最後の優しさ――「機動戦士ガンダム 水星の魔女」23話レビュー&感想

© 創通・サンライズMBS
偽りなしの「機動戦士ガンダム 水星の魔女」。23話ではクワイエット・ゼロで激闘が繰り広げられる。今回は兄姉弟妹の戦いを踏まえつつ、副題の意味を考えてみたい。
 
 

機動戦士ガンダム 水星の魔女 第23話「譲れない優しさ」

キャリバーンを駆り、エリクトと真っ向から想いをぶつけ合うスレッタ。
グエルもまた、ミオリネへの激しい憎悪を燃やすラウダと対峙する。
乱戦の中、ミオリネたちを乗せたロケットは、クワイエット・ゼロへと向かう。

公式サイトあらすじより

 

1.兄姉弟妹の戦い

© 創通・サンライズMBS
巨大機構クワイエット・ゼロによって世界の通信を書き換えようとする母プロスペラを止めるべく、危険なガンダム・キャリバーンに乗りガンダムエアリアルと対峙する主人公・スレッタ。とはいえ今回は二人の決闘のような内容ではなく、クワイエット・ゼロの停止自体はスレッタの"花嫁"ミオリネが潜入して試み、また周辺では彼女達を援護すべく出撃していたグエルのディランザとその弟ラウダのガンダム・シュバルゼッテの戦いが繰り広げられる。盛り沢山と言えば盛り沢山だが、最後のグエルとラウダの戦いについては前回の登場時困惑した人が多かったのではないだろうか。
 

© 創通・サンライズMBS
グエル「やめろラウダ! なんであの船を狙うんだ!?」
ラウダ「兄さんこそ、どうしてあの女のそばにいるんだ!」

 

ラウダの目的は、このような事態を招いた原因と考えているミオリネの殺害という逆恨みじみたものだ。グエルが父ヴィムを過失とはいえ殺したと知ったことや恋人ペトラが重傷を負って追い詰められたとはいえ、クワイエット・ゼロで多くの人の命が危機に晒されている中でラウダの思い込みと勘違いははなはだ迷惑にも思える。だが、ここで考えたいのはグエルとラウダが兄弟という点だ。何を今更と思うかもしれないが、同じく戦場で対峙しているスレッタはエアリアルと同じ存在であるエリクト・サマヤの遺伝子から作られたリプリチャイルド……エリクトの妹に等しい存在である。すなわちこの23話では兄弟と姉妹の二つが向かい合っており、しかも弟妹(ていまい)はいずれも危険なガンダムに乗って兄姉(けいし)に並び立とうとしているのだ。このように共通点があるなら、二つの戦いは分けるだけではなく呼応し合うものとしても見るべきだろう。
 

© 創通・サンライズMBS
ラウダ「答えろ兄さん、なぜ父さんのことを黙っていた! 後ろめたかったからか、僕には荷が重いと思ったのか! そんなにも僕は頼りないか!」
 
ミオリネを殺そうとはするものの、ラウダの思いの中心はあくまでも兄グエルにあった。父を殺したならそれを自分に打ち明けてほしかったのに、あなたはそんなに後ろめたかったのか。それともそこまで自分は頼りないのか。ガンビットによる多面攻撃を駆使しながらラウダはグエルに思いの丈をぶつけ、この罪は自分一人で背負うべきなんだという返答にも納得せずその高潔さ高慢さが罪なのだとなじる。彼の根本的な不満は、大好きな兄がその立派さ故に自分をないがしろにする優しさへの不満なのだ。そしてこの問題は、口にこそ出されないもののエリクトのスレッタへの態度にしても同様である。
 

