見えないアンサンブルーー「特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~」レビュー&感想

©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

2019年の劇場版から4年、TVアニメ3期に先駆けて帰ってきた「特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~」。いくつもの小編成によるアンサンブルは、目に見えるものだけで奏でられてはいない。

*ネタバレありです。

 

 

特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~

www.youtube.com

 

1.3年生と1,2年生のアンサンブル

原作:武田綾乃、イラスト: アサダニッキの小説を原作に作られたアニメが2015年の1期放送より絶賛を受け続け、製作する京都アニメーションの代表作の一つともなった「響け!ユーフォニアム」シリーズ。今回の特別編では主人公の黄前久美子が部長となり、2年の冬に行われるアンサンブルコンテストに北宇治高校吹奏楽部が臨む様子が描かれる。全日本吹奏楽コンクールと異なりアンサンブルコンテスト(アンコン)は数人の小規模編成であり、北宇治高校は部内で各自グループを組んでオーディションという形を採るのだがーー”アンサンブル”するのは実は楽器に留まらない。それが端的に示されているのは、オーディションによる代表チームをどう決めるかの打ち合わせの場面だ。

 

吹奏楽部顧問の滝は代表の選出は部内の投票で決めることにしていたが、投票に3年生を含めるかどうかに悩んでいた。打ち合わせに呼ばれた3人の内、副部長の秀一は広く意見が聴ける3年生の投票に賛成、ドラムメジャーの麗奈は自分達で選んだ方が納得できるから反対と意見が割れる中、久美子の苦し紛れの提案から生まれたのは「1,2年生は部員票、3年生は一般票として投票に含める。結果が異なれば部員票を優先」というものだった。

 

秀一と麗奈の対立は、今の吹奏楽部に3年生を含めるか否か?という繊細な問題を抱えた対立である。部員全員で投票する点で理想的な「合奏」に見えても、そこには共同体から特定の人が弾かれかねない状況がある。だが久美子の提案から生まれた方式なら、3年生は吹奏楽部から排除されていないしこれからを担う1,2年生も自分達の決定だという意識を損なわずに済む。吹奏楽部というひとかたまりではなく3年生と1,2年生に分割再編して包摂するこの形は、いわば3年生と2年生の二重奏ーー”アンサンブル”である。今回のグループ分けが部員を小規模の編成に組み直すものであるように、小合奏とも言えるアンサンブルの肝は分割と再編成にあるのだ。

 

2.見えないアンサンブル

アンサンブルの肝は分割と再編成にある。そしてこの分割と再編成の利点は、途方もなく大きく見える問題を手に取れる大きさに変えてくれるところにある。

 

どこから手を付けていいか分からないような巨大な困難を前にした時、私達はつい立ちすくんでしまうものだ。例えば久美子が組んだ管打八重奏のグループではマリンバ担当の釜屋つばめが演奏が遅れてしまう問題を解決できずに悩んでいたが、これは彼女が原因を才能の欠如としてのみ捉えていたためだった。つばめは「自分は下手だから」という巨大な困難に立ちすくんでしまっていたのだ。だが、つばめが技術力自体はあると知った久美子は彼女の遅れは打楽器故に吹奏楽器の呼吸を考慮していない点にあると見抜き、その意識を持って以来つばめの演奏は劇的に上達していくこととなった。「下手だから」に比べたら「呼吸を意識していない」の方がずっと対処しやすい問題なのは言うまでもない。

 

久美子のしたことはすなわち、デカルトが語ったという「困難は分割せよ」の実践である。どこから手を付けていいか分からないような巨大な困難があるなら、両手で抱えられる大きさに分割して一つ一つ対処していけばいい。そしてこの分割は、困難を小さくする効用しか持たないわけではない。

 

つばめは当初、久美子達のグループへの参加を断り続けていた。1年生の時から活躍していた久美子達とは釣り合わない、自分は下手だから吹奏楽コンクールのメンバーに選ばれないのは当然……そんな風に決めつけていた。けれどアンコンの練習を続ける日々の中で彼女は久美子に、自分もコンクールに参加したいと思えるようになったことを打ち明ける。吹奏楽部がひとかたまりの状態ではみそっかすのような存在に過ぎなかったつばめは、アンコンという分割を経て以前と違う形で吹奏楽部に戻っていくことになったのだ。つばめの成長は久美子が部長としてやっていくための手応えにも繋がっており、彼女の困難の分割は以前と違う形の再編成を生んだと言えるだろう。

 

久美子達の目標はあくまで全日本吹奏楽コンクール全国大会の金賞である。ならばアンコンには参加せず、ひたすらそちらの練習をする方が一見合理的にも思える。だが実際のところ、練習の時間や部員を分割して挑んだこの日々が北宇治高校吹奏楽部にもたらしたものは大きい。つばめがそうであるように普段と異なる演奏形態で発掘される上手さがあり、新たに見えた上手さは滝にとってはコンクールでの自由曲を選ぶ参考にもなり、久美子は部長としての第一歩を踏み出せた。終盤のグループごとの集合写真から見えるように、この練習の日々で新たに得られた関係性というものもあるだろう。それはアンコンの結果にしても同様で、久美子達の管打八重奏チームは残念ながら北宇治の代表にはなれなかったが、その悔しさはコンクールで今度こそ全国金賞を取るのだと決意を強めるものともなった。小編成に分割されたアンコンが、コンクールに向けて部をより強固に再編成したのだ。

 

本作を視聴して私の脳裏に浮かんだのは、どこかで目にした「一は全 全は一」という言葉だった。調べてみると「全は個にして 個は全なり 個は孤にあらず」とも言うらしい。私達はしばしば全体の話を個人に押し込めてしまったり、逆に目についた個を繋ぎ合わせてありもしない全を幻視してしまったりもする。けれど、全と個の関係は本当はそういうものではない。全を知るためには個に向き合わねばならず、個に向かわぬ全は結局は孤でしかない。全と個は常に循環するものでなければならない。
全と個、分割と再編成。北宇治高校吹奏楽部が今回奏でたのは、相反しているようで離れられぬものの見えないアンサンブルなのである。

 

感想

というわけでユーフォ特別編のレビューでした。時間は1時間ですがとても濃い内容で、レビュー本文中には書かなかったけどヒントになった部分がたくさんあります。この時期の話ならば引退している3年生も参加できないわけではなかったり、かといって全員が参加できるわけではなかったり。異なるグループが異なる目的を持ってアンコンに臨むのが結果的には部全体のレベルアップに繋がったり……みぞれの言う久美子の「窓を開ける上手さ」というのは、そういうアンサンブルの上手さと言えるのではないでしょうか。来年春の3期がドキドキです。

 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>