ただいまの魔法――「幻日のヨハネ」1話レビュー&感想

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不思議の国の「幻日のヨハネ」。1話では夢破れた主人公ヨハネの帰還が描かれる。だが、彼女が帰る場所は故郷ヌマヅであってヌマヅではない。
 
 

幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR- 第1話「はじまりのうた」

 

1.どこにいるかではなく

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ラブライブ!サンシャイン!!」の公式スピンオフとして、スクールアイドルグループAqoursの一人・津島善子を主人公として描かれる「幻日のヨハネ」。ただ本作が少々変わっているのは、本編のその後であるとかありえた可能性を描くというのではなく別世界の別人として描いている点だろう。物語が描かれるのは沼津市ではなく中世西洋ファンタジー的な衣装に人々が身を包んだヌマヅ、善子は一人称として使っていた「ヨハネ」がそのまま本名……とはいえいわゆる剣と魔法の世界というわけでもなく、魔法が少なくとも一般的なものではないらしい一方で街には車が走っているし、電話にコンビニ、アイドルオーディションの類もある。ガラリと変わったように見えるのは視覚的な面であって、実際の差異は「ラブライブ!サンシャイン!!」からちょっと"ズレている"に過ぎない。そして、注目したいのはこの「ズレ」だ。
 

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ヨハネ「なんで!? 今日だって上手いって好感触だったじゃん……」
 
第1話は都会に出ていたヨハネが歌のオーディションを受ける場面から始まるが、審査員の質問へのヨハネの返しは不自然なものだ。上手だが力み過ぎたのではと言われれば「気合を入れた」と返し、将来の夢はと聞かれれば「将来のスターである自分からサインを貰うなら今のうち」……お世辞にも話が噛み合っているとは言い難く、不合格の烙印が押されるのも無理はない。ヨハネは審査員と「ズレて」いて、しかもそれを自覚もできていないのである。
 

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ヨハネ「でもわたし、一生懸命やったんです! オーディションも路上での弾き語りも……」
ヨハネの母「何日やったんだっけ?」
ヨハネ「48……」
ヨハネの母「日?」
ヨハネ「時間」
ヨハネの母「2日間ね」
 
またヨハネは母との電話で16歳になったこと、つまり都会でビッグな夢を叶えたいんだと訴えて得た2年の猶予の終わりを告げられるが、ここでも見えるのは彼女の言う夢と現実のズレだ。ヨハネは路上での弾き語りやアルバイトで生活費を稼ぐことにも熱心ではなく、つまり石にかじりついてでも都会で夢を叶えるんだというような執念は持ち合わせていない。生活はしていても都会の人間になりきれているわけでもなく、つまり都会ともズレている。ヨハネの母は彼女に「あなたにしかできない楽しくてたまらないことを本気で見つける時が来た」と帰郷を促すが、これはヨハネと都会のズレは埋まることがないと見切りをつけた故でもあるのだろう。
 

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ヨハネの母「ヨハネ、大事なのはどこにいるかじゃないわ。誰と何をするかよ」
 
「自分にしかできない楽しくてたまらないこと」を探すとはすなわち、ズレのないものを探すことだ。とはいえ都会での2年が無為に終わったように、母が「大事なのはどこにいるかじゃないわ」と諭すように、それは帰郷しただけで見つかるわけではない。
 
 

2.ただいまの魔法

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ヨハネ「この町で有名じゃなくてもぜんぜん平気だし。ていうか、こっちも別に誰のことも知らないし」
 
仕送りを止められ、夏の間両親が仕事で留守にする実家への帰郷を余儀なくされたヨハネ。しかし電車に乗って帰ってきたヌマヅで彼女が目にするのはやはり「ズレ」だ。夜も灯りの消えない都会とは比べようもない田舎だし、駅には幼なじみで人語を解する狼獣ライラプス以外に迎えてくれる者や自分を覚えてくれている者もない。正確にはただ一人幼なじみのハナマルだけは自分を覚えてくれていたが、地元の野菜や果物を使ったお菓子を売って立派にやっている彼女に会ってもヨハネとしては劣等感を刺激されるだけだ。
ヨハネライラプスに促されても「ただいま」とは言おうとしない。自分の居場所として受け入れられず、ズレを感じずにいられない場所でそんな気持ちになれないのは無理もない。自分と重なるものが無いと感じるから、ヨハネにはヌマヅは「何もない」ように感じられる。……だが、本当にそうだろうか?
 