© 創通・サンライズMBS
エリクトはガンダムが危険なMSとされる原因、GUND技術にただ一人完全に適合した人間だ。常人ならその情報量に廃人化もしくは死亡してもおかしくないデータストームをものともせず、生体コードを移され今はエアリアルそのものとなった存在。対してスレッタはほぼ同じ肉体を持ちデータストームに高い耐性を持ってはいるが完璧ではないし、またかつては母の操り人形同然でその言葉を疑うことも知らぬ有様だった。エリクトはそんな彼女を敢えて突き放して自分やプロスペラから遠ざけ一人で母の野望に付き合おうとしたが、並べて見るならエリクトの行動はグエルがラウダに父殺しを打ち明けなかったのにそっくりだ。スレッタはその後の経験を通してこういうやり方しかできなかったのだと理解を示しているが、それは彼らの高潔さと裏返しの高慢さを帳消しにするようなものではない。スレッタと違い事情を咀嚼する時間を得られなかったラウダを通して、この23話はその問題点を指摘しているのだ。
 
 

2.高潔と高慢

スレッタとエリクト、ラウダとグエルの戦いは重なり合っている。これを踏まえて更に注目したいのは、劇中のエリクトの台詞である。
 

© 創通・サンライズMBS
エリクト「ミオリネは今、お母さんといるよ。一つを手に入れるためならお母さんは……」
 
コントロールを奪うべくクワイエット・ゼロに潜入したミオリネをプロスペラが迎撃しているのを感知してのものだが、重要なのは「一つを手に入れるためなら」という部分だ。「逃げれば一つ、進めば二つ」という本作のキーワードに従えば、これはプロスペラが逃げていることを意味する。事実そうだろう、彼女はエリクトもスレッタも確かに愛しているのだが、データストームの中でしか生きられないエリクトの居場所をこの世界に作ることを優先しスレッタのことは放り出している。通わせた学園の仲間がいるからスレッタの方は大丈夫だと、エリクト"一つ"だけを選んでいる。
 

© 創通・サンライズMBS
エリクト「これは、データストームの中でしか生きられない僕らの問題。だからスレッタ、君は諦めて」
 
また劇中でエリクトはスレッタに何度も引き返すように言うが、これは彼女に"一つ"を選べという説得だ。自分や母と学園の仲間の"二つ"は得られないから、後者だけを選んで自分達のことは忘れるべきだとエリクトは言う。逃げろと言う。けれど前回、逃げることはそもそも不可能で前に進むしかないと悟ったスレッタにこの言葉は響かない。エリクトやプロスペラについて見ないふりなんてできないと彼女が返すのは、その足が進もうとしている確かな証である。
 

© 創通・サンライズMBS
グエル「俺はもう逃げない。父さんからも、お前からも」
 
世の中は望んだものが全て手に入るほど甘くはなく、人はしばしば片方を切り捨てるのが強さだとすら考える。けれどそれは切り捨てる片方から逃げているに過ぎないのではないか。高潔な精神の発露だとしても、高慢さの裏返しであることも否定できないのではないか。兄と弟、姉と妹で立場をひっくり返しながらも今回の二つのMS戦は私達に突きつける。逃げないというなら、進むというなら、高潔にして高慢な兄姉は矛盾する二つを受け入れなければならない。口火を切ったのはグエルの方だった。
 

© 創通・サンライズMBS

© 創通・サンライズMBS
シュバルゼッテのビームソードを敢えて受けたグエルは、母の違う弟に初めて会った日のようにMSで抱きしめながら打ち明ける。ラウダの言う通り自分は怖かったのだと。皆が、何よりお前が許してくれなかったらと考えると怖くて言い出せなかったのだと。それはおそらく、常に強くあろうとしてきた彼が初めて弟に見せることのできた弱みであったろう。父と、そして弟の"二つ"から逃げなかったからこそ、グエルはここまで進むことができた。
 

© 創通・サンライズMBS
ミオリネ「進めば二つ……あんたの言葉でしょ。だったら言葉通り進みなさいよ。あんたも、スレッタもエリクトも、わたしたち家族になるんだから」
 
