裁けぬを裁く「虚構推理 Season2」。最終回24話はうなぎ屋での珍問答から始まる。話題は驚きの殺人容疑に移るが、今回の話は琴子の役割を雄弁に語っている。
虚構推理 Season2 第24話(最終回)「うなぎ屋の幸運日」
老舗のうなぎ屋。強盗殺人で妻・雪枝を亡くした梶尾隆也は、友人の十条寺良太郎から問い詰められる。雪枝を殺害した犯人は隆也ではないか、そして、疑われないよう憔悴した様子を装っているのではないかと。事件は奥の席で特上うな重を食べていた琴子を巻き込んで、怪異が絡んだ非日常の様相を呈していき……!?
(公式サイトあらすじより)
1.カメラの焦点はどこ?
梶尾「なあ十条寺。こういう本格的なうなぎ屋に一人で入ったことあるか?」十条寺「いや、一人ではないな。うなぎは美味いが値段がな……それに、こういう店に気軽に入るにはやっぱりそれなりの年齢というか経験がいるものだ」
この24話はアニメ「虚構推理」2期最終回であるが、その筋立てはかなり変わったものだ。なにせ前半の台詞の大半は梶尾と十条寺という初登場の男性が占め、主人公の琴子は二人がうなぎ屋で見かけた珍客という体裁を取っている。数話かけて盛り上げた話の決着であるとかエピローグといった内容にせず、小話とすら言える1話完結の内容で終わらせるのだから面食らった人も多いのではないだろうか。そして、これはけして時系列順に話を並べた都合などではない。
梶尾「なら、あれはなんなんだろう?」十条寺「なんなんだろうな……」
今回のアバンは梶尾と十条寺がうなぎ屋に似つかわしくない琴子を不思議に思う場面となっており、物語のカメラは琴子に強烈にフォーカスしている。すなわち、視点やシチュエーションこそ特異だがこの話の中心は間違いなく主人公の琴子なのだ。1話が琴子は何者かを語るオリジナルエピソードであったことを振り返ってみれば、今回はむしろもっとも最終回に相応しいセレクトと言える。
十条寺「うなぎは神仏、特に虚空蔵菩薩の使いとされる」
実際、台詞こそ少ないが琴子の存在は梶尾と十条寺を大きく動かしている。中学生、いや人形のようにすら見える琴子が1人で本格的なうなぎ屋を訪れているのはなんともミスマッチで、二人としてはそれが不思議で仕方ない。特に十条寺は得意の雑学から彼女との遭遇を「知恵を持つ者によって罪を暴かれ裁かれる」天啓と解釈し、半年前に梶尾の妻が強盗殺人に遭った事件の犯人は梶尾ではないかとかねてからの疑念を打ち明けたほどだ。事件にもっとも心を痛めている相手(なにせ梶尾は事件後体調を崩し目に見えてやつれている)、まして友人を疑うなど昨日今日の思いつきでできることではなく、十条寺もこうした不可思議を理由にしなければ切り出せなかったのだろう。
十条寺「梶尾。お前奥さんを……雪枝さんを殺したな」
殺人に至らない強盗は同じタイミングで複数起きているが、これは容疑をかわすための工作ではないか。また梶尾は束縛や執着心が激しい人間だから事件に対し怒るより塞ぎ込むのは奇妙で、むしろその心性は別れたがられていた妻を殺す動機にもなる。梶尾自身も性格分析は概ね正しいと受け止めるように、十条寺の推理はロジカルだ。筋が通っている。だがその論理性故に、十条寺は直後に自分の推理を撤回することとなった。
梶尾「なるほどこれで分かった。あの子はお前が仕込んでここにこさせたんだな?」
十条寺は、梶尾の憔悴は演技であり問い詰められれば偽装も剥がれると踏んでいた。どうやって誤魔化すか頭を巡らし、自分と向き合うだろうと考えていた。しかし梶尾の反応は意外なもので、天啓としての琴子の解釈にツッコミを入れたりこの冗談のための仕込みではないかと面白がるばかり。本当に犯人ならこんな反応をするはずはない――十条寺はそう悟り、友人を疑ったことを謝罪する。いささか独り相撲の感はあるが、彼は間違いなく明晰な人間と言えるだろう。梶尾は快く謝罪を受け入れ、小さな推理劇はここに幕を閉じた、はずだった。
琴子「ごちそうさまでした」十条寺・梶尾((あれは一体なんだったんだろう……?))
