【ネタバレ】知らない宇宙人――「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」前章レビュー&感想

(C) 浅野いにお小学館/DeDeDeDe Committee

浅野いにお原作のぶっ飛び漫画をアニメ化した映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」前章。あまりにも限られた情報で展開される物語は私達に「知らない」「分からない」を突きつける。それは謎の宇宙船がすぐ側にある日常と何も変わらない。

 

 

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

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1.知ったかぶりで終われない

突拍子もなく東京上空に現れた宇宙人の宇宙船(通称・母艦)をきっかけとした「8.31」事件から3年。宇宙船は偵察機らしきものを放ち回収するもそれ以外は何もせず、人々は生活を続けていた。下蛸井戸高校3年の小山門出(こやまかどで)と中川凰蘭(なかがわおうらん)もまた、3人の友人と高校最後の1年を謳歌していく……

 

独特の作風からコアな人気を誇る漫画家・浅野いにおが2014年から8年に渡って連載した「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」。初の映像化作品となる本作は2本立ての映画となっており、2024年3月にまず前章が上映される運びとなった。……と偉そうに書いたが、正直に言えば私は本作に限らず浅野いにおの漫画を読んだことがない。映像化されるなら良い機会、と未読のまま劇場に望んだのだが――2回の鑑賞を終えて私は途方に暮れてしまった。何をとっかかりにすればこの120分を一つの単位として捉えられるか、皆目見当もつかなかったからだ。

 

本作が門出と凰蘭の二人を主人公とした話なのは明白である。またパンフレットに掲載された脚本の吉田玲子が「世紀末のけいおん!」と評しているように、彼女達の姿は日常への愛おしさにも満ち満ちている。二人を含めた仲良し5人組の一人・栗原キホが宇宙船を巡る事故に巻き込まれて死んだと報道された際、凰蘭の無神経なほどいつも通りの振る舞いが実は虚勢だったと明かされ友人達が泣き崩れる場面などは胸を締め付けられるような気持ちにならずにはいられなかった。日常が大事、皆じゃなくて目の前の一人を大切にするのが大事……誰もがそう思うはずだ。けれど、それだけだろうか?

 

2.知らない宇宙人

友人の突然の死というショッキングな出来事がありながらも日常は続き、残された4人はこれからも仲良くやっていく……そんな青写真を私達が描いたところで、本作は一つのどんでん返しを持ってくる。凰蘭は3年前の母艦出現をきっかけとした大災害「8.31」で死んだはずのアイドルと同じ姿をした謎の少年と出会い、そこで小学生時代の凰蘭と門出の驚きの事実が明かされるのだ。なんと二人はかつて宇宙人と出会って交流しており、しかも門出は宇宙人からもらったひみつ道具で人を死なせてしまった事故をきっかけとして暴走。最終的には罪悪感から身投げを図った過去を抱えていたのである。

 

パンフレットによれば漫画ではもっと後半に明かされた内容だそうだから原作既読者も驚いただろうが、この一連の出来事で私はすっかり本作が分からなくなってしまった。幼い二人が現在とは全く違うタイプの子供だった(どちらかといえば大人しい門出はかつてはクールかつ世の中のことを考え過ぎてしまう子であり、奇矯な言動を繰り返す凰蘭はかつては逆に消極的で繊細な子だった)のも意外だし、門出の身投げを凰蘭が止められたのかやその後どうなったのかはこの前章では描かれない。過去が明かされたにも関わらず、それはむしろ現在と全く切り離されてしまっているのである。1度目が終わってチケットを再購入、続く回をもう一度見ても私の頭の中は「知らない」「分からない」でいっぱいになってしまった。もう一度見るか? 見れば分かるか?と悩みつつもその日は帰宅し、その後も頭の中で本作を反芻しながらも展望は全く見えてこない。翌日は映画館に行く気になれず、他のことをしながら1日を過ごして思いついたこと――それはむしろ、この「知らない」「分からない」こそが正解なのではないかということだった。

 

