味わいのコミュニケーション――「ダンジョン飯」20話レビュー&感想

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

食べ合いの「ダンジョン飯」。20話ではイヅツミの加入が食事に変化をもたらす。今回食べて、あるいは食べられているのは何だろうか?

 

 

ダンジョン飯 第20話「アイスゴーレム/バロメッツ」

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1.食べられているのは

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イヅツミを加え、5人になったライオス達のパーティ。かつて全滅した場所で荷物を見つけるが、そこでアイスゴーレムに遭遇し……!?

 

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マルシル「じゃじゃーん!」

 

異食の「ダンジョン飯」。シュローの従者の1人にして前回ライオスの一行に加入した人造獣人の少女・イヅツミ。この20話は引き続き彼女に多くの出番を割き、また偏食家のこの猫娘が初めて魔物を食べる回でもあるわけだが――見終わって最初に感じたのは「いつもより食レポっぽさが薄いな」ということだった。

 

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今回は3つの魔物食が登場するが、いつもに比べると食味への言及は少ない。「アイスゴーレム茶碗蒸しとアイスゴーレムに入ってた魚に熱を通したやつ」も「マンドレイクの甘煮(仮)」も美味いとは言われるがそこまでだし、「バロメッツのバロット(あるいはバロメッツチョップ)」は羊そっくりなのに味はカニに似るらしいが、あくまでライオスの解説だから仲間のマルシルが言うように「だからなんだ」の感がある。が、だからといって食事の描写が落第点かと言えば多くの人はそんなことは思わなかったことだろう。

 

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今回の食事において、中心となるのは飯そのものよりもイヅツミの反応である。最初は一人で先に食べようとした彼女が仲間の一人チルチャックとのやりとりの後で皆にならって「(ごちそうさまで)した」と言ったり、マンドレイクの時はライオス達をひっかくほど嫌がっていた魔物食を(猫らしく)皿まで舐めるほど夢中で食べている姿は実に微笑ましく、彼女をニコニコと見つめるライオス達同様に私達はつい頬をほころばせてしまう。イヅツミというパーティの末妹にして猫を堪能・・してしまう。そう、今回最大の「おかず」はイヅツミであり、それがあまりに美味しいものだから食レポっぽさが薄くとも私達は問題を感じないのだ。

 

この20話、ライオスや私達はイヅツミを「食べて」いる。だが食うか食われるかの本作において、彼女はけして食べられるだけの存在ではない。

 

2.味わいのコミュニケーション

食うか食われるかのダンジョン飯において、イヅツミはけして食べられるだけの存在ではない。それはもちろん、彼女が魔物を食べているから……でもない。イヅツミが今回食べているもの。それはライオス達の言葉や行動である。

 

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イヅツミ「魔物なんか食べたら、変な病気にかかって魔物になるんだ! だから嫌だ!」

 

卓抜した身のこなしを持つと同時に偏食家であるなど多分に子供っぽいイヅツミは当初、ライオス達の言動や食事を素直に受け入れない。ある程度完成した関係性を持つ彼らの輪に後から加わった彼女はいかにも異物だし、また本来なら魔物食など忌避する方が感覚としては一般的でもある。要するに、イヅツミからすればライオス達の存在は「食べられたものではない」。

 

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けれどこの20話を通して、イヅツミは少しずつ一行の人となりや考え方を知っていく。チルチャックが口は悪いが面倒見はいいところを知ったり、マルシルが拒否反応を示しながらも魔物を食べる理由を聞かされて食事に限らぬ「偏食」ぶりを少し改めたり。それはいわばイヅツミがライオス達を「食べる」過程である。

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イヌタデアセビちゃん。少しの面倒に負けて、迷子にならないでね」

 

更に重要な点として、イヅツミはセンシの調理した、最初は嫌々口にしたバロメッツを夢中で食べながらイヌタデのことを思い出していた。自分同様にシュローの家に拾われ、自分と違い頼まれてもいない面倒を背負っていた彼女の言葉を反芻していた。「少しの面倒に負けて、迷子にならないでね」……初めてその意味が分かったと感じたであろうイヅツミはこの時、イヌタデの言葉を味わって・・・・・いたのだろう。そう、彼女が口にしていたのはバロメッツだけではなかった。

 

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誰かと言葉をかわす。それは確かにコミュニケーションだが、私達は往々にして自分の考えを人に上手く伝えられないし、時には自分でもよく分かっていなかったりする。けれど一方で私達は、不意にかつて耳にした言葉の真意に後から気がつくことがある。他人に不思議がられて省みて、そこから自分の行動の思っても見なかった理由を見つけることもある。神ならざる私達が真実にたどりつくのは、いつだって時間が経ってから――耳にした言葉を味わえてからだ。だからイヅツミの成長に食事は大きな意味を伴う。

 

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この20話、ライオス達とイヅツミは互いに食べ、食べられることで少しずつ距離を近づけていく。ただ口にするのではなく、味わってこそ私達は誰かとコミュニケーションできるのである。

 

感想

以上、ダンジョン飯のアニメ20話レビューでした。最初の内はどこから口にすれば歯が「立つ」のかさっぱり見えてこず困ってしまったのですが、ふとライオス達とイヅツミは互いが互いを食べてるようなものだなと思いついてからはすんなり文章が書けました。イヅツミ、ちゃんと段階を踏んでるのにものすごい勢いでパーティに(そして私達視聴者に)馴染んでいっちゃうからすごいな。新しい形のパーティになっていっているのを感じた回でした。

 

 

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