【ネタバレ】知らない結末の意味――「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」後章レビュー&感想

(C) 浅野いにお小学館/DeDeDeDe Committee

前章から2ヶ月を開けての後章公開となった映画「デデデデ」。原作と異なるアニメオリジナルの結末は、私達にいったい何を訴えかけているのだろう?

 

 

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」後章

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1.誰も知らない結末

巨大な円盤が浮遊する東京の下、友人の死など身近な重大事をいくつも経験しつつも大学生となった小山門出(こやまかどで)と中川凰蘭(なかがわおうらん)。円盤から地上にやってきた「侵略者」が駆除されるのが当たり前となった世界でキャンパスライフを謳歌する中、凰蘭は8.31で死んだはずのアイドルそっくりの少年・大葉と再会し……?

 

漫画家・浅野いにお作品初の映像化となる「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」。原作未読で映画館へ行きその世界観に度肝を抜かれた私であったが、後章で待っていたのもまた予想外の展開であった。なにせこの後章では主役のはずの門出と凰蘭が物語に寄与するところが全くと言っていいほどない。前章で幼少期に侵略者と呼ばれる宇宙人と交流していたこと、後章では劇中の世界は門出を救うために時間軸を移動した先であること=世界の形に大きく関わっていることが明かされるにも関わらずだ。二人がが後章でしたことと言えば大学に入ってキャンパスライフを謳歌、サークルの夏合宿に行っただけ。前章でぶちあげられた「地球滅亡まであと半年」の運命を変えたのは大葉という少年であり、凰蘭は彼と恋に落ちこそするものの一緒に円盤に乗り込んだりはしなかった。「地球滅亡までのタイムリミットが近づく中、二人が大きな選択を迫られる」……振り返ってみればいかにも浅薄な発想であるが、そんな私の予想は全く的を外していたのである。だが、自己弁護のように聞こえるかも知れないがこれは誰も彼も――劇中の人間も、原作を読んでいた人間すらも同じではないだろうか。

 

本作が描いている世界。それは誰もが事態を正確に把握もコントロールもできない世界である。物事をフラットに見ているつもりの大学生・竹本ふたばは侵略者との共生を訴える活動に参加した結果テロの片棒を担がされそうになるし、日本のトップであるはずの萩野総理は善性を発揮し正直な話をしようとした瞬間に指揮権を剥奪されてしまう。ジャーナリストとして活動していた三浦は最終的に自分が他人の小間使いでしかないと気付いて自ら命を断つし、この後章では侵略者達すら本当は実情を何も分かっていなかったことが明かされる。そしてアニメ化作品は通常なら原作既読者は展開を知った上で眺められるものだが、浅野いにお自身の発案により独自の結末を迎える本作は原作既読者すら事態の把握やコントロールを不可能にしている。映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」は観る者に徹底して世界を分かったつもりにさせない、知ったかぶりを許さない作品であり、本作において原作改変は「どう変えたか」以前に「変えたことそのもの」が重要なのだと言えるだろう。では、誰も知ったかぶりになれないこの作品から見えるものはなんだろうか? 「世界の行く末なんて誰にも分からない、意識高い系な振る舞いはやめて日常を謳歌しよう」? 否、そうではない。

 

2.分かったつもりの世界のイレギュラー

映画「デデデデ」は凰蘭や私達に世界を分かったつもりにさせない。知ったかぶりを許さない。前章の場合、それは凰蘭達の同級生であるキホの突然の死を始めとしたどちらかと言えば諦観に近いものであった。だが、同じことを「繰り返す」のなら後章を描く意味はない。それは例えば、前章がぶちあげ後章でも既定事項のように語られていた地球滅亡においても同様である。

 

前節に触れたように、「デデデデ」で中心となる世界の正体とは前章で回想された凰蘭と門出が過ごした世界ではなかった。あの世界では門出は最終的に自ら命を断ってしまっており、侵略者の宇宙船のシフトマシンによって凰蘭が別の時間軸へ移動した結果生まれたのが劇中の世界だったのだ。だがシフトマシンを提供した侵略者が警告したように、別の時間軸への移動は大きなリスクを孕んでいた。調査員でもあったこの時間軸での侵略者は門出と凰蘭を見て地球への帰還(侵略者は人類以前にこの星に住んでいた)をやめるよう判断したが、門出の命を救うためには侵略者と接触しない必要がありその場合は侵略者達が地球へ戻って来る=世界の滅亡に繋がる危険性が大であったのだ。

 