本作は門出と凰蘭が中心の作品だが彼女達の目線以外が描かれないわけではなく、後半では石川県に住む竹本ふたばとその同級生の田井沼マコトの二人が登場する。ふたばは大学進学で上京するため飛行機に乗っていたのだが、隣の席の乗客に話しかけられて大いに驚くこととなった。金髪ロングの女性とばかり思っていたその乗客はなんと、女装したマコトだったのだ。マコトは実は「誰からも愛されるかわいい存在になりたい」という願望を抱いていたのだが地元ではそんなことを明かせるわけもなく、当然ふたばもすぐには事情を飲み込めなかった。彼女は同級生について何も「知らなかった」し「分かっていなかった」のである。

 

ネットの発達もあり、現代を生きる私達は昔より遥かに容易く知識にアクセスできるようになった。だがそれが知ることや理解に繋がっているかは別の話だ。陰謀論という言葉はすっかりおなじみになったし、一方で首相経験者が後に指定宗教法人に指定される宗教団体と蜜月関係だという以前なら陰謀論扱いだった事実があらわになったりもする。誰もが自分の高いリテラシーで真贋を見極めているつもりの現代は、誰もが「分かった」つもりの「知った」かぶりになりやすい時代と言えるだろう。……そう、門出や凰蘭はこんな子なのだと私が60分ほどで決めつけてしまったように。

 

私達は何も知らない。分かっていない。門出の母は8.31から発生したA線を警戒するあまり娘と意思疎通できなくなっているし、キホは同級生の小比類巻と恋仲になるが過激なネット情報に傾倒していく彼についていけず別れることになる(しかもそのきっかけは門出達が幼少時に遭遇したのと同じ姿の宇宙人らしきものを見たこと=その点は事実なのだ!)。キホの突然の死を想像した人間などいなかったろうし、過去の門出にしても気がついたら自分が人殺しの大悪人になっているなど思いもつかなかったろう。
身近な人のことも、自分のことも、未来のことも私達は宇宙人のことのように「知らない」し「分からない」。なのに知ったかぶりをしてしまう。元旦の大地震も巨匠の突然の死もありえない話ではなく、頭をよぎることはあったかもしれないのに。

 

高校卒業の日、門出が思いを寄せる担任教師の渡良瀬は実際この世界はどのくらいヤバいのかと問われて母艦を見つめ、こんなくだらない話ができるのはまぐれか偶然、そもなければあいつら(宇宙人)の気まぐれだと言う。けれど、母艦が浮かぶ本作の世界も現実の世界も、巨大な「知らない」「分からない」と一緒に暮らしている点で何も変わりはしないのではないか。日常だとか目の前の一人だとかはきっと、あまりに巨大な「知らない」「分からない」に心を喰われないためにこそ必要な存在なのだろう。

本作は宇宙人と宇宙船の現れた世界を描いた作品である。けれど、「知らない宇宙人」は本当は何よりも私達の近くに在るものなのだ。

 

3.感想

というわけでデデデデのアニメ前章レビューでした。いや~書けてスッキリした! 1回で自分なりに答えを出すのは難しいだろうとは想像していましたが、こんなにどうしたらいいか分からなくなるとは思いもしませんでした。レビュー中では触れませんでしたが、SES社広報の須丸と元級友で今はジャーナリストの三浦のやりとり(須丸は広報として知らされていることしか「知らない」)などもヒントになってこんなテーマを思いついた次第です。

 

本文で書いたように浅野いにお作品に触れるのは初めてですが、全てに独特の手触りがあってこれはクセになりますね。門出役の幾田りらさん、凰蘭役のあのさんの声にもスムーズに没入できました。

 

レビューを書く時はいつも、「これ以上の答えはないはず!」と「しかしこれはどこまで行っても仮説に過ぎない」の両方の気持ちを抱えて書いています。実際、自分なりにどれほど詰めたつもりでも見返したり他の人の指摘を見て自分は全然分かってないと痛感させられることばかりで。このレビューもきっと、いつものように凡人の知ったかぶりに過ぎないのでしょう。でも、そこで終わらず目の前の作品に向き合い続けられるなら、真実を掴めてはいなくとも手を伸ばすことはきっとできている。一生ってそういうことの繰り返しなんじゃないかと思います。5月公開の後章、たぶん私はまたこの作品にぶん殴られることになるぞ! 

 

 

 

 

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