帳尻の呪い――「虚構推理 Season2」19話レビュー&感想

©城平京・片瀬茶柴・講談社/虚構推理2製作委員会
女傑と凡人の「虚構推理 Season2」。19話では呪いの人形を巡る怪事の解決編が描かれる。呪いというのは目に見えないものだ。
 
 

虚構推理 Season2 第19話「あるいは星に願いを」

怪異たちに頼まれ多恵を訪ねてきた琴子。夜になると電撃で無差別に魚をショック死させる木の人形は、この地に落ちた「ある異物」の力が秘められており、この世の理とは相いれない力を持つことが分かった。早速、人形の排除に取り掛かる琴子たちだが、人形にはある秘密が隠されていて……!?
 

1.呪われていた多恵

孫を交通事故で喪った老人・善太の祟り、すなわち呪いが描かれる本章。これを語るにあたって、まず振り返りたいことがある。それは舞台となる港町の女傑とも言える老女、多恵が前回口にした「帳尻合わせ」に関する言葉だ。
 

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「虚構推理 Season2」18話より
多恵「世の中たいてい、帳尻が合うようにできてるよ。幸と不幸の量は最終的にそう変わりないってね」
 
80歳を過ぎた人間が口にするなら、この言葉は多分に経験に基づくものだろう。だが実際のところ、本章が描くのはもっぱら帳尻の不一致の方だ。例えば今回は善太の遺した人形が夜な夜な右腕から電撃を放って魚を殺し、地元の妖怪も手に負えないことから怪異達の知恵の神にして主人公である岩永琴子が呼ばれたわけだが、彼女は決まったルートを通り木でできた人形は罠を使えば簡単に破壊できることを指摘する。恐るべき相手と思えた人形が実のところ、怪異どころか人間でも対処できる=帳尻の合う存在に過ぎなかったこの事実に対し、琴子が感じたのはむしろ帳尻の合わなさだった。孫を轢き殺した張本人である大学生達を襲いもせず、誰でも破壊できるこの人形はそのままでは復讐の道具として異常であり脆弱過ぎる。
実は人形には大学生達の呪詛人形としての役割があり、善太は町の人に人形を壊させそれによって大学生達を殺害する遠望を抱いていたわけだが、それは彼が悪辣だからではなく自分では人を殺せない善人だったためだった。善太は大学生だけでなく観光収入のため事故を大事にしまいとした町の人も恨んでいたのだが、復讐に向かない自分がそれでも願いを叶えるためにこんな帳尻の合わない方法を採っていたのだ。
 

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またこのことを察した琴子はまず人形から呪詛となる部分を除去しようとしたが、その準備はかなり大掛かりなものだ。人形の通る砂浜に落とし穴を仕掛け、妖怪達を待機させ、恋人である九郎に不死身とは言え何度も命を落とさせ対価である未来決定能力を使用させる。しかも、そこまでやって無力化させた人形は実際は大学生達の呪詛を企図してはいてもそこまでの呪力は持っておらず、結果だけ見れば人形はただ破壊するだけで十分だったのである。もちろん不要な備えだったとは言えないが、苦労の割に合っているとは言えない。そう、帳尻が合っていない。
 

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多恵「あの人形が現れた時にね、あれを止め、町を救うために今のあたしがいたんじゃないかって運命を感じた。この身を犠牲にして、あの人形と刺し違えるなんて成り行きになるんじゃないかってね」
 
事件が終わった翌朝、多恵は琴子達に朝食を振る舞いながら、自分は人形と刺し違える運命なのではないかと考えていたことを打ち明ける。彼女は若い頃に2人の子供を、これから老年という時期に夫を事故で喪っており、事件の解決に命を捧げることでこの余生に意味が生まれるのではと期待していたのだ。だが実際は多恵だけにできる役割などはなかったし、また人形にはなぜか大学生達だけでなく多恵の名前も彫られていたが呪詛は機能していなかった。
 

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多恵「とんだ妄想だったよ。あたしがいなくてもあれは簡単に壊せた。あたしは意味なくここにいるだけだよ」
 
多恵の嘆きとはすなわち、世の中は帳尻など合わないという諦めである。前回のあの言葉は彼女にとって実のところ、経験に基づくものではなく願望と言った方が近いものだったのだろう。多恵はあの言葉を自分に言い聞かせ、いつか自分にも帳尻が合う時が来ると願ってきた。虚しい長生き相応の意味のある死を望むようになっていた。それは願いではあるが、人を導くよりも縛り付ける類のもの――すなわち呪いである。善太が人形に込めた大学生や多恵への呪詛は機能していなかったが、多恵はそんなことをされずとも既に呪われていたのだった。
 
