幸せは円の中――「片田舎のおっさん、剣聖になる」9話レビュー&感想

©佐賀崎しげる鍋島テツヒロSQUARE ENIX・「片田舎のおっさん、剣聖になる」製作委員会

麗しき「片田舎のおっさん、剣聖になる」。第9話ではベリルがミュイのカバンを買うため奮闘する。幸せは円の中にある。

 

 

片田舎のおっさん、剣聖になる 第9話「片田舎のおっさん、ひさしぶりに狩りに行く」

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1.挟み撃ちの限界

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ミュイの魔術士学院編入の日が近づいてきた。彼女の通学用カバンを用意しようとしたベリルだったが、良いカバンは相応に高く簡単には手が出せない。そんな折、スレナが仕事を持ちかけてきて……

 

思い合う「片田舎のおっさん、剣聖になる」。第9話はベリルがスレナと馬の生け捕りに挑む回だが、いつもと違い彼は仕事に積極的である。今回はそこからベリルの捕まえた「幸せ」について考えてみたい。

 

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ベリルが積極的な理由、それは端的に言って金銭にあった。後見人として同居しているミュイに、魔術士学院へ通うためのカバンを買ってあげようというのだ。買うだけなら買えなくはないが、ミュイのための今後の備えを考えるとうかつな出費をすべきではない。しかし彼女には良いカバンで通ってほしい……今後と願いの板挟み、いや挟み撃ちがベリルの足を動かしていた。

 

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隣国との親善のため献上する馬を捕えてほしい。依頼を受けたベリルは、美しい銀髪の白馬をスレナと「挟み撃ち」にする。相手の前後を捉えれば捕えやすくなるのは言うまでもないだろう。だが、退路を絶たれれれば獲物はかえって逃れようと身をよじるものだ。金銭に挟み撃ちされたベリルが仕事の依頼に食いついたように、白馬もまた跳躍したりベリルを振りほどくなど一筋縄ではいかない抵抗を見せる。挟み撃ちは確かに相手を追い詰めるが、そこからの最後の一歩は今までの比ではない困難を伴っているのである。

 

2.幸せは円の中

挟み撃ちは有効打だが決定打ではない。最後の一歩を踏み越えたのは、挟み撃ちの一歩先のあり方であった。

 

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逃げ続ける白馬の足元の岩が崩れた際、ベリルはとっさに白馬に駆け寄った。スレナと離れてしまい、これまでの挟み撃ちの構図は崩れてしまう……が、そこで1人と1匹の間には新たな関係が生じる。ベリルは自分だけでなく白馬も助けるため巨木を切り倒し、恩義を感じたのか白馬も巨木から落ちかけた彼を助けるなどなつくようになったのだ。「捕える」のでなく「手懐ける」……ベリルは依頼以上の難事を成し遂げたわけだが、これがどういった関係なのかはその後のミュイとのやりとりを見るのが分かりやすい。

 

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ベリルは念願かなってミュイに通学用カバンを買ってやることができたが、もっと嬉しいことはその後にあった。なんと彼女はスレナに頼んで仕事を紹介してもらい、その報酬でベリルに陶器製のジョッキを買ってきてくれていたのだ。

カバンなんていらないというミュイにそれでもカバンを買ってきたベリルと、飲めればいいんだと欠けたジョッキを使うベリルにジョッキを買ってきたミュイ。二人は何かを挟み撃ちにしようとしたわけではないが、結果から見れば両の手をつなぎ合うように互いを思い合う関係ができていた。両の手を繋げればそこには円があり、閉じられた空間には幸福が生じている――先にベリルが”円”満な形で白馬を冒険者ギルドに引き渡せたのと同様の関係が、つまり挟み撃ちの一歩先がここにはある。ミュイが勝ってきてくれたジョッキで飲む酒は、ベリルにとって涙が出るほど美味い一杯であった。

 

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追いかけて何かを手に入れることは幸せである。達成感ややりがいは疲れも吹き飛ばしてくれるものだ。けれど、最上の幸せは狙って手に入れられるものではない。知らぬ内に誰かと繋いでいた手が円を描く時、そこに生じる幸せ……”縁”から生まれる幸せこそ、私たちに望外の喜びをもたらす幸せなのである。

 

感想

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以上、おっさん剣聖のアニメ9話レビューでした。最初は「百聞は一見にしかず」でアタリをつけてみたのですがあまりしっくりこず、見直している内にベリルとスレナの挟み撃ちの構図が見立てに使えるのではないかと思いつきました。これだとラストもアリューシアとロゼに「挟み撃ち」されるベリルと解釈できる。

 

物語も後半に入り、このアニメは分かりやすく盛り上げない、「見栄えしない」作りにすることで「おっさん」ぶりを表現しているのかなと感じています。剣技に優れた人格者なので格好良く描こうと思えばいくらでも格好良く描けるはずですが、それだと「おっさん」にはならない。大人だし大人の役割を果たそうともしているけれど、けして渋くはならない味わいを楽しんでいけばいいのかなと。帰ってからのミュイとのやりとりは観ているこちらも嬉しくなってしまいました。さてさて、いよいよ次の本編が始まりそうですがどんな話になるんでしょうね。

 

 

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