会えないからこそ、届けられる。
「ゾンビランドサガ」8話。今回の主役であるリリィの生前の経歴は子役。テレビなどのドラマ出演がメインとなる子役は、モニタという明確な一線を通して視聴者と接する。その境界線の向こうから語り直すような回。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
1年経てば別人のように大きくなる幼子だけが演じられる子役は、アイドルより更に旬が短い。男の娘とあれば尚更だろう。モニタの向こうの姿は永遠でも、そこにいた自分はあっという間にかき消えてしまう。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
そういう意味では、性徴が本格化する前に死んでゾンビィとなったことで「星川リリィ」は子役としても不死になったと言える。彼女はどこにいても永遠の存在、モニタの向こうの存在になったのだ。自分が子役でなくなる恐れはない、リリィはもう怖いものなしと喜ぶ。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
しかしモニタの向こうの存在であることは、相手に触れることができないということでもある。アイドルもチェキ会までの距離は近づけてもお触りは禁止。正体がバレるわけにはいかないから父と親子の再会をすることはできない。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
父も当然、7年の歳月を経て昔のままのリリィが自分の子だなどと思ってはいない。だからこそ謝罪や悔いも話せるわけだが、常時「モニタの向こう」の存在であるリリィは子としてはそれに言葉を返せない。そうしてリリィは境界の壁のあまりの高さに気付き、涙する。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
子と一緒にテレビを見ていたのに、いつしかテレビモニタの向こうにしか子を見なくなっていた。モニタ越しのリリィ、あるいは存在そのものがモニタの向こうにある6号を見ることは、自分に罪と喪失を突きつけることだ。それが辛いから、父はテレビを見ずライブにも来ない。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
だが、壁を越えようとせずともモニタの向こう側へ声を届ける方法はある。ゾンビィとして同じくモニタの向こう側の存在となったさくら達は、自分達だからできる方法があることを知っている。アイドルは壁の向こうへ声を届けられることを知っている。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
どんなに小さな会場でどんなに近くでライブをやっても、観客はステージに上ることは許されない。そのモニタ越しに等しい境界の壁は、リリィの前を6人が横切ることで決定的に具現される。ここはモニタの向こう側、父が子を見るのに耐えられなくなった場所。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
だけど直接触れ合えぬモニタ越しなら、互いが互いに勝手なものを見ることも許される。皆に向けて歌うのと並行してたった1人に歌ってもいい。別人なのだと認識している者から、亡き子の言葉を受け取ってもいい。それはむしろ、境界の壁あらばこそ可能な魔法だ。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
境界の壁を通して、子は語れぬ筈の言葉を父に送ることを許される。父は会えない筈の子からの言葉を受け取ることを許される。「死んでるけど死んでない」liveで、高い高い壁の向こうへ思いが届く。テレビの中から父を元気づけたいというリリィの夢は、こうして叶った。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
かくて父は、モニタの向こう側の世界を再び覗く勇気を取り戻す。突然の死に引き裂かれた父子の繋がりが「別れ直す」ために蘇るような、見守るお星さまが降りてくるような、そんな味わいのエピソードだった。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日
今回は1話完結の話であると同時に、純愛編で描かれたアイドルとファンの距離という問題にゾンビィの性質が大きく関わるという連続性もまた示している。次回以降の話でもヒントになってくれそうだ。#ゾンビランドサガ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年11月6日