カタツムリを止める愛――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」32話レビュー&感想

©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
回生の「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。32話ではウェザーを殺すしかないと言われたヘビー・ウェザーが遂に止まる。だが、誰もがカタツムリになる異常現象を止めたのは彼の死ではない。
 
 

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 第32話「ヘビー・ウェザー その③」

「ヘビー・ウェザー」によるカタツムリ化を止めるため、ウェザー・リポートのもとへ急ぐ徐倫たち一方、ウェザー・リポートプッチ神父によってもたらされた悲劇に決着をつけることを考えていた。プッチ神父の接近を感じ取り、警戒するウェザー・リポートアナスイだったが、「ヘビー・ウェザー」の対処法を知るプッチ神父は思わぬところから二人に奇襲をかける。
 

1.ヘビー・ウェザーは意味不明

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プッチ神父「動物も昆虫さえもカタツムリ化するこの現象、天候の秘密さえ理解すれば、とりあえずカタツムリに触れることになんの恐れもない!」
 
1回や2回で1つの戦いが終わる本作には珍しく、3回の長丁場で描かれてきた「ヘビー・ウェザー」編。主人公である徐倫の仲間ウェザー・リポートの悲しい過去や彼の兄であった宿敵プッチ神父との因縁が描かれてきたわけだが、今回強調されているものの一つにはプッチ神父の洞察力が挙げられる。
 

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ウェザー「自分でも見当はつかないが、カタツムリに触ることがこの現象の引き金になっている可能性が高い」
 
記憶を取り戻したウェザーが無意識に発動させる悪魔の虹「ヘビー・ウェザー」は、人々がカタツムリになっていく奇っ怪なスタンドであった。奇っ怪なのはもちろんスタンド能力全般がそうなのだが、徐倫達が困惑したのは天候を操るウェザーのスタンドと現象が一致しないからだ。「スタンド能力で皆をカタツムリに変える」のではなく「天候を操るスタンドで皆がカタツムリになる」というのは非常識なはずの本作の世界の常識をも超えている。徐倫はもちろん本体であるウェザーにすら原因の見当がつかないこの現象を、ただ一人理解していたのがプッチ神父だった。
 

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プッチ神父「それらは見たことを認識できないが、間違いなく人間の深い意識に刻み込まれる。それが心理学でいうサブリミナル……潜在意識効果だ」
 
かつての戦いでヘビー・ウェザーを経験していたプッチ神父は、この現象の正体はサブリミナル効果であると言う。ポスターに紛れ込ませた一見しただけでは分からない文字や映画フィルムに挟み込んだ一コマの写真は見た人間の潜在意識に入り込み、直接的な指示よりも大きな影響を与える力がある。ヘビー・ウェザーの虹はカタツムリの映像を混じり込ませるか原始の本能を刺激するかして見た者に「自分はカタツムリになる」という潜在意識を植え付け、その強い思い込みは肉体を本当にカタツムリに変えてしまうのだ……と。プッチ神父はこの理屈に基づき己のスタンド「ホワイトスネイク」で一時的に自分の視覚を封じることでヘビー・ウェザーの影響から逃れ、更にはカタツムリに紛れて敵に接近。兄弟としての感覚を頼りに位置を割り出したウェザーの足を切り飛ばし、仲間であるアナスイも半ばカタツムリに変えて圧倒的に有利な状況を作り上げることに成功した。
 

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プッチ神父「これが答えだ。ウェザー・リポートの封印していた能力だ」
 
かくして、3話に渡って街を大混乱に陥れたカタツムリ化現象の正体は天候レベルのサブリミナル効果であるとして物語は進む。他の誰一人分からなかったこの現象の原因を突き止めたプッチ神父の洞察力は群を抜いている。だが、少なからぬ人はこう思ったのではないだろうか? 「ムチャクチャだ」と。
 
 

2.HowでなくWhy

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アナスイ「なんだ? いま何を説明した?」
 
プッチ神父の説明を聞いてムチャクチャだと思うのは不自然なことではない。実際、彼の説明はいくつかの現象を無視している。例えば虹は30話では視認ではなく接触でカタツムリ化を起こしていたし、カタツムリ化はカタツムリに触れても発生することがこの32話でも語られている。またプッチ神父はカタツムリに隠れてウェザーを奇襲したが、視覚を封じれば接触による影響が防げるというのはいささか疑問の残る話だ。そもそもで言えば、サブリミナル効果に肉体をカタツムリに変化させるほどの力があるというのも牽強付会の感がある。プッチ神父の説明にアナスイは当初「なんだ? いま何を説明した?」と反応するが、これはおそらく多くの視聴者が同感であったろう。
 