またクワイエット・ゼロ内部ではコントロールを巡り潜入したミオリネ達とプロスペラの応酬が繰り広げられていたが、書き換えられた緊急停止コードの代わりにプログラムに直接アクセスして止めようとしたミオリネが見つけたのは母ノートレット専用の権限であった。そう、スレッタの母プロスペラのための要塞のようになっていたクワイエット・ゼロは本来、ミオリネの母ノートレット・レンブランの創案から生まれたもの。ミオリネがここで向き合うべきはスレッタと自分それぞれの母親"二つ"だったのだ。間一髪でクワイエット・ゼロの停止に成功したミオリネはプロスペラに手を差し伸べ自分達は家族になるのだというが、これは自分がスレッタと結婚すればプロスペラが義母になる事実を彼女なりに受け止めた結果と言える。
 
グエルもエリクトもけしてラウダやスレッタを嫌っていたわけではなく、彼らに優しくあろうとした。けれどその優しさは一面で彼らをないがしろにするものでもあって、時に相手を苦しめ暴走させることすらある。だが、それでも優しさがけして嘘ではないこともまたこの23話は示している。
 
 

3.最後の優しさ

© 創通・サンライズMBS
プロスペラ「エリー、やめなさい!」
 
「逃げれば一つ、進めば二つ」……本作はこの言葉を繰り返し変奏してきたが、二つが必ずしも喜ばしいものばかりと限らないのは本作を見てきた人はよくご存知のところだろう。絶望的な相手であるクワイエット・ゼロの停止という僥倖もまた例外ではない。プロスペラの脅威の終わりはクワイエット・ゼロに阻まれてきた政府組織・議会連合の介入の再開を意味し、惑星間攻撃兵器ILTSまで持ち出してきた彼らから逃げることもまたスレッタ達には許されない。ILTSから放たれた巨大なレーザーを防いだのは、MS型ガンビット・ガンドノードと共に防壁を発生させたエアリアル……エリクトであった。とはいえクワイエット・ゼロが停止した状態では以前のような出力は出せず、エアリアルは機能停止と思われる大破状態に陥ってしまう。
 

© 創通・サンライズMBS
エリクトはおそらく、クワイエット・ゼロを守るためだけにこんなことをしたのではない。振り返った彼女の視界にはクワイエット・ゼロと共にガンダム・キャリバーンが……スレッタが映っていた。"二つ"が映っていた。彼女は今回の戦いを通して、スレッタがもはや自分がかつてと同じように接すべき存在ではなくなったことを知ったのだ。プロスペラもスレッタも切り離すことなく、二つとも守りたいと思ったから身を挺して彼女達を庇ったのだろう。それはきっと、高潔さやその裏返しの高慢さとは違う、大切に思う者への真の意味の優しさではあるまいか。グエルが命の危険も顧みずラウダを止めようとしたように。ミオリネに同行していた科学者ベルメリアが、人助けのためなら銃を撃てたり彼女を庇おうとしたように。
 

© 創通・サンライズMBS
今回の副題は「譲れない優しさ」である。誰かに優しくすることはとても難しい。相手のことを思っていても考えていてもためになるとは限らないし、ともすると己の高慢さが混じってしまう。それでも最後の最後、究極的な状況で優しくできるなら。それこそがきっと嘘のない、「譲れない優しさ」なのだ。
 
 

感想

というわけで水星の魔女の23話レビューでした。今回はなかなか書きにくかった……"二つ"を探してそれを鍵に書くいつものスタイルから兄姉弟妹をキーワードにしたまではいいもののゴールが見えてこず、書き進めていく内に副題というゴールにたどり着きました。
 
ハロから古川慎さんの声が聞こえてきたのは笑いました。そういえば今回シャディクの出番なかったものなあ。あとフェルシーがとても良い仕事してました。頭撫でたい。
さて、次回は最終回、副題も「最終回」。ちょっとどういう終わりになるのか想像がつきませんが、最後を見届けたいと思います。
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>