 

2.帳尻の呪い

私達人間は、世の中は帳尻が合ってほしいと願うものだ。罪には相応の罰がくだってほしいし、費やした労力には見合った結果がほしい。だがそうした釣り合いが感じられることはどちらかと言えば稀で、概ね人はその理不尽を嘆くことになる。
 

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例えば、多恵は社会的には帳尻が合った方に分類される人間である。子供が死んだ交通事故や夫が死んだ水難事故で得た賠償金は手当としては十分なもので、おまけに老齢でも肉体は健康そのもの。暮らしに困らず腐らず生きている彼女は、周囲の人間から妬まれすらするほどだ。けれど多恵にとってはこの裕福さは身の丈に合わないし、大切な家族に悲しい別れを告げられての長生きなど嬉しくもなんともない。世間からは恵まれていると認識されて然るべきと認識してはいても、こんな人生は帳尻が合わないというのが彼女の本音であろう。
 

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多恵「身内の死で幸せに生きているあたしは間違いでなければいけない、でなければ善太の行いはあまりに愚かになる。それであの人形にあたしの名前も彫り込んだんだろう」
 
また多恵の推測ではあるが、善太が人形に彼女の名前を彫ったのは自分と彼女で生き方の帳尻が合わないと感じたためだった。善太と多恵は共に親族を無理矢理奪われた人間であるが、悲しみに打ちひしがれる善太にとっては賠償金を使っても使い切れない――悲しむべきことから幸せを得ているように見える――多恵の存在は帳尻が合わない。だから呪詛しようとしたのだ。
 
世の中は帳尻が合わないと感じられることに満ちている。だが、それは逆に言えばどんな恵まれた立場に見える人間もそう感じているということだ。誰もが世の中は帳尻が合わないと感じる点で、逆説的に世の中は帳尻が合っている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

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多恵「暮らしに困らず、一人でも腐らず行きてるあたしは不幸じゃないんだろう。でも子供達を亡くした時、旦那を亡くした時、どちらもあたしは死んでしまいたかった」
 
多恵は言う。子供を亡くした時も夫を亡くした時も、死んでしまいたい気持ちだったと。それでも生きているのは、善太と同じで自分で自分や誰かを殺す勇気がなかったからだと。彼女はこの時、願いと行動の帳尻が合わない自分と善太の「帳尻が合った」と感じたのだろう。いや、本当はもっと前から二人の帳尻は合っていた。琴子は港町を離れた後、善太の作った人形が規格外の存在になったのは多恵の無意識も影響している可能性を指摘しているが、してみるならあの人形は2人の帳尻の産物でもあったと言える。ねじ曲がった歪な呪いの事件は結局、どこまでも帳尻を巡る物語であった。
 

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琴子「いえ、あなたがここにいてくださったおかげで私は今日、美味しい朝ごはんを食べられています。感謝の言葉もありません」
 
世の中は理不尽に満ちていて、帳尻が合うと感じられることは少ない。どころか、傍目には帳尻が合うようでも当人の中では理不尽でしかない場合もしばしばだ。だからといって何か意義深いもの、大きなもので帳尻を合わせようなどというのはある種の秩序に反しているし傲慢に過ぎない。それを痛感し自分の長生きは帳尻など合わないと諦める多恵に対し、琴子は彼女のおかげで美味しい朝食を食べられることへ感謝を告げて慰めとする。たかだか朝食、しかも味噌汁は琴子が手土産に持参したフリーズドライのものに過ぎないのだが、そんな程度のものでも帳尻の足しにはなる。いや、多額の賠償金が多恵にとって嬉しいものではなかったように、むしろ琴子の言うような些細なものでしか帳尻を合わせることはできないのかもしれない。
 

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私達が日頃言う帳尻などというのは大抵まやかし、虚構の類に過ぎない。それでも私達は、帳尻を欲する呪いから逃れることはできないのである。
 
 

感想

というわけで虚構推理のアニメ2期7話レビューでした。前回に引き続き帳尻の話として書き始めて3,000字ほど書いたのですが終わりの方でようやく多恵の心情に少し手が届いたと感じ、またそうすると既に書いた文はむしろまどろっこしかったので一から書き直すことになりました。書けはしましたがまだ自分の中で整理がつかない部分があるな……
2本で収まるのが不思議な、なんとも言えない奥深さを感じた章でした。素晴らしかったです。
 
 

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