こうした指摘に「漫画なんだからそのくらいの粗はいいじゃないか、野暮なツッコミはやめようよ」と思われた方もいるかもしれない。少なくとも原作が掲載された20年前、私はそう考えて矛盾を飲み込んだ人間だった。それが現実とフィクションの区別をつけた、大人の読み方だと信じて疑わなかった。だが、アニメで再び本作に触れた今はこう思う。プッチ神父や彼の説明に納得した当時の私は、ヘビー・ウェザーを現象としてしか・・・・・・・見ていない。ウェザーがこんなことをする意味を全く考えていない。
 

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ウェザー「カタツムリ化する者に対し気の毒に思う気持ちもあるが、オレは自分の人生を呪っている。この現象に対し、何かスカッとする気持ちも心の底にはあるんだ……」
 
ウェザーはなぜヘビー・ウェザーを発動させたのか? それは彼が世界を憎んだからだ。彼は生まれた日に他の赤子と取り替えられ、知らずして実の妹であるペルラと愛し合い、結果彼女だけが命を落とすことになった。どうしてこんな理不尽なことが起きるのか? どうして自分だけ生きているのか? どうして死のうとしても死ねないのか?――プッチ神父に記憶を奪われた20数年前も今回も、絶望の怒りこそはヘビー・ウェザーのトリガーである。すなわちこの現象は、何よりもまずウェザーによる世界への呪いなのだ。サブリミナル効果がどうだこうだというのは、30話のナレーションが言うように「結果、データから巡り巡った気象の原因をただ解説する」行為に過ぎない。重要なのはウェザーがこの破滅的な事態を望むほど心の底で世界に絶望している事実であり、それを念頭に置かない限り全ては表層的な理解にしかならない。
 

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プッチ神父「こ、小細工をッ!」
 
サブリミナル効果を第一に語るのは、科学的知見を元にしているようでむしろ浅はかな理解に留まっている。そう考えた時、運命を見通すほどの超然的洞察力を持つはずのプッチ神父の行動は確かに甘い。彼は先の奇襲を始め様々な方法でウェザーとアナスイを出し抜こうとするが、その度にかえって足をすくわれている。視覚を封じているが故にウェザーがスタンド能力で己の血を固めた槍を見ることができず、アナスイを操って目の代わりにするも今度は自分の傷の血を固められて負傷。風で自分を引き寄せようとするウェザーに向かって血の槍を投げ、回避のため風の向きを変えさせようとすれば、ウェザーはあえて槍を受けてそれを両者を繋ぐ縄に変えてくる。プッチ神父はウェザーの反撃を小細工と評してアナスイに否定されるが、これらは全てウェザーの覚悟を見誤った結果なのだから小細工をしていたのはむしろプッチ神父の方であろう。
 

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アナスイ「小細工じゃあない、ウェザーの方が強い! 勝つのはウェザーだッ!」
 
エンリコ・プッチとウェザー、そしてペルラの悲劇を描いた31話は記憶や無意識、運命といったものが目に見える外側に現れる瞬間を描いた話であり、プッチ神父にとってはその究極形が自身のスタンド「ホワイトスネイク」によるDISC化能力であった。だが22話で死亡した徐倫の仲間F・FがDISCに収まらない自分を認識したように、外側に現れたものはあくまで表層に過ぎない。ヘビー・ウェザーの解説にしろDISCにしろ、そんなものをありがたがるのは知的進歩のように見えてむしろ退歩でしかないのである。ならばこの32話も、外側に現れたものではなくその奥にこそ思考の手を伸ばすべきだ。そう、今回ラストのヘビー・ウェザーの終わりは、本当は何を意味しているのだろう?
 
 

3.カタツムリを止める愛

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ウェザーとプッチ神父の死力を尽くした戦いは、結果から言えば思わぬ横槍によって終わった。プッチ神父を捕えたウェザーが最後の一撃を加えようとした瞬間、彼を探して走り回っていた徐倫達の車が視界不良や血の槍によるパンクで衝突。その隙にプッチ神父はウェザーを殺害し、更には車を運転していた盟友DIOの息子ヴェルサスを操ってまんまと逃げおおせてしまった。徐倫達は、自分達のカタツムリ化の停止によってウェザーの死を、彼の戦いの終わりを知ることとなった。
 

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徐倫(まさか……あたし達の車の事故に何か関係がある……?)
 