杯を交わす二人をよそに特上のうな重をたいらげた琴子は店を去り、梶尾と十条寺は改めて不思議がる。「「あれは一体なんだったんだろう?」」……先程十条寺の推理を独り相撲と書いたように、琴子はこの推理劇で何の発言もしていない。我々視聴者も二人に声を重ねてしまいそうなほどに、琴子の存在意義は疑わしく思える。だが、十条寺の天啓やその否定は全て琴子あってのものだ。彼女が主人公であり、物語の中心であることはアバンから何も変わっていない。この24話は後半、更なる驚きと共にそれを知らしめることとなる。
2.あらざるを裁く者
琴子「少しいいですか? 梶尾隆也さん」梶尾「あ……虚空蔵菩薩」
痛飲した末に十条寺と別れた梶尾は、不意に名を呼ばれ声の主に驚く。相手はなんと十条寺の解釈では知恵を司る虚空蔵菩薩の天啓とすらされたうなぎ屋の少女、琴子であったからだ。なぜ彼女が自分の名前を知っているのか? 不思議がる梶尾は次の瞬間驚愕する。なにせろくに面識もない目の前の相手が、自分は警察へ自首に行く つもりだと言い当ててきたのだから無理はない。
梶尾「雪枝が逝って以来どうにも体が重いし、夜も眠れない日が続いてな。病院にも通ったが悪いところはまるで見つからない……結局全て心因性の体調不良だったわけだ。なんとも心というのは自由にならないものだな」
十条寺は否定したが、彼の推理は実は当たっていた。梶尾は偽装のため事前に強盗を重ねた末に妻を殺し、傷心を装って警察の疑いから逃れていたのだ。だが一つだけ誤算があり、彼は葬儀の後で本当に体調不良に悩まされるようになってしまった。体が重苦しく夜も眠れず、病院へ行っても異常は見つからない。自分は思った以上に罪悪感を抱えているのだろうと自首を決め、最後に友人と談笑をとうなぎ屋を訪れたのが今日であった。だから十条寺の告発にもさほど動揺せず、後で分かった方が面白いと落ち着いていたのだが――「虚空蔵菩薩」の話は思いもかけぬ意外なものだった。
琴子「あのうなぎ屋に入ったら、復讐心たっぷりの霊に取り憑かれた人がいたので少し驚きました」
琴子は言う。梶尾の体調不良は殺した妻の霊障だから自首しても治らない。自分はたまたま訪れたうなぎ屋で梶尾に取り憑いた妻の霊から説明と依頼を受け、この事実を告げるために現れたのだと。
にわかには信じ難いこの話はしかし、自首を決めて以来回復したかに思えた梶尾の体調不良が突然再発したことで真実味を持つ。彼は自分は罪悪感を抱いていると考えていたが、それは本当は体調不良の原因を押し付けるための思い込みに過ぎなかった。琴子の口を借りた妻に言わせれば、梶尾は独占欲が高じて妻を殺し、それを反省する心も持たないただの「人でなし」だったのである。
琴子「奥さんから伝えてくれるよう頼まれました。あなたは罪の意識から体調を崩すようなまともな人間ではない。独占欲が高じて妻を殺し、それを反省する心も持たないただの「人でなし」だと」
「人でなし」……辞書を調べずとも誰もが知るこの表現はしかし、本作では特別な意味を持つ。性根や振る舞いが化け物のように思える相手に向けた言葉だが、本作では化け物の類は実在しており彼らは彼らなりに社会性を持って生活している*1のだ。すなわちここでの「人でなし」とは、化け物ではなく単純に人にあらざる者 を指すことになる。
琴子「あなたに奥さんの霊が憑いているのが世の理に反しているならともかく、それは因果応報。筋が通っていますので何かする必然もありません」
岩永琴子は一眼一足、人の身でありながら怪異達の知恵の神を担う"おひいさま"であり様々な事件を解決してきたが、その対象は揉め事そのものよりは人の心に根ざすものだった。「雪女のジレンマ」で問題だったのは虚構と真実の狭間を遭難した室井の心であったし、「電撃のピノッキオ」では化け物じみた女傑と見えた多恵の心の強張りをわずかだが解いてやっている。また先の「スリーピング・マーダー」でも彼女の関心は事件の真犯人にはなく、成功体験を自覚なく内面化していた音無会長の求める戒めを本当の意味で叶えることにあった。彼らは肉体的には間違いなく人間だが心にねじれを抱えており、現世の法や決まり、論理や現実と言ったもので対処できないそれにこそ琴子は矛先を向けてきたのだ。
こうした観点で見た時、琴子の梶尾への宣告には確かに意味がある。彼は自分を罪悪感を抱けるまともな人間だと勘違いしており、それは法による社会的な償いで贖えるような代物ではない。宣告により、梶尾はようやくこの事実を認識した。彼には刑務所がある種の天国に見えていたが、本当は娑婆にも監獄にも行き場などは無かった。
琴子「なぜって……今夜恋人の部屋に泊まるので精を付けておこうとふと思いまして。そこで目にしたうなぎ屋に入っただけです。(中略)今夜ははりきります!」梶尾(深窓の令嬢が……菩薩の化身が……なんと卑俗な……!)
