【ネタバレ】しん次元の正体ーー「しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜」レビュー&感想

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シリーズ初の3DCG作品となった「しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜」。2D的な質感を失わないタッチが目を引くが、本作は別にこれみよがしに技術を誇った作品というわけではない。本作は「しん次元」をめぐる作品なのである。

 

 

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1.「非クレヨンしんちゃん的なもの」との対決

ノストラダムス……の隣町に住んでいたヌスットラダマスの予言により、2023年の日本に二つの光が降り注いだ。白き光を浴びたのはご存知スーパー幼稚園児の野原しんのすけ、暗黒の光を浴びたのは何をやっても上手くいかずくたびれていた男・非理谷(ひりや)充。二人は共に超能力に目覚め、しんのすけは世界の破滅を願う非理谷と対決することに……!?

 

いつもと異なり3DCGで描かれることとなった「クレヨンしんちゃん」。2Dから3Dへの移行はさほど珍しいものでもないから、どんなものだろう?と思いながら劇場に行ったのだが、見終えて最初に感じたのは正直に言えば「愛嬌がない」ということだった。超能力で暴れた非理谷は後に負のエネルギーを吸収して巨大な怪人物に変身、最終的には人とすら呼べない異形の怪物に姿を変えるのだがこれがなんともかわいげがない。セリフもないので怪獣やモンスターそのもので、何の映画を見ているのか分からない気分にすらなった時があった。ただ、私の違和感はけして単にこの映画を楽しめなかったというだけではないように思う。本作はおそらく「クレヨンしんちゃん」を作る難しさに真っ向から立ち向かった一作なのだ。

 

既に触れているように初めて3Dで作られた本作は、シリーズで培われた「クレヨンしんちゃん」らしさがそのままでは通用しない作品である。すなわち「クレヨンしんちゃん」が支配的・・・ではないフィールド。パンフレットにはゴリゴリの3Dや白黒のペンタッチなど試行錯誤を繰り返したことが記されており、非2Dで「クレヨンしんちゃん」を成立させるのが相当に難産だったことが伺える。冒頭では追いかけっこをするしんのすけとみさえが描かれるが、縦横無尽なカメラワークもともすると技術を誇示するだけに終わりかねないかなり危なっかしい代物だ。加えてこの映画ではしんのすけが超能力に目覚めるわけだが、この強力な力もともすれば作品を古臭い超能力映画に貶めかねない欠点を抱えている。しんのすけは悩むような素振りはほとんど見せないが、本作の彼は常以上に「クレヨンしんちゃん」でいられない危機に晒されていると言えよう。そして、その最たる脅威がもう一人の主要人物である非理谷である。

 

名前の通り非リア充である非理谷は、現実で散々な目に遭っている30歳の男だ。雇用は安定せず周囲の人間には馬鹿にされ、のめり込んでいたアイドルは突然結婚と引退を発表し、おまけに容姿や服装の偶然の一致で犯罪者扱いされてしまったりと何一ついいことがない。これだけなら個人の境遇に限定も可能だが、彼は少子化を始めとした諸問題でこの国の未来がお先真っ暗だとも口にするのだから極めてリアルなーーつまり「3D的」な属性を製作者に背負わされている。本作では彼に限らずこの国の将来の見通しの暗さを語る場面が何度もあるが、子供を楽しませることだけ考えていたのにドキリとさせられてしまった親御さんも多いかもしれない。


非理谷の持つリアルな、3D的な属性はクレヨンしんちゃん(これはフィクションともイコールの関係にある)の成立を困難にさせる代物であり、すなわち彼は「非クレヨンしんちゃん的」なものの権化である。ならば暴走した異形の非理谷が本作をほとんど何の映画か分からない惨状に変えてしまうのは必然であろう。彼、とすら言えなくなった怪獣はしんのすけを飲み込んでしまうが、これは画面通りの「クレヨンしんちゃん」の危機なのだ。

 

2.しん次元の正体

3Dは、リアルは「クレヨンしんちゃん」の敵である。そう捉えた時、本作劇中のしんのすけ達の行動はレジスタンス的である。

 

例えばしんのすけは、超能力をいかにも格好良く扱ったりはしない。運動会の玉入れでは玉を操ってカゴに入れるためその周囲をお尻をふりふりしながら回ったりするし、綱引きでは腕力を強化するのではなく股に挟んだ綱を超能力で引っ張って相手チームを圧倒したりする。非理谷が遊園地に立てこもった時も戦うというよりは彼と遊んでいるし、後に巨大化した非理谷とカンタム・ロボの巨大フィギュアで戦う時もいわゆるガンダムの「ファンネル」的な武器は瓦礫から作った手巻き寿司で担われる有様。製作を担当した白組にとって、ふりふりする尻や手巻き寿司ファンネルが本当にそのまま今後に活きる可能性はないだろう。つまり唯一無二の「クレヨンしんちゃん」らしさでもって3Dであることやリアルさに抗っているわけだがーーしんのすけが結局は非理谷に飲み込まれてしまうように、これらでは本作はゴールにたどり着けない。当然と言えば当然だろう、しんのすけがお馬鹿なことをやって非理谷を退治したとしても、彼の抱える悩みの「リアル」はまるで解決していないのだから。