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ヨハネ「なんでかこの場所では、楽しく歌えたんだよね」
 
ヨハネの言葉を聞いたライラプスは自分についてくるよう言い、山奥のとある場所へ彼女を導く。息を切らしてたどり着いたその場所でヨハネが見つけたのは巨大な切り株……幼い頃、ステージ代わりに歌を歌った思い出の場所であった。かつてヨハネはここで歌うのが楽しくてたまらなかったが、ある時それをからかわれたのがきっかけで以来訪れなくなっていたのだ。
 

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ライラプス「そうだね。ヨハネ、すごく楽しそうだった」
 
私達にとって、"場所"とは単なる座標ではなく思い出や感情を伴うものだ。豪華絢爛な建築物に建て替えてもそれが宿っているとは限らないし、逆に何の変哲もない切り株にだって宿る時がある。ヨハネにとってズレることなき"場所"とはこの切り株であり、からかわれて失われて以来ずっと彼女はそれを探し続けてきたのだろう。だが既に明らかなように、座標を変えただけではそれは取り戻せなかった。
 

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ハナマル「マル、ヨハネちゃんの歌を聞きたい! 今、この場所で!」
 
ヨハネの母は「大事なのはどこにいるかじゃないわ」という言葉の後にこうも続けた。「誰と何をするか」だと。都会での2年間でヨハネはその相手を見つけられなかったが、場所が座標の問題ではないことだけは知ることができた。では「誰と何をするか」はどうすればいいのか? そのヒントをヨハネは、自分がここにいるのではと、新作のお菓子を食べてほしいと考え同じく切り株にやってきていたハナマルから教えてもらうことになる。
 

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ハナマルは言う。自分はヨハネの歌がとても好きで、この切り株の上で歌う彼女にとても元気をもらっていたのだと。木の枝を「魔法の指揮棒」として振りながら謳っていたなどとヨハネ自身が覚えていないことまで彼女は覚えていて、そして彼女の歌を聞きたいと言う。それも「今、この場所」で。
ハナマルの言っている「今、この場所」には当然、時間の概念が伴う。日を改めてでは駄目なのだ。この切り株以外のステージでは駄目なのだ。ヨハネがいてハナマルがいて、かつてを思い出した今ここでなければ"場所"たり得ない。けれどそれと同じものはかつて確かにあったのだ。からかわれて失って以来、ずっと探し続けていた"場所"が。だからヨハネはここでなら歌うことができる。オーディションの時のように力み過ぎることなく、そしてハナマルやライラプスを魅了するだけの力を持った歌を芯から楽しく歌うことができる。歌を聞き終えたハナマルの「おかえり」をヨハネが素直に受け入れられるのは、単なる座標に留まらないその場所に帰ってこられたと誰よりヨハネ自身が受け止められたからなのだろう。
 
歌の後に突如現れた謎の杖、そしてハナマルにもらった新作お菓子を手に帰宅したヨハネは、ライラプスにようやく「ただいま」を言う。それは彼女が心から帰ってきたと思えたから口に出せた言葉だ。幼い頃から共に過ごしたライラプス相手にだから、この言葉は特別な意味を持つ。
 

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ヨハネ「今日は久しぶりに楽しく歌えて、それをハナマルに聞いてもらえて……嬉しかった。あと、ただいま」
 
場所というものは単なる座標を示さない。私達が「ただいま」と言う時、その言葉には時空を超える魔法がかけられているのである。
 
 

感想

というわけで幻日のヨハネの1話レビューでした。ABEMAってリアルタイム放送しかやってないと思ってたのですが、通常の配信と同じこともやってたんですね。1週間先行配信ということで、基本的にはこちらを見てレビューを書き、TV放送後にTwitterへの本文放流などを行っていきたいと思います。
 
ヨハネ達はヨハネであって善子ではなく、しかし見ていくと核と言える部分で「ただいま」ができる。そんな作品なのかな。続きを楽しみに待つことにします。

 

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