梶尾にとって、自分が人でなしと気付かされることは無間地獄に落とされるにも等しい。いや、ここは現世だから地獄ではあるまい。なにせ彼に裁きを下したのは怪異達の知恵の神とは言うものの人間で、虚空蔵菩薩の化身や深窓の令嬢といった虚構の存在ではないのだから。梶尾はなぜうなぎ屋に琴子がいたのか尋ね、それが今夜の恋人との同衾のためだとあまりにも卑俗な答えをされてそれを思い知ることとなった。琴子が立ち去った後、彼は自分は人でなしだったのかとしょげかえるが、これは人でなしの自分は地獄行きすら許されないと知った嘆きなのである。
琴子「うなぎを食べたのですから効力を発揮せねば! 今夜は遠慮は要りませんよ、先輩!」
かくてこの小話は終わりを迎え、琴子は恋人である九郎との一夜に心を踊らす。12話かけて秩序を修復した1期と異なり、この2期は琴子がどういう存在かに焦点を当てたシリーズだったと言える。可憐にして苛烈、愛らしい容姿と下品な言動を併せ持ち、秩序を守るためなら人の命を縮めることも辞さないこの主人公をどう思うかは見る者によって変わるところだろう。だが、間違いなく言えることが一つだけある。
真実と虚構を貫く真理が失われた時、すなわち真実でも虚構でも、人間でも怪異でもないものが生まれた時、彼女は偶然にすら導かれてそれを正しに現れる。あらざるを裁くことこそ、岩永琴子に課せられた役割なのだ。
感想
というわけで虚構推理のアニメ2期12話レビューでした。昨日はトータル数十万円をつぎ込んだ、昨日すら1万円を課金し、天井まで回せる石を貯め込んで新規ガチャ目前だったソシャゲのアカウントを遂に削除しまして(こうやって書くと我ながらバカが過ぎる)。さすがにショックでちょっと視聴が手につかない部分があったのですが「人でなし」に注目してからは迷わずレビューを書けました。こうやって見ると琴子、前回に負けず劣らずえげつないことしてるな。
この2期がどういうテーマだったのか?という自分なりの回答はレビュー中に書きましたが、音無会長の例などを見ると私達は簡単に"あらざる者"に堕落するのだと思います。情報化社会という言葉すら陳腐になった今は真実でも虚構でもないものに溢れていて、つまりそこには真理がない。室井が理性的であるが故に雪山の後も遭難していたように、たぶんこれはリテラシーの類で克服できるものでもないのでしょう。そういう点で、1期から引き続き示唆に富む作品であったと思います。12話、緊張感のある視聴時間でした。スタッフの皆様、お疲れ様でした。
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あらざるを裁く者――「虚構推理 Season2」24話レビュー&感想https://t.co/DPnwK6cBxV
— 闇鍋はにわ (@livewire891) March 27, 2023
一見最終回らしからぬ話から見える、岩永琴子の役割について書きました。#虚構推理 #kyokou_suiri
*1:なにせ梶尾をそう評した妻は幽霊=化け物同様の怪異である