 

この国の未来のリアルを考える時、「クレヨンしんちゃん」は無力だ。それは怪獣の胃袋の中でしんのすけの精神が幼稚園、小学生、中学生(高校生?)と成長していく非理谷の精神と触れ合った際の描写からも言える。幼少時の非理谷が感じた一人ぼっちの留守番の寂しさだとか玉入れでの無力感に対してはしんのすけは上手く励ませていたが、小学校の時のいじめや中学生の時の親の離婚といった出来事になると彼にできることは限られてくる。体の大きくなったかつての同級生に非理谷が再び暴行を受ける場面に至っては、しんのすけはもはや無力な子供でしかない。それはまるで、幼い頃は自分を救ってくれたアニメ等が圧倒的なリアルの前には絵空事にしか思えなくなっていく姿のよう。

 

けれどしんのすけはめげない。その数度の出会いで「仲間」と感じるようになった非理谷を助けるため、彼はボロボロになりながらも暴行を止めようとする。もちろん超能力などはないし、このリアルな非理谷のフィールドでしんのすけはおしりフリフリで相手をきりきり舞いにできたりなどはしない。あるのは地味なとっくみあいで、しんのすけと同じく超能力に目覚めていた妹のひまわりの目(映写機を兼ねる)を通してそれを見る父ひろしや母みさえにできるのは「頑張れ」と必死で声援を送ること、そしてひろしの足の臭いが移った靴下という攻撃アイテムを送ることくらいであった。

 

送るのが靴下というのはなんとも脱力ものだが、ひろしの靴下は「クレヨンしんちゃん的なもの」と「リアル」を繋ぐキーアイテムである。野原ひろしはリアルには存在しないが、臭い靴下はリアルに存在する。フィクションをいくら見ても現実の状況は変わらないが、それでもリアルに持ち帰れるものが何もないわけではない。

 

フィクションの原始的な効用の一つは見た者を勇気づけてくれること、すなわち「頑張れ」と応援してくれることだ。主人公達と一緒に泣いて笑えば、それが私達に根拠のない力を与えてくれる。もちろんリアルな問題は何も解決していないのだが、前を向く行為に本来根拠は必要ない*1。まやかしや幻術のようでもあるが、それは劇中語られるように皆で食べる手巻き寿司が高級店のものより美味しく感じられるのと同じ、超能力よりもずっと不思議な力だ。「悪臭を放つ二つの黒玉」などと仰々しく予言書に書かれた靴下を使ってしんのすけと非理谷が同級生を撃退するしようもない勝利はしかし、フィクションがリアルに作用できる至上の一例なのである。

 

悪夢のような胃袋の中の時間をどうにか脱したしんのすけと非理谷は、敵同士ではなく仲間として二人でグータッチをする。「クレヨンしんちゃん的なものvs非クレヨンしんちゃん的なもの」「フィクションvsリアル」を背負った二人の対立のゴールは、どちらか片方の勝利ではなく和解とその先を切り開くことにあった。再び前を向いた非理谷が、彼との関係を通して友達と仲間の違いを理解したしんのすけが切り開いたそれは、彼らにとって世界をーーすなわち次元・・を変えるに等しい変化であった。

 

本作はキャッチコピーの一つとして「すべてが、しん次元。」だと謳っているが、これは3Dで作ったことのみを指しているのではない。3Dを契機にしんのすけが踏み込んだ新たな次元こそ、「しん次元」の正体なのだ。

 

感想

以上がレビューになります。最初に書いたように見終わった時は不満が大きくモヤモヤしていたのですが、振り返る中で次元を上げるようにして自分の中の作品像がまとまっていきました。ただ、やっぱり不満は大きい。

 

1つ目は、非理谷にあまりリアリティを感じなかったこと。2023年の30歳を自分が理解できている気は全然しないのですが、これ10年20年前の30歳像でない? 今どきの人はもう少し絶望に順化してない?という印象があります。

 

2つ目は、非理谷はしんのすけと共に帰還した後でひろし達から再び「頑張れ」と応援されますが、それがしんのすけと共闘した時の「頑張れ」とは別物に感じられたこと。彼個人の苦境とこの国が抱える先暗さは文字通り「次元が違う」話であって、全てを非理谷の心の持ちように帰してしまうのは「しん次元」的ではない。それは子供の見る映画でこの国のお先真っ暗さに触れるだけでは釣り合いは取れないし、おそらく個人に全てを背負わせる悪弊の再生産にしかならない。これはタイミングの悪さもありますが、一国の未来はおろか食料生産に重要なミツバチが死に、大西洋の海洋循環が近々止まる懸念すら指摘される気候変動が起きている中で「頑張れ」はのんきで無責任にすら感じました。

 

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そんなわけで愚痴も書きましたが、3DCGで作る作品らしい意欲に満ちていたのではないかと思います。スタッフの皆様、お疲れ様でした。

 

 

*1:ある種の狂気が必要なのであり、数値として目に見えるものが増えるほどこのハードルは上がってしまう