混ざり物には福がある――「ダンジョン飯」19話レビュー&感想

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

分割の「ダンジョン飯」。19話では新たな仲間と悪夢が描かれる。今回は2つの話の混ざり物である。

 

 

ダンジョン飯 第19話「山姥/悪夢」

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1.1つの卵の殻に2つの中身

突如ライオス達の前に現れたのは、姿を消したシュローの従者の少女だった。自分にかけられた呪いを解くようマルシルに要求する彼女の正体は……?

 

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アセビ「私にかかっている魔術は2種類。1つは首に……もう1つは全身にだ」

 

付いて離れて「ダンジョン飯」。19話は独立性の高い2つのエピソードが描かれる回だ。前半では元仲間のシュローの従者であったアセビが主人公ライオス達の仲間になり、後半ではナイトメアという魔物に悪夢を見せられている仲間を救うべくライオスが夢の中に入る。分かりやすく2本立てであり、両者には何の関係もない……本当にそうだろうか?

 

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チルチャック「起きろマルシル!」
ライオス「よせ、無理に起こすと精神に傷がつく」

 

全く異なる前半と後半で共通するもの。それは分離の問題である。前半アセビは人と獣を混ぜられた自分の魂の分離を求めてライオス達に接触してきたし、後半では仲間の一人マルシルを悪夢を見せる魔物ナイトメアから引き離すことが目的。アセビが人工的に獣人にされた経緯よろしく、全く異なる2つの話を分離の一点で重ねて混ぜているのがこの19話なのだ。

 

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マルシル「一度混ざってしまった魂は、二度と元の形には戻らない」

 

混ぜ合わせられたものを元通りに分離するのは難しい。アセビは意図せぬ結果とはいえ人と竜の混ざりものを作ってしまったライオスの仲間マルシルなら自分を元に戻せるだろうと考えたのだが、1つの卵の殻に2つの中身が入っているに等しい彼女達を元に戻すのは実のところ不可能な話であった。……しかし、疑問を重ねるが、混ざっているのはそれほど悪いことなのだろうか?

 

2.イヅツミは混ざり物

混ざり物は元に戻らない。マルシルの答えは残酷なものだったが、実のところ混ざっているのはアセビに限った話ではない。

 

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ライオス(この子……食事のマナーが悪い!)

 

例えば、接触当初のアセビとライオス達の関係は友好的なものではなかった。罠をしかけてマルシルを人質にとり、自分にかけられた術を彼女に解かせようとしたのだから当然だろう。しかしろくな水分も無しに兵糧丸をかじるアセビを見れば仲間の一人センシは若者に飯を食わせなければと考えずにはいられなかったし、そんなセンシが作った「墓地でとった茸とオークからもらったチーズリゾット(魔物を食わせるなとアセビは言ったが、歩き茸との混ざりもの疑惑あり)」を見れば術を解かせるだけのつもりだったアセビもつい手を伸ばさずにいられない。更には彼女の食事の仕方を見たライオス達はもはや警戒そっちのけでマナーの悪さや偏食ぶりの方が気になってしまうし、それに対するセンシの説教は単独ではアセビの反発を買ったが魔物退治を通して=混ぜて語られればアセビも納得せずにはいられなかった。そもそもでいえば今回のようにダンジョン内の出来事に何かしら飯が「混ざる」のが本作の特徴だったし、また飯とは単独では食べられないものを様々に「混ぜた」結果生まれるものでもあったはずだ。故に混ざること、それが元に戻らないことはアセビに必ずしも絶望を与えない。

 

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センシ「お前の期待とは少し違ったかもしれないが、これも何かの縁と前向きに考えてみてはどうかの」

 

自分が元に戻る可能性がほぼゼロと知ったアセビはショックを受けるが、ライオスに言わせれば彼女に会えたのはとても嬉しいことだった。人と獣の混ざったアセビが人格的には人間そのものであることは、同様の状態で今は狂乱の魔術師に操られている妹ファリンの救出に大いに希望を抱かせるものだったからだ。また古代魔術の扱いに長けた狂乱の魔術師ならひょっとすると魂の分離についても何か知っているかもしれないというマルシルの話は、アセビにとっても一縷の望みを抱かせるきっかけたり得る。知り得たのが「混ざり物の魂は二度と元に戻せない」まじりっけなしの事実だけなら、こうしたことは起きはしない。だからアセビは彼らの勧誘を受け、イヅツミという本名を明かしてパーティへの参加を選択する。人と獣の混ざり物の少女がこの前半で選択したのはすなわち、ライオスのパーティに「混ざる」ことであった。

 

3.混ざり物には福がある

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

「混ざる」ことで見えてくるものがある。アセビあらためイヅツミが示唆したこの事実は、後半より幻想的な形で画面に現れる。なにせ後半は人に悪夢を見せる魔物・ナイトメアに襲われたマルシルの夢の中にライオスが自分の夢を通して入り込む――「混ざる」話だからだ。

 

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マルシル「パパのお葬式の時ママが言ってた。私は皆と走る速さが違うんだって。私はこれからもたくさんの人を見送らないといけないって」

 

実際、マルシルの夢の中でのライオスはヒーローというよりはカウンセラーである。彼女が恐怖する化け物を代わりに倒すのではなく、恐怖を分析しそれに立ち向かうようライオスはマルシルを激励していく。言ってみれば彼は夢の中でマルシルと並走していたのであり、悪夢から目を覚ました彼女の記憶の中でライオスが「1匹の犬」に変換されてしまっていた所以であろう。だが、これは単なる笑い話ではない。彼女が恐れていたのは長命種エルフの自分が多くの親しい者の死を見なければならない事実……皆と「走る速さが違う」ことへの恐怖だったのを忘れてはいけない。

 

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

記憶に残った「楽しい夢」の中で、マルシルは一緒に走っていた。ライオスが変化した犬やファリンが変化した人形と同じ速さ・・・・で混ざって走っていた。それが彼女の努力次第で叶う理想の世界なのか、単なる夢想なのかは分からない。現実には実現していない以上、どちらも「混ざって」いるというのがおそらく正解だろう。だが、楽しい夢というのは夢と現が絶妙な加減で混ざっているからこそ味わえるものではあるまいか。ただただ現実離れしただけ世界も現実と変わらない世界も、夢を見るにはいささか味気がない。この19話は構成もその中身も、「混ざり物」を美味しく描くことを徹底した回だと言えるだろう。

 

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

ライオス「まあ、楽しい夢見に貢献できたなら良かったよ」

 

混ざり物には福がある。ダンジョン飯の味は、例えるなら夢見心地の混ざり物の味なのだ。

 

感想

以上、ダンジョン飯のアニメ19話レビューでした。最初は「分かち難きを分かつ魔法」みたいなテーマで書けるかと思ったのですが今ひとつすっきりせず。駆け足な感じのレビューになってしまいましたが、視聴を繰り返していく内に今回は「混ざり物には福がある」の話と言えるのではないかと思い至りました。

 

途中まで原作に目を通している、と以前書きましたが、たぶんこのあたりまでだったかしらん。掲載誌であるハルタを読みきれなくなってしまい、このあたりで定期購読の更新をやめてしまったのです。もったいないことをしました。さてさて、これから先は何が待っているんでしょうね。

 

 

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