さ行-ゾンビランドサガ
「ゾンビランドサガリベンジ」の放送も近づいたので、旧ブログから1期の感想を移動させました。1年遅れで2019年終盤に見たのですが、既に相当前のような気がします。フランシュシュが今度は何を見せてくれるのか、楽しみですね。
「ゾンビランドサガ」11話。記憶を失い目覚めたさくらはたえ達と遭遇し、1話の光景を繰り返す。いつもなら僕は最初に書いたことを、つまり今回なら「繰り返し」を「蘇り」と書くところだが――本当にそうだろうか?
「ゾンビランドサガ」11話。記憶を失い目覚めたさくらはたえ達と遭遇し、1話の光景を繰り返す。いつもなら僕は最初に書いたことを、つまり今回なら「繰り返し」を「蘇り」と書くところだが――本当にそうだろうか?
「ゾンビランドサガ」10話。メンバーがそれぞれに過去と折り合いを漬ける中、自分が未だ何も思い出せていないことに再度思いを馳せるさくら。ラストに向け、訪れるのは「見つめ直し」という蘇りの時。
「ゾンビランドサガ」8話。今回の主役であるリリィの生前の経歴は子役。テレビなどのドラマ出演がメインとなる子役は、モニタという明確な一線を通して視聴者と接する。その境界線の向こうから語り直すような回。
「ゾンビランドサガ」9話。伝説とは伝えられるもの。伝説を「蘇らせる」とは、伝え直すことだ。塗り替えることだ。
「ゾンビランドサガ」7話。車に轢かれる純子の姿にさくらはデジャヴを感じる。言わばさくらの死を純子が「語り直した」と言えるわけだが、語り直しもまた「蘇り」である。
「ゾンビランドサガ」5話。今回はドライブイン鳥とガタリンピックで隙の生じぬ二段構え。そして二段目とはすなわち「蘇り」である。
「ゾンビランドサガ」6話。新曲を練習する中、ソロパートを担当する愛と純子の動きには時間差があり、後に2人は時代性の強いアイドル観によって衝突する。アバンは時間差を置いて「蘇る」のだ。
「ゾンビランドサガ」4話。活動資金がなくなったことで、フランシュシュの活動は営業として再定義される。再定義とはつまり、定義の蘇りである。
「ゾンビランドサガ」3話。「くしゃみだけどくしゃみじゃない」リリィはたえのくしゃみからグループ名を閃く。マジック噛みという失敗(死)は、グループ名のヒントとして蘇った。
「ゾンビランドサガ」2話。幸太郎はゾンビィに居場所は無いと語る。蘇ったものは以前と同じではない、そういう話として読む。
「ゾンビランドサガ」1話を初視聴。ゾンビとは蘇ったものである。故にこの1話も蘇りで構成される。冒頭で5カメ使って事故を「蘇らせて」くるから恐ろしい。