門出の死を受け入れるか? 代わりに世界を滅亡させるか? 世界に嫌われても構わないと凰蘭は時間軸を移動するが、実のところこれは彼女にとって同じことの「繰り返し」でしかない。彼女にとって門出の死は世界の滅亡以上に世界の滅亡であり、凰蘭は単に世界を滅亡させ直したに過ぎないからだ。彼女は「門出が助かる代わりに滅亡する世界」を選んだつもりであった。滅亡すると分かって――つまり「世界を分かったつもりになって」「知ったかぶりをして」凰蘭は別の時間軸へ移動してきた。だが既に描かれているように、本作の世界は分かったつもりになることを許さない。知ったかぶりを許さない。ならば移動後の時間軸は「繰り返し」にならない。

 

時間軸の移動によって調査員との接触がなくなったことは、懸念されたように地球に破滅的な惨事を巻き起こすこととなった。侵略者の本国が円盤の母艦を捨て駒として機能停止させ、その爆発がばらまいた大量の汚染物質によって東京を始めとした世界中の都市は壊滅。門出達の親しい人間やその親族も多数命を落としてしまう。だが、凰蘭の選択がもたらしたのはけしてこの破滅だけではない。彼女は時間軸を移動した世界で大葉という少年と出会うこととなった。元の時間軸ではけして出会えなかった相手と、出会うこととなった。

 

3.知らない結末の意味

後章で凰蘭が再会し恋に落ちる少年、大葉。その正体は8.31の際に墜落で瀕死の重傷を負った侵略者の少年が、同じく瀕死だったアイドルに意識を移植されたものであった。時間軸の移動がなければ誕生しなかった彼は凰蘭が「門出の代わりに世界を滅亡させる」つもりで選択した世界の予期せぬイレギュラーであり、故に彼は凰蘭と私達に「世界を分かったつもりになる」ことを許さない。「知ったかぶりをする」ことを許さない。世界に同じことの「繰り返し」を許さない。

 

凰蘭を救うため一人母艦へ突入した大葉は、そこで過激派組織のリーダーである小比類巻に襲われる。元は凰蘭や門出の同級生でどこにでもいる少年だった彼は、様々な経緯から手にした侵略者のひみつ道具で暴れる姿から分かるように前章で世直しに暴走した門出のあり得た可能性であり、更に言えば汚染物質による地球滅亡の計画を正確に予測してもいる彼は「世界を分かったつもりでいる知ったかぶり」の象徴だ。対して時間軸の移動がきっかけで偶然生まれた大葉は凰蘭の選択の申し子であり、すなわちここでは時間軸移動前の門出と凰蘭の対立が巧妙に再現されている。同時にもちろん彼らは凰蘭や門出そのものではないから、結末も分かりきった「繰り返し」にはならない。移動前の時間軸では門出=世界が滅亡したのに対し、こちらでは母艦の爆発こそ止められなかったものの汚染物質の拡散にある程度歯止めがかかったおかげで人類全てが死にはせず、また回想の門出と異なり小比類巻も大葉も高所からの落下によって命を落とすことはなかった。凰蘭が移動した時間軸はけして「門出の代わりに滅亡する」世界では、彼女が分かったつもりになっていた世界などではなかったのだ。

 

一人ひとりの人間の力というのはあまりにちっぽけだ。凰蘭の選択は滅亡の対象を変える選択でしかなかったし、大葉にしても母艦の爆発を止めることはできたわけではなく汚染物質の拡散を抑えられたのは偶然の結果に過ぎない。社会をよくしたいと願ったはずなのに、かえって悪い結果をもたらしてしまうことなど珍しくもない。だが、大葉の存在が示すように思わぬ結果が悪しき結果とは限らないのもまた事実だろう。だから私達は絶望する必要はない。正しさを保証するものなど何もないからこそ、未来には希望もまた隠されている。


世界を分かったつもりになってはいけない。知ったかぶりをしてはいけない。映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の誰も知らない結末は、私達を戒めると共に世界は捨てたものじゃないこともまた教えてくれているのである。

 

感想

dwa.hatenablog.com

以上、映画デデデデの後章レビューでした。前章初見時はちんぷんかんぷんだったのですが、3回見ておいて良かった。おかげで後章を前章レビューから無理なく繋げることができました。逆に言うと「世界って分からない」というのもまた「世界を分かったつもり」の一種に過ぎないのではという感覚もあって、その点で前章ほどの驚きはなかったかな。デモの描写などに「自分は左右どちらにも批判的で、一部の過激な活動家が嫌いなだけの中立の(=世の中のことをよく分かった)人間です」的な”世界観”があるのでは?と思わないではない。でも、正しい作品でなければ普遍的なメッセージを持たないほど世の中狭くもないのだと思います*1


私にとって作品を考えるのに最適な、アニメというメディアで本作に出会えたことに感謝を。スタッフの皆様、お疲れ様でした。

 

 

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*1:念のため書いておくと、これは「フィクションの描写に倫理的な疑義を抱くな」という意味ではない