裏腹の糸――「BanG Dream! Ave Mujica」2話レビュー&感想

©BanG Dream! Project

矛盾の「BanG Dream! Ave Mujica」。2話ではギターのモーティスこと睦の糸が切れる。その糸は「裏腹の糸」だ。

 

 

BanG Dream! Ave Mujica 第2話「Exitus acta probat.」

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1.「糸」とは

にゃむちの予定外の行動により仮面を外すことになり、更に人気の爆発するAve Mujica。思わぬ事態に睦は消耗していき……

 

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驚愕の絶えない「BanG Dream! Ave Mujica」。いきなり仮面の下が明かされた前回に続き、2話も本作は衝撃的だ。素性が知れたことでAve Mujicaの人気はいっそう高まるが、メンバーの1人モーティスを演じるギターの若葉睦は芸能人の両親と絡めた取材が続く日々に疲弊。最後は全国ツアー初日に放心状態に陥ってしまう……ショッキングな引きに加え、ラストの「糸が切れた人形は自由を得るのでしょうか、それとも」という詩的かつ端的な語りも強く印象に残る回である。だが、この「糸」とはなんだろう? 2話のレビューではその性質を探ってみたい。

 

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海鈴「三角さんがsumimiの活動で忙しいので、その分若葉さんに引き受けていただきます」
祥子「先方からの指定ですわ」

 

糸。先述した語りからは運命の糸といった壮大なものが思い浮かぶが、実際のところ糸とはもっと身近にあるものだ。例えばAve Mujicaがこなしていく取材や撮影の仕事がそうであるようにスケジュールは人の行動を操る「糸」であるし、また身元をバラす発端を作ったドラムのアモーリスこと祐天寺にゃむ(にゃむち)は自分を売り出そうと必死だが人脈もまた「糸」。人と人のつながりは概ね全て「糸」に例えることができる。

 

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初華「ずっといていいから。……ずっと、一緒にいるから」

 

人と人のつながりという「糸」。Ave Mujicaの5人の内、3人はそれをつなぎ保つことに躍起になっている。にゃむちはもちろんのこと、睦のうかつな発言から生じた解散疑惑を払拭しようとするオブリビオニスこと豊川祥子も、祥子のためなら火の中でも水の中でも飛び込みそうなドロリスこと三角初華も形こそ違えど糸をつなぐことに積極的だ。ただ、残りの2人は現時点ではそのようには見えない。ベースのティモリスこと八幡海鈴は他にもバンドを掛け持ちしているため付き合いはさっぱりしたものだし、睦に至っては糸をつなぐことに消極的などころか恐れているようにすら感じられる。なにせ、睦とかつては一緒にバンドを組んだ中である「MyGO!!!!!」の立希は彼女をこう評しているのだ。「芸能人の娘って騒がれるのとか、睦一番嫌いなんだよ」……と。

 

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記者「若葉(睦の父)さん、ミュージシャンの知り合いいっぱいいるもんね。お父さんはAve Mujicaのことなんて言ってるの?」

 

睦にとって糸は、つながりは恐怖だ。父がお笑い芸人、母が女優という出自は彼女が顔を出せば必ずついて回り、身元が明かされたこの2話では誰もが睦を両親に絡めて話をしようとする。数字(人気)も顔(血筋)も台無しとにゃむちが疎んじていた仮面は、睦にとってはむしろつながりたくない糸から自分を隠してくれるおまもりのような存在だったのだろう。だから彼女は取材を受けることに、糸をつなげることに積極的になれない。Ave Mujicaを終わらせまいと、今後への「糸」をつなげようとする祥子とは正反対であり、そんな状況の祥子が睦の心理的な負荷を軽視してしまうのは無理もないところだ。ただ――ちゃぶ台をひっくり返すようだが、「糸」にはもう一つの面がある。いや、正反対な面がある。

 

2.裏腹の糸

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にゃむち「あと、わたし色々挑戦してみたくって! 番組とか~」

 

「糸」の示す正反対の面。その分かりやすい例は、例えばにゃむちの場合だろう。独断で正体を明かすことに踏み切った前回を筆頭に、彼女の行動は一見すると奔放で何者にも縛られていないように見える。何者の「糸」にも操られていないように見える。けれど睦の母にして有名女優の森みなみとコネを作ろうとした時の祥子とのやりとり(図々しさを指摘されるも「こんなチャンスないじゃん!」と開き直る)から分かるように、にゃむちはけして自由奔放などではない。彼女はむしろ人とつながることに頭がいっぱいで、全ての行動はそれを目的とした打算から生じるようになってしまっている。言い換えるなら、祐天寺にゃむとは自由人どころか人とのつながりという「糸」に縛られた操り人形に過ぎない。

 

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初華「そっか。忘れられないから祥ちゃんがオブリビオニス……忘却なんだね」

 

また祥子はAve Mujicaの糸をつなぐことに懸命だが、彼女がそんなにもAve Mujicaに執念を燃やすのは辛い思い出を忘れたいがためだ。彼女は断ち切れない太い太い思い出の糸を断ち切りたいがために別の糸をつなごうとしているのであり、つまりここにも糸の持つ正反対の性質は示されている。自分がもっとも遠いと知るからこそ祥子がAve Mujicaでオブリビオニス=忘却を名乗ることのなんと皮肉な、そして切実なことであろうか。

 

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カメラマン「いいね。それじゃあポーズ変えよっか」

 

糸とは御しがたいものだ。つながりたいと欲すれば断ち切られそうになり、断ち切りたいと願えば地の果てまで追ってくる。何の関係もないものが引き写しのようによく似て、近くにあるはずのものが似ても似つかない……その出自からメンバーの中でも特に取材を多く受けることとなった睦には数多の糸が絡みつき、一方で彼女自身の身体は言うことを聞かなくなっていく。自分の思う通りに操れなくなっていく。今回の話ではカメラのフラッシュのチャージ音が多用されているが、これが糸の切れる音のようにも聞こえるのは偶然ではあるまい。あの音が耳に響くその度、睦の心の中では神経の糸が引きちぎれてしまっているのだ。

 

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睦「『もう、逃げられない』」

 

息も絶え絶えの状態でなお、健気にも全国ツアーに出ようとする睦。だが、そのステージ上で彼女の精神はついに限界を迎える。祥子が新たに用意したAve Mujicaの台本は意図せぬ必然として睦の苦境を引き写したものとなっており、彼女にはもはやステージ上ですら逃げ場がなくなってしまったからだ。観客の顔が全て自分のそれに見える幻覚はもはや彼女は仮面をかぶれない=自分の出自との糸を断ち切れないという絶望の宣告であり、だから彼女の中の最後の糸はそこで切れてしまう。演奏が始まろうというところで睦が意識を失う姿は、まるでそれそのものが寸劇と見紛うような幕切れであった。

 

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「糸が切れた人形は自由を得るのでしょうか、それとも」……操り人形は糸に動きを操られるが、糸がなければ動くことも叶わない。人形たちがもがき苦しむのは、自分たちを操る糸があまりに裏腹であるが故だ。裏腹の糸こそ、睦の中で切れてしまった最後の糸だったのである。

 

感想

以上、アニメムジカの2話レビューでした。む、難しい。最初に思いつくことをもう2ひねり3ひねりしないとまとまったものが出てこない……! それだけに見応え満点ではありますが、これでまだ2話って。「MyGO!!!!!」の方は総集編映画で見た身には胃の痛い時間間隔になりそうです。さてさて次回は。

 

 

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