ダンジョンを食べる――「ダンジョン飯」24話レビュー&感想

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

食べ尽くす「ダンジョン飯」。24話でライオス達が食べるのはダンプリングの残りだけではない。ダンジョン飯は、食うか食われるかの対象を広げていく。

 

 

ダンジョン飯 第24話(最終回)「ダンプリング2/ベーコンエッグ」

 

1.ライオス達が食べるもの

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チェンジリングで種族が変わってしまい、慣れない体に苦労しながら迷宮を進むライオス達。ハーフフットになったマルシルは、奇妙な石の音が自分達を追いかけてきたガーゴイルの音だと気付き……!?

 

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全てを食らう「ダンジョン飯」。ひとまずの区切りとなる24話は「モンスターを食べる」感覚はそれほど無い回だ。主人公ライオス達が食べるのは前回作ったダンプリングの残りを不思議なキノコ、チェンジリングで変化させたもので新しく魔物を狩ったりするわけではない。倒したのが動く石像ガーゴイルだけだから無理もない話なのだが……この24話、見ようによっては彼らはガーゴイルすらも食べている。

 

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センシ「やはり、口部分が輪の役目を果たすようだ」

 

今回活用されるのは、対象を別のものに変えるチェンジリングの発動条件がキノコの輪の通過であることだ。トールマンがドワーフになるなど体が変化してしまったライオス達は自分達の体がキノコの苗床になっているのに気が付き、手を繋いで作った輪をガーゴイルにくぐらせることでこの頑強な魔物の無力化に成功した。更にはこの戦いでガーゴイルの内の1体はいわゆる「真実の口」のような形状になったが、仲間の一人センシはこれを利用しダンプリングを真実の口に突っ込んで・・・・・・・中身や形を別のものに変化させている。これは単なる機転やギャグなのか? 否。チェンジリングが対象を変化させるのは、姿の変わった個体が孤立・死亡すればその亡骸が新たな苗床になってくれるからだ。すなわちこのキノコは姿を変えることで相手「食べて」いる……チェンジリングフェアリーリング(輪)とは食事をする丸い口の比喩に他ならない。

 

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ライオス達は前回、変化した体に不慣れなためにガーゴイルを倒せなかった。その状態で再度こうしたモンスターに遭遇したらどう対処すればいいか、どう「料理」すればいいかが課題となっていたわけだが、この24話で彼らは見事それに答えを出してみせた。背丈の小さなハーフフットになったマルシルを振り回してのフェアリーリング作りはなんともコミカルだったが、ガーゴイルに輪をくぐらせたあの瞬間、ライオス達はこの動く石像を確かに「食べて」みせたと言える。

 

チェンジリングの生態、それを活用しての動く石像退治やダンプリングの変化といった変形的な「魔物食」。今回の食事は多彩である。そして、食事の概念が拡張されているのはこれら不思議なキノコやガーゴイルに限った話ではない。

 

2.ダンジョンを食べる

食事は単に栄養を摂取するだけの行為ではない。チェンジリングが示す食事の概念の拡張は、センシの洞察によって新たな可能性を見せる。

 

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レッドドラゴンの肉で蘇生するも魂や体まで一体化してしまったライオスの妹、ファリンをどう助けるかはこれまでは単なる魔術的な問題かと思われていた。だがセンシは今回、ファイルがキメラになる際もライオス達が既に食べていた分のレッドドラゴンの肉はそのままだったことを指摘してみせる。もしもファリンのレッドドラゴンの部分だけを「食べて」しまえば、彼女を再び人間に戻せるのではないか……これまで考えられてきたアプローチからすればこれは驚きの発想である。だが「今までずっとやってきたことじゃないか」とライオスが気付くように、手段そのものはこれまで既に彼らがやってきたことだ。魔物食を始めたその時から、彼らの食事の概念は拡張を始めていたのだった。

 

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

手のつけようが無いかとすら思えた問題の解決の鍵は、これまでライオス達がしてきた食事の中に、「ダンジョン飯」の中にある。迷宮の主である狂乱の魔術師の強大さの前に添え物のようになりつつあった魔物食が再び有力な手段となるのはタイトルの面目躍如の感があるが、加えて示唆的なのはこの時彼らがトロッコに乗っている点である。
古代ドワーフの遺産であるこのトロッコは自動運転であり、レールの先の目的地までライオス達をまっすぐに運んでいく。まるでライオス達が考えた解決策も何かに導かれたのだと言わんばかりだ。実際、将来設計皆無で冒険者になった彼が迷宮攻略に必要なものを揃えつつあるのだからこの流れは運命じみてもいる。前回のレビューで私は人生とは迷宮のようなものだと書いたが、一方でこの迷宮は時に全てがあつらえられたようにまっすぐに道が開けもするものなのだろう。……ただ、その道の先がダンジョンという魔物の口の中でない保証はどこにもない。希望が見えてきたとしても、ライオス達が進むのはあくまでも虎穴でしかないのだ。だが、ファリン救出という虎子を得るためには彼らはこの暗がりへ歩を進めていかなければならない。

 

 

©九井諒子KADOKAWA刊/「ダンジョン飯」製作委員会

ライオス「がぜんいけそうな気がしてきたな」

イヅツミ「豪勢なパーティになりそうだな」

 

ダンジョン飯とは”食う”か”食われる”かであると本作は言う。だが、それは魔物相手に限った話ではない。欲望に反応し変化するこのダンジョンを”食う”か”食われる”か――それこそがライオス達の冒険なのである。

 

感想

以上、ダンジョン飯のアニメ1期最終回レビューでした。「食べることは自在にすること」「ガーゴイルの食べ方」など題になりそうなものは浮かび途中までは問題なく書き進められたのですが、もうちょっとだけ先がありそうなモヤモヤを解消するのに手間取ってしまいました。

2クール続けて見ていくとTRIGGER特有の動きのクセなどにも慣れてくるもので、今回のガーゴイル戦はそこを再確認させてくれる内容でもあったかなと思います。以前書いたように掲載誌だったハルタの購読を途中でやめてしまった人間なので、アニメでもう一度触れる機会に出会えたのは本当に嬉しい。時期は不明ですが製作の発表された2期を楽しみに待ちたい。スタッフの皆様、ひとまずお疲れさまでした。

 

 

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