進むための二人――「機動戦士ガンダム 水星の魔女」22話レビュー&感想

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再び歩む「機動戦士ガンダム 水星の魔女」。22話ではいよいよ決戦が始まる。スレッタやミオリネが進むために必要だったものはなんだろうか?
 
 

機動戦士ガンダム 水星の魔女 第22話「紡がれる道」

クワイエット・ゼロを起動したプロスぺラとエリクト。
2人を止めると決意したスレッタは新たなガンダム、キャリバーンに搭乗するため、ベネリットの本社フロントに向かう。
一方ミオリネは、自らの選択が起こした凄惨な結果に打ちのめされていた。

公式サイトあらすじより)

 

1.留まらぬ二つ

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学園でMSが決闘を行うユニークな舞台設定から始まった「機動戦士ガンダム 水星の魔女」。最強のホルダーの花嫁となるミオリネが誕生日を迎えた17話でその決まりは終わった……はずだったが、この22話では久しぶりに決闘が行われる。主人公・スレッタがミオリネに会いに来るも最後のホルダーであるグエルがこれを拒み、どうしても会いたいならと決闘を持ちかけたのだ。二人の間で行われた、初代「機動戦士ガンダム」をほうふつとさせるフェンシングによる決闘はスレッタの勝利に終わったが、もちろんグエルは本気でスレッタとミオリネの再会を妨げようとしたわけではないだろう。彼は惹かれ合う二人を元の鞘に収めるべく、手加減はしないにせよ形式的な手続きをとったに過ぎない。
 

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グエル「……バカだな、俺は」
 
決闘を終えてスレッタをミオリネの部屋に案内しつつ、グエルは己の振る舞いを自嘲する。彼は父の死で屋台骨の傾いたジェターク社を救うべくミオリネと婚約した(しかもその話を持ちかけたのはミオリネの方だ)のであり、確かにこの行為はそれをふいにする愚行に他ならない。グエルは物語の中で成長し大切なもののために自分を犠牲にする大人の目線も得たが、そんな彼に今の自分は子供に戻ってしまったように映っていることだろう。だが、グエルは自分をバカだとは思っても後悔まではしていまい。
 
話し合って100%理解し合うだとか、人を不自由の全くない自由へ解放するだとか、そういったことを私たちはできない。どれだけ相手を思っていても「一番じゃないやり方」にならざるを得ないことを本作は描いてきた。それは今回のグエルも同様だ。彼はスレッタとミオリネの幸せのために自分が割を食う「一番じゃないやり方」を選んだのであり、そこには正しさと間違いの"二つ"が伴われていると言えるだろう。……だが、この22話の"二つ"はそれだけに留まらない。
 
 

2.進むための二人

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グエルが案内した先、自室にミオリネは閉じこもっていた。自分の行動がクイン・ハーバーでの虐殺を招きシャディクを策謀に走らせ、更には父デリングから受け継いた巨大機構クワイエット・ゼロがスレッタの母プロスペラに利用されて大勢の死者を出したショックは17歳の少女にはあまりに大きかったのだ。自分で選んで決めたことが全て裏目に出て多くの人を傷つけ命すら奪った結果に彼女は恐れおののき、どこにも行けずに――逃げることも進むこともできずに――いる。しかしスレッタは部屋に入ることをミオリネに拒絶されながらも、自分も人を殺す間違いを犯したことを語りながらこう言った。
 

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スレッタ「私も間違えました。人を殺しました、プラント・クエタで。ソフィさんのことも……皆を守るために正しいことをしたんだって、自分に言い聞かせてました。でも学園が大変なことになった時に、皆と必死で復旧作業をしていた時に思ったんです。正しくっても間違ってても、自分がやったことは取り戻せないんだって。何も手に入らなくても、前に行くしかないんだって」
 
スレッタが自分の言葉で語っているためか表現は異なるが、「取り戻せない」とは「逃げられない」ということだ。「前に行くしかない」とは「進むしかない」ということだ。正しければ自分の行いが肯定されるわけではないし、間違っていれば自分の行為が存在ごと否定されるわけでもない。正しかろうが間違っていようが、確かなのは自分の行いがけして消えない=そこから逃れられないという事実だけだ。スレッタはプロスペラから「逃げれば一つ、進めば二つ」と教わったが、そもそも逃げること自体が私達にはできはしなかったのである*1
 

