た行
食べ尽くす「ダンジョン飯」。24話でライオス達が食べるのはダンプリングの残りだけではない。ダンジョン飯は、食うか食われるかの対象を広げていく。
突然の「ダンジョン飯」。23話はED無しで唐突に終わる。それはただの尺の都合ではない。
前章から2ヶ月を開けての後章公開となった映画「デデデデ」。原作と異なるアニメオリジナルの結末は、私達にいったい何を訴えかけているのだろう?
さまよう「ダンジョン飯」。22話でライオス達は再び迷宮に舞い戻る。だが、彼らがいる迷宮は1つとは限らない。
混濁の「ダンジョン飯」。21話では迷宮を巡り思惑が入り乱れる。その錯綜はまるで卵に等しい。
食べ合いの「ダンジョン飯」。20話ではイヅツミの加入が食事に変化をもたらす。今回食べて、あるいは食べられているのは何だろうか?
分割の「ダンジョン飯」。19話では新たな仲間と悪夢が描かれる。今回は2つの話の混ざり物である。
問いを問う「ダンジョン飯」。18話では幻術でパーティが分裂の危機に陥る。偽者が誰なのかは、今回の一番の問題ではない。
理解を問う「ダンジョン飯」。17話、シュローはマイヅルの作った飯を口にする。だが彼の、いや彼らの食べた「飯」はそれだけではない。
循環の「ダンジョン飯」。16話では3つのパーティが一堂に会する。だが、そこから見えるのはライオス達がダンジョンに空けた大穴だ。
地上は遠い「ダンジョン飯」。15話では彷徨うライオス達が描かれる。必要なのは座標を知ることだ。
別世界を覗く「ダンジョン飯」。2クール目初回はライオス達の再出発回……ではない。いくつものパーティからはまたいくつもの、異なる生態系が見えてくる。
異口異音の「ダンジョン飯」。13話では急転直下の事態にチルチャックの心が揺れる。言葉は時に、口移しである。
あまりにも限られた情報で展開される物語は私達に「知らない」「分からない」を突きつける。それは謎の宇宙船がすぐ側にある日常と何も変わらない。
念願の「ダンジョン飯」12話。魔物を食べながら続けたダンジョン探索で遂にレッドドラゴンを倒したライオス一行。だが、彼らが真に味わうのは炎竜の肉ではない。
死中に活を求める「ダンジョン飯」。11話ではレッドドラゴンとの決戦が繰り広げられる。飯を作らずとも、ダンジョン飯が食事の概念から離れることはない。
決戦迫る「ダンジョン飯」。10話ではライオス達のこれまで歩んできた「道」が見えてくる。獣道は常に脇道とは限らない。
合わせ難きを頂く「ダンジョン飯」。9話では以前の仲間との再会が描かれる。けして混ざらぬマルシルとナマリのそれは、水と油の関係にも似ている。
世界を知る「ダンジョン飯」。8話はダンジョンの幽遠さと厳しさを見せる回だ。その奥深さは、純粋さと不純さの切っても切れない関係にも似ている。
食べて食べられる「ダンジョン飯」。7話では魔法が大活躍する。だが、それは魔力を使った魔法ばかりとは限らない。
生存競争の「ダンジョン飯」。6話はいつも以上に意外なものが食材になる。絵の中から飯を出すにはどうすればいいのだろう?
食べ続ける「ダンジョン飯」。5話では地上とダンジョンを隔てるような食事が登場する。今回ライオスが味わうのは、忘れ難き地上の味だ。
皆で囲む「ダンジョン飯」。4話ではダンジョンの新たな姿と共にライオスの進むべき道がおぼろげに示される。食卓を作ることは生態系に似ている。
食らい尽くす「ダンジョン飯」。3話では新種の魔物が発見される。おなじみ「動く鎧」の正体――だが、それは本当に魔物なのだろうか?
探求続く「ダンジョン飯」。2話ではパーティの一体感が増していく。それは例えるならバジリスクにも似ている。
異色のファンタジーグルメ漫画「ダンジョン飯」。アニメ版1話はライオス達の新生活から始まる。見えてくるのは本当の意味で人がダンジョンに入る方法である。
続く「ダークギャザリング」。最終回25話では夜宵達の今後の計画が語られる。「これから」には「これまで」が必要だ。
暗闇を征く「ダークギャザリング」。24話では水面下でなり代わりとの戦いが始まる。それを導くのは、夜と宵の狭間のようなか細い道だ。
限界の「ダークギャザリング」。23話では夜宵が囚われの身となる。彼女を捕えるのは、単なる異空間の類ではない。
誰も彼もの「ダークギャザリング」。22話では旧I水門での戦いに決着がつく。人は皆、逃れられない廓の中にいる。