ウェザーの亡骸を前に、徐倫は自分達の車の事故が原因なのかと考える。確かに直接的には彼女達が突っ込んだからこんなことになったのだし、プッチ神父はそれを運命が外側に現れた証と解釈している。やはり運命は彼に味方しているのではないか……と徐倫は考えたことだろう。だが、ウェザーの最後を見ていたアナスイはそれをよしとしなかった。
 

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エンポリオ「おねえちゃんに……ウェザーはおねえちゃんに託したんだ」
 
ウェザーはただ殺されたわけではなく、プッチ神父に胸を貫かれた際に相手の能力で自分のスタンドをDISC化させてもいた。記憶を取り戻した時は自分の生きる希望はプッチ神父との決着をつけることしかないと言っていた彼はしかし、最後の最後に決着ではなく己の力を徐倫に託すことを選択していたのである。なぜか? アナスイは自分は殺人鬼と呼ばれる酷薄な人間だが、そんな心の死んでいた自分を"生き返らせて"くれた者のためには命を張れると語り、ウェザーも同じだったのだと指摘する。彼は自分を生き返らせてくれた徐倫のために命を張ったのだ、と。
"生き返らせる"……もちろんこれは比喩だが、アバンで繰り返された前回のプッチ神父の言葉と重ね合わせれば更に大きな意味を持つ。ウェザーの記憶をDISCにして奪った際の「思い出のない人間は死人と同じだ」という言葉を逆転させれば、アナスイやウェザーを"生き返らせた"徐倫は彼らに思い出を与えた人間として解釈できるからだ。
 

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ウェザー「掴んだぜ……ついにお前をな!」
 
客観的な事実やプッチ神父の言う運命で考えた時、ウェザーの生は悲惨そのものだ。今回に限っても兄であるプッチ神父には生まれた時から呪われていたと蔑まれ、彼との決着の寸前に妨害を受けてそれを果たすこともできず死を迎えている。けれどこの"生き返る"という比喩が示すように、人の生死や幸福は外側に現れたものが全てとは限らない。プッチ神父との決着に頭を埋め潰されたこの32話はウェザーにとって、記憶と引き換えに徐倫達との刑務所での思い出を奪われた"死に返り"の時間ではなかったか。だから彼は両足を切断され更に負傷しても戦意を失わなかった。
 

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文字通りの死を厭わぬ戦いぶりを見せた彼はその実、生きながら既に死んでいた。しかし車に突っ込まれプッチ神父に胸を貫かれた瞬間、彼の頭にあったのは徐倫のことだった。徐倫との思い出であり、彼女達ならプッチ神父に打ち勝ってくれるという希望であった。それはウェザーにとって再度の生き返りであり、同時に心の中にそよ風が吹いた瞬間であったろう。そう、希望というのはヘビー・ウェザーを発動させた絶望に打ち勝つ唯一の心の動きに他ならない。ならばウェザーの無意識からはもはや、ヘビー・ウェザーを発動させる理由は消え失せている。
ヘビー・ウェザーは確かにウェザーの死と同時に終わった。だが彼の死で異常現象が収まったと考えるのは、サブリミナル効果で人がカタツムリになるというプッチ神父の説明を飲み込むのと同じことだ。人の死を単なる現象として捉え、それによって運命を理解したと驕り高ぶる彼の言葉を信じるのと同じことだ。ウェザーの遺したDISCは、その浅はかな理解を否定する何よりの証拠である。
 

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徐倫「もう一度……もう一度話がしたい。あなたと、そよ風の中で話がしたい」
 
アナスイは言う。徐倫を追って脱獄したこの数日、ウェザーは幸福だった。彼は既に救われていたのだと。徐倫達に希望を託して息絶える時、ウェザーはきっとその事実に気付いていたはずだ。そして、時を同じくして誰も彼もをカタツムリに変えるこの異常現象は終りを迎えた。
ヘビー・ウェザーはウェザーが死んだから止まったのではない。彼が絶望から救われたからこそ、悪魔の虹は空の彼方へ消え去ったのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版ジョジョ6部の32話レビューでした。思い出の存在からすればウェザーの死がただの死でないことや、プッチ神父の理解が外面的なものに過ぎないというのは前回の話からすんなり浮かんだのですがそれだけではパワーが弱く、じゃあ何が今回の核と言えるか?と悩んだ末にこの結論にたどり着きました。「ヘビー・ウェザーの異常現象って意味不明では?」という20年間押し殺してきた疑問にようやく答えが出せたことが嬉しいですね。「サブリミナルがどうだこうだなんてのは表層的な理由に過ぎず、ウェザーが皆を呪ったからこうなった」というのは当時の自分には想像もできないし、なんなら説明されても理解できなかったかもしれません。今回の話を見て「(やっぱり)ヘビー・ウェザーって意味が分からない」って思った人に伝わる、あるいはいつか伝えることのできる文章になっていればいいのですが。
 

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あと話としては影に隠れてますが、ヴェルサスが混乱に乗じてこっそり逃げる描写が追加されていたのが個人的にはとても嬉しくて。彼は徐倫プッチ神父のどちらにつくかというような安っぽい幸福を選ばなかった。最後まで"希望"を捨てなかった。結局利用されて殺されたとしても、それはヴェルサスがヴェルサスなりに「まっすぐ歩いた」結果なのだと思います。劇中で誰にも顧みられてない? 知らん、私が顧みるのだ。
 
悲しいけれど、それでも確かに希望を感じられた回でした。大詰めの時が近づく残りの話、目が離せません。
 
 

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