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時計の針が戻らないように、私達は本当の意味で逃げることができない。その足は前にしか進めず、しかもどれだけ周到に準備しようが結果には必ず過ちが伴う。これはあまりにも恐ろしい事実だ。もしまた間違えたら? 誰かを傷つけたら? その取り返しのつかなさは、スレッタやミオリネが犯した罪を見れば一目瞭然であろう。一人でこの恐怖を乗り越えられる人間はそうはいない――そう、一人では。
 

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ニカ「一人で背負わせちゃいけないよね」
 
GUNDフォーマットのフィルターを持たぬ危険なガンダム、キャリバーンへのスレッタの搭乗を仲間の一人リリッケが案じた際、同じく仲間であるニカはこう言った。「一人で背負わせてはいけない」と。
 

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ケナンジ「いいですか、無理だと判断したら即座にユニットを引き渡しますからね。あなた方は学生なんです、責任は大人に取らせなさい」
 
また後の場面になるが、クワイエット・ゼロを止めるべく無謀とも言える作戦を決行しようとするスレッタ達に対し、特殊部隊ドミニコス隊の司令ケナンジはこう言葉をかけている。学生(子供)の責任は大人が取るべきだ、と。
 
進むことしかできない恐ろしい事実はしかし、その重責を一人で担わなければならないことまでは意味しない。スレッタにしても、ミオリネのもとを訪れたのはエリクトとプロスペラに頼ってばかりだった自分が一人で選んで決めることに怖さがあったからだ。プロスペラの傀儡から抜け出しすっかり主人公らしくなった彼女であっても、そんな強さは持ち合わせていないのである。なら、ミオリネも一人で部屋にこもって一人で全てを背負う必要はないはずだ。
 

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ミオリネ「いつか、わたしと一緒に地球に行って。わたしは自分のやったことに一人で向き合えるほど強くない。でも、見ないふりするわけにはいかないの」
 
スレッタに一緒に背負ってくれるよう頼んで、ミオリネはようやく一人の部屋を抜け出す。私達が一人でしなければならないことがあるとしたら、それは最初の一歩だけだ。自分は何を望んでいるのか、何を選択しているのか。目指す場所に向かって歩き出すことだけだ。その先の長い道のりを歩ききるためには他の誰かの力がいる。一人ではなく、二人の力が要る。だからスレッタとミオリネは、互いが揃ってようやく最後の戦いに臨めるのである。
 

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スレッタ「止めに来たんだよ、二人を!」
 
かくてスレッタとミオリネは再び歩み始め、人々は進むための二人を求めていく。スペーシアンによるアーシアンの搾取構造を打破すべく手を汚したシャディクは同じく手を汚したミオリネにようやくビジネスパートナーとして求められ、父を殺す罪を一人で抱えたグエルのディランザは諸々の事情を一人誤解した弟ラウダのガンダム・シュバルゼッテと激突する。スレッタもまた、キャリバーンに乗って廃人になる危険を冒してまでクワイエット・ゼロへ向かうのは進み続けるプロスペラとエリクト(エアリアル)を止めるためだ。物語は二人に、いや"二つ"に収束しつつあると言えるだろう。
 

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「逃げれば一つ、進めば二つ」とプロスペラは言った。だがこれは逆だ。進むためにこそ、私達には二つや二人が必要なのだ。
 
 

感想

というわけで水星の魔女の22話レビューでした。PROLOGUEを「逆流のG」、1話を「情けは人の為ならず」と読みましたが、そんな感じの終盤になってきたなと思います。フェルシーはこれ同行できてるのかいないのかとか、5号エランにこの後できることってなんだろうとか、ロウジを同行させることについてセセリアが「間違った」んじゃないかとか、気になることがいっぱいですね。残り2話、楽しみに見ていきたいと思います。
 

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*1:何もしなければ逃れられると思うかもしれないが、これは今のミオリネと同じ「何もしないをする」だから結局変わらない