【ネタバレ】主役交代のお知らせ――「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」レビュー&感想

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世界の度肝を抜いた前作から4年、パワーアップして帰ってきた「スパイダーバース」。前作の主役はピーターに代わってスパイダーマンとなった少年マイルスであったが、今回の主役は彼であって彼ではない。
 
 

1.主役交代のお知らせ

本作においてマイルスは主役ではない。それを語るためにまず、こちらのPVを見てもらいたい。
 

私がこのPVを見て想像した「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」のあらすじは下記のようなものだった。
 
技術の発展によって平行世界間の移動が可能になり、マイルスはグウェンを始めとした別次元のスパイダーマン達と再会した。マイルスとグウェンは惹かれ合うがこれは多次元を崩壊させかねない禁忌の行いであり、マルチバースの数多のスパイダーマンが二人を引き裂こうとする。行け行けマイルス! 運命なんてブッつぶせ!
 
……が、視聴した方はご存知であろうが本作はそのような作品ではない。マイルスとグウェンは確かにいい雰囲気になったり周囲からもそう見られるが一応は「友達」として語られるし、マイルスが世界と天秤にかけるよう迫られる愛する一人とは父ジェフのことだったりする。このため、予告から受ける印象とは微妙にズレていたというのが私の第一印象だった。この点は単なる私の勘違いかも知れないが、予告抜きに見てもおそらく感じられるのは「ズレ」だ。そう、マイルスは本当に主役なのか?という「ズレ」。
 
本作では次元を操る力を持つスポットというヴィランが登場するが、彼は最初から望んで怪物になったわけではない。白い体に無数の黒い斑点を持つ異様な姿は前作の悪役キング・ピンとマイルスの戦いに巻き込まれて事故で変化したものであり、その存在はマイルスに以前の戦いの正義を問い直す重みを持っている。また今回はスパイダーマン・インディア(パヴィトル・プラバカール)やスパイダー・パンク(ホービー・ブラウン)といった新たなスパイダーマンが登場するが、マイルスより優秀だったりグウェンと親密な関係にある彼らはマイルスの存在意義を危うくさせる一面も兼ね備えている。自分の行いは正しいのか、自分に価値はあるのか? 新たなヴィランスパイダーマンはコミカルかつ華やかだが、マイルスの主役(「たった一人のスパイダーマン」)の座は彼らが姿を見せる度にぐらついていると言える。
 
マイルスは本当に主役なのか? この疑問の答えは、マルチバースを守護する組織スパイダー・ソサエティの長であるスパイダーマン2099(ミゲル・オハラ)との戦いの中で明らかになる。スパイダーマンはどの世界どの立場でも同じような出来事(カノン・イベント)を経験する運命にあり、マイルスの場合それは父ジェフの死が該当していた。カノン・イベントを阻止すればかえって次元の崩壊を招く危険があると言われても座視できるわけはなく、自分を止めようとするミゲルや他のスパイダーマンからマイルスは逃げようとするのだが――そこで明かされたのは、自分は本来スパイダーマンになるはずのない存在という事実だった。
 
マイルスはグウェン達同様に放射能グモに噛まれてスパイダーマンとなったのだが、なんとそのクモは本来は別次元で別の人間を噛むはずのクモであった。前作でマイルスの次元の本来のスパイダーマン(ピーター・パーカー)が死んだのはそれにより運命が狂ったためであり、またクモが元々いた次元はスパイダーマンの存在しない世界になっているという。マイルス・モラレスの正体は主役=スパイダーマンではなく、マルチバースの秩序を乱す異常な存在……いわば特異点に過ぎなかったのだ。
 
自分は主役=スパイダーマンではなく特異点に過ぎない。この事実をマイルスは、スパイダー・ソサエティの次元移動機械ゴー・ホーム・マシンで自分がたどり着いた場所によって知ることになる。別次元へ迷い込んだ者を遺伝子解析によって本来のホームへ返すこの機械を利用すればマイルスは自分の次元へ帰ることができるはずだったが、たどり着いたのはよく似た別世界だった。前作で死んだ叔父のアーロンが生きている代わりに父ジェフは既に亡く、しかも自分と同じ"マイルス・モラレス"がアーロンに代わってヴィランプラウラーを襲名しているここは、「マイルスを噛んだ放射能グモが」本来いるはずの次元だったのである。思わぬ誤算によってマイルスがアーロンとプラウラーに捕えられるという緊迫の引きで本作は幕を下ろすが、特異点に過ぎないことを暴かれたマイルスにとってここは確かにホームであるとも言えるだろう。
 
マイルス・モラレスは主役=スパイダーマンではなく特異点である。では、主役は誰に交代しているのか? 多くの人はここまで聞いて一人の少女を思い浮かべるだろう。そう、本作のマイルスに次ぐ重要キャラクター、グウェン・ステイシーだ。
 
 

2.もう一度主役交代を

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グウェン・ステイシーこそは「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」の主役である。その証明として挙げられるのは、彼女とマイルスの置かれた立場の類似であろう。スパイダーマンの正体は多くの場合はピーター・パーカーという男性だがグウェンの次元の彼はヴィランになって死亡しており、彼の死を別人のスパイダーマンが看取る点でマイルスとグウェンの次元はよく似通っている。加えて、マイルスの場合はピーターではなく叔父のアーロンだが、共に警察官の父親に看取りの場を目撃され殺人容疑をかけられる点も同様だ。この容疑についてマイルスは誤解を解けたものの、父に自分がスパイダーマンだと明かせず二重生活に難儀している部分もまた二人の共通項だ。本作がグウェンの過去も含めた描写に序盤時間を割くのは彼女がマイルスと近い立場にあると説明するためであり、ならば彼女にもまたマイルスと同じ問題が降り掛かってくる。
マイルスのドタバタぶりからも見えるように家族と世界の二択もやむを得ない状況に二人は追い込まれているが、この状況はミゲルのマイルス「選ぶんだ。愛する一人を救うか、世界を救うか」という問いと同じものだ。マルチバースの命運もかかっているのでややこしく見えるが、グウェンには主役であったはずのマイルスと同じ問いが与えられているのである。
 
父ジョージに正体がバレるも受け入れられてもらえなかったグウェンにとって、スパイダー・ソサエティはただ一つ残された居場所(ホーム)であり、故に彼女はそこを追放されるのを極端に恐れていた。だが一方で完全にそこに馴染めているわけでもなく、任務で再び訪れた別次元でグウェンはそれを棚上げしてでもマイルスに会いに行かずにいられない。本来スパイダーマンでないはずの、それにも関わらず魂の大事なところが似通っている彼に。
 
「選ぶんだ。愛する一人を救うか、世界を救うか」そうミゲルに問われたマイルスはしかし、選ぶことを拒絶し「両方救って見せる」と返す。そんなことが可能なのか本作はマイルスに答えを出させていない。しかし愛する一人に拒絶され、世界を救うことに逃げるしかなかったグウェンにとって彼の答えはとても眩しいものだったことだろう。そしてそんなマイルスを異常分子(特異点)として排除しようとするスパイダー・ソサエティはもはや、彼女のホームたり得ない。正義を行う者の集まりのはずだったそこは、もはや信じられる居場所ではない。しかし成否は不明にせよ、マイルスは二択から逃れたのだ。ならばグウェンもまた、二択以外の道があり得ることを本来のホームで知ることとなる。
 
スパイダー・ソサエティを追放され自分の次元に追い返されたグウェンはジョージと再会し、悩める心を打ち明ける。警官の父のように自分も正しいことをしたいと努力してきたが、もはや何が正しいのか分からない。けれどただ一つ、(ピーターの時のように)もう友人を失うことだけは嫌なのだと。そして返ってきたジョージの答えは意外なものだった。彼は警察署長就任が間近だったにも関わらず職を辞していた。娘が人殺しの恐れのあるスパイダーマンだと知って悩んだ結果、愛する彼女を選択したのだ。
 
ミゲルは言った。「選ぶんだ。愛する一人を救うか、世界を救うか」と。一見するとジョージはこの言葉の通り、世界(警官)より愛する一人(娘)を選んだように思える。だがこれは誤りだ。彼は悩みに悩んだ結果、自分にとって娘こそがかけがえないのだと気付いたに過ぎない。決まっていた答えに気付いただけのことを「選んだ」とは言わない。そしてグウェンがピーターを死なせたというのは勘違いでしかないのだから、ジョージは結果的に愛する一人も世界も両方救ったと言えるだろう。
 
「選ぶ」という言葉は時に強く、そしてリアリスティックに響く。選ばなかった方に残酷な結末が訪れるのを承知で受け入れるのが決断だと私たちは考えがちだ。けれど、選ぶというのは本来分けられないものを無理やり分けてしまう行為に過ぎないのではないか。スパイダーマン達が大切な人を失う辛い経験をしたのは選択の結果などではないし、人の死の正しい/正しくないなど傲慢な選別に過ぎない。
大切なのは選択の余地のない、かけがえのないたった一つのものが何か探すことで、それはかえって一つに留まらない複数のものを救うことすらある。ジョージが娘こそかけがえないと選んで両方を救ったことは、「友達をなくしたくない」グウェンのかけがえのない思いがマイルスとマルチバースの両方を救い得る小さな証明なのである。
 
父に励まされ、前作で共闘した仲間やパヴィトル、ホービーと共に新たにチームを結成したグウェンはその中心にいる。またマイルスの両親を訪ね、息子の行動を理解できず困惑している彼らにマイルスに代わって(マイルスの服を着て!)彼が確かに両親を愛していることも伝える。マイルスが特異点に過ぎないことが判明した上でのこの終わりはすなわち、本作はグウェンがマイルスに代わる主役になるまでの物語なのだと雄弁に語っている。だがもちろんこれは、マイルスが単に助けを待つばかりの存在であることを意味しない。特異点である彼は小悪党に過ぎなかったはずのスポットをマルチバースを崩壊させかねない凶悪な敵に変えたりパヴィトルの世界で知らずしてカノン・イベントを阻止したりしているが、主役とは、スパイダーマンとは、ヒーローとはもともとそういう特異点のような存在ではなかっただろうか。
 
本作は2部作であり、2024年には「スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース」の公開が予定されている。アクロス(across)は向こう側、ビヨンド(beyond)は限界を超えた彼方を指すそうだから、グウェンが向こう側(別次元)のスパイダーマンになった本作の次でおそらく、マイルスはスパイダーマンを超えたスパイダーマンとでも呼ぶべき存在となることだろう。
本作は主役交代の物語である。そして、もう一度主役になった時こそマイルスはたった一つの、いや"たった一人のスパイダーマン"になるのだ。
 
 

感想

というわけでアクスパのレビューでした。見てる途中では「いやこれ何書いたらいいんだろう」と困惑していたのですが、ラストのグウェンを見ていたら主役交代のワードが浮かびそこからぐいぐい頭の中で話が繋がっていきました。マイルスの両親の「失敗させたくない」はスパイダー・ソサエティがマイルスにスパイダーマンとしての道を外させまいとする行動とも重なっているので、そこから考えてみるのも面白いかもしれません。しかしスポット、コミカルな振る舞いの割に危うい能力ではと思ってたらどんどん手に負えなくなっていって次回どうなっちゃうのやら。
 
前作以上に息もつけないアクションの数々、そして4年の時を経てよりナチュラルになった映像表現。前作を見た人はもちろんのこと、見てない人にもぜひ体験だけでもしてほしい作品です。とても楽しい鑑賞時間でした。
 

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