも見つかった。無実を証明できるアリバイの証人は殺人時刻に一緒いた雪女のみ。しかし、怪異が警察に証言するわけにもいかない。真犯人を見つけるため雪女は琴子の力を頼ることに。
 

1.事実と論理は正しい?

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雪女「私が証人になれんばかりに、よけいお主がまずい立場になっておるのか!?」
 
学生時代に雪山で友人に、社会人になってからは妻や会社の仲間に裏切られ殺されかけた男・室井昌幸。なんとも災難続きの人生を送ってきた彼には今回、新たな不運が降りかかる。元妻である美春が殺害され、自分が犯人ではないかとの容疑を警察にかけられてしまったのだ。それだけなら一般的なミステリーから逸脱するものではないが、彼は最近はかつて雪山で出会った雪女と交流しており、相手が雪女であるが故に彼女によってアリバイを証明できないという奇妙な状況が本章を「虚構推理」の一篇たらしめている。
 

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古川刑事「美春さんは『自分が変死すればあなたに殺されたに違いない。すぐ捕まえてくれ』という内容の告発文を自宅に隠しておられました」
 
我々は虚実を見分ける時、もっぱら事実と論理を根拠に判断を行う。その点で室井の無実は明瞭だ。美春は自分が殺されたら犯人は室井の筈だという告発文を自宅に隠していたが、そこに書かれているのは全て思い込みであって事実ではない。愛人を作り遺産目当てに殺害を試みた自分に対し室井が(過去の経験や、雪女と似ている美春と結婚したという明かせない負い目から)とった処置があまりに寛大だったものだから、逆にそれを隠れ蓑に復讐を企んでいるのではと想像をたくましくしたに過ぎない。加えて警察は商業施設の防犯カメラの映像を元に室井が離婚後も美春と接触していたと考えているが、我々視聴者はそれが雪女と一緒にいた時のものだと容易に察することができる。事件当日も室井は雪女と共に食卓を囲んでいたことを彼女に語っており、彼が美春を殺害していたわけはない。
 

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琴子「そりゃ当然一緒に来るよう誘いはしたんですが、工事現場のバイトがあるからと断りやがりまして!」
 
雪女の存在は警察に語ることはできない。だが事実と論理を根拠に考えれば室井の無実は疑う余地もなく、問題はそれをどうやって警察に証明するかの一点のみ――神の視点を持つ私達にとって、事件は複雑だが課題自体はシンプルにも思える。だが、それは本当に不動のものだろうか? 人と怪異の揉め事を調停する知恵の神、一眼一足の"おひいさま"こと本作の主人公・岩永琴子は、私達のこの思い込みに一石を投じる。
 
 

2.明かされる真犯人?

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琴子「あまりに状況がうまくできているのは愉快じゃありませんね。雪女が証人のアリバイや殺された奥さんと間違われた防犯カメラの映像、そのために窮地に立たされるとは……芝居がかった設定にも思われます。なら、そこを疑ってかかりたくなりませんか?」
 
雪女の願いを受け姿を現した琴子は、知恵の神の名に恥じない推理を彼女と室井に披露する。だがそれは彼女達の、いやそれ以上に私達視聴者の予想を裏切るものだった。なにせ彼女の推理とは、室井が美春を殺した犯人のはずはないというアリバイを補強するどころか崩すものだったからだ。
 

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琴子「さて雪女、今日は何月何日か正確に答えられるか?」
雪女「え? え!? ……その、10月の初めかとは……えっと……」

 

琴子は言う。カレンダーを使わない妖怪は日時を正確に把握していないから、室井が事件の日は食卓を囲んだ日だと言えば手もなく信じてしまう。雪女はアリバイの証人たり得ない。
 

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琴子「人の法や倫理の外にあるのが妖怪です。あなたを信じる故に、その者達を凍え死なせるでしょう」
 
琴子は続けて言う。雪女が警察への証人たり得ないが故に室井が捕まるという状況は彼女に室井への負い目や信頼を生み出し、室井はそれを利用して彼女を復讐の道具にできる。自分を裏切った会社の元仲間達を証拠もなく殺させられるのだから、一見何の得もないこの状況にもメリットはある。
 

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琴子「ショッピングモールに行かせ、防犯カメラに映らせ、雇った弁護士にその映像を調べるよう頼む。美春さんが亡くなった後もよく似た女性がそこを訪れていると証明できれば、警察が容疑をかけた根拠は崩れます」
 
琴子は更に言う。室井が捕まる決め手の一つは防犯カメラに美春と思しき女性が一緒に映っていたためなのだから、罪を逃れるには雪女に再びそこに映ってもらえばいい。よく似た人間がいることだけ証明できれば、無罪や不起訴に持ち込むのも難しくはない。これが室井の企みの真相だ……と。
 

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琴子「妖怪とちょっと取引をするくらいなら目をつむりますが、そこまで身勝手に妖怪を操り私欲をほしいままにするのは看過できません。人の理も妖怪の理も壊しかねない所業です」
 
琴子が推理を披露する構図は秀逸である。要するにこれは、ミステリーで探偵が真犯人を暴くクライマックスの場面そのものだからだ。これまで物語は室井の主観に近い視点で語られていたが、それも含めて彼が私達視聴者に嘘をついていたのではないかと思った人は多いのではないだろうか? 正直なところ、私はそうだった。雪女が日時を把握できないのは間違いないし、メリットや道理も筋が通っている。加えて言うなら、室井が(美春と誤認された)雪女と一緒にいるところを撮影したとされる防犯カメラの映像は画面には描かれていない=本当に美春であってもおかしくはないように演出されているのだ。事実と論理を根拠に判断するなら、疑わしいのはむしろ室井の無実の方であることを琴子は明らかにしたのだった。
 
 

3.偽りの神に抗え

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室井昌幸は無実の罪に問われているのではなく、むしろそれを利用しようと企んでいる。琴子は残酷な事実と論理を示したわけだが、人はこうした時どうすればいいのだろう? もっとも道徳的なのはもちろん、それを受け入れることだ。事実と論理は覆しようのないものだから、前回の室井の雪女評を借りれば黙って従うのが「まっとう」だし「分別のつく」行動というものだろう。特に今回の場合、事実と論理を語っているのは怪異達にとっての知恵の神なのだから尚更だ。だが、雪女はそうしなかった。
 

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雪女「おひいさま! お言葉ですが、この男にそんな邪悪な企みは思いつけません。確かに、確かに私はこの男の潔白を信じておりますし、この男のためなら人を殺すのもためらわないでしょう。されど! おひいさまのお知恵、ご慧眼を疑うわけではありませんが!」
 
雪女は地に額を付けんばかりに伏し、琴子に再考を願う。確かに自分は室井を信じ切っているし、彼のためなら躊躇いなく人を殺す。しかし室井はそんなことを企める男ではない。彼は人を憎むことができない優しい人間であり、そうでなければ裏切られて人間不信になったりはしない……と涙ながらに訴えたのだった。
 

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雪女「この男は顔に険あれど心根は優しく、人を憎むなどできない者にございます。 でなくてどうして何度も裏切られ、傷ついて、人を信じられなくなったりしましょうか! どうか、どうか再考のほどを!」
 
雪女の反論は極めて情緒的で、事実と論理からは程遠いものだ。実際、彼女は室井が琴子の言うようなことを企んでいれば手もなく乗せられるだろうと認めている。ドラマなどで逮捕された子供に対して親が「そんなだいそれたことができる子じゃないんです!」と訴える場合と大差ないものなのである。もちろんこうした訴えは現実には単なる思い込みに過ぎない場合がほとんどだが、冤罪で有名な足利事件のような例があるのもまたよく知られているところであろう。そして琴子の真の目的は雪女のこの真心を引き出し室井の「人間」不信を払拭させるところにあり、先に披露した推理は全くのでっち上げに過ぎなかった。彼女の提示した事実と論理に室井(や私達)は言葉に詰まってしまったが、「そういう目的なら室井は雪女と肉体関係を結んで信頼をより強固にしているはず」という身も蓋もない要素一つ*1で否定される程度のものでしかなかったのである。
 

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琴子「妖怪とはいえ、あなたを信じ真心を尽くすものがいる。あなたは傷つき人を信じるのを恐れているかもしれませんが、それほどの存在があるのです。いい加減再起されるべきかと」
 
文明の発展した現代社会に生きる私達にとって、事実や論理は新たな宗教である。言っていることが事実であり論理的なら、あらゆる感情はひれ伏し無視されるべきだと思われている向きすらある。だがトンデモ学説を唱える人間と学術的な検証を経た通説を唱える人間の討論会を見れば前者にも一定の確かさはあると感じてしまうのが私達だし、ネットにまん延する「事実」と「論理」はむしろ世界をデマの只中に引きずり込んでいる。多くの場合私達は目の前のものを事実や論理と信じ込んでいるに過ぎず、そんなものは絶対的な信頼を寄せるには値しない。それらはけして、私達が信仰するほど確かな存在なんかでは――神様なんかではない。
 

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雪女が抗ったのは琴子という知恵の神が見せた虚構であり、しかしそれに留まらない。彼女が本当に抗ったのは事実と論理という「偽りの神」だ。事実や論理(に見えるもの)にひれ伏し依存する堕落に抗った時こそ、私達は真心に触れることができるのである。
 
 

感想

 
というわけで虚構推理のアニメ2期3話のレビューでした。今回のレビューのタイトルは貴志祐介の小説を原作とした傑作アニメ「新世界より」のキャッチコピーからの拝借になります。正確には末尾に句点が付いてますが。琴子が山奥を訪れるところから、「真心は深山幽谷にあり」みたいなのも考えましたが今一つピントが合っていない感があり、この言葉を思い出した瞬間にやっと歯車が合った気がして本文の道筋が見えました。琴子の推理にドキッとするのが室井だけでなく私達も同様である、というのがとても挑戦的な仕掛けで面白いなあ。
 
揉め事が「論理とお気持ちの対立」という構図に当てはめられることが多い昨今ですけど、それって本当に合ってるんでしょうか。さて、次回はどんな30分になるのかな。楽しみです。
 
 

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*1:言われなければこの単純な反証に気付きもしないのだ、